伊予の戦女神

□梅の華、銀の獣、月の夢
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昔、些細な用で京の都に訪れた事があった。

今までずっと瀬戸内海に隣する土地ばかりに滞在していた僕は都なんてきらびやかな所に来るのは初めてで、父上の後ろを歩きながら目を輝かせていた。そんな僕を見て父上が微笑んでいたのを今でも鮮明に覚えている。

あの時は平家の館に届け物があって、六波羅にいた。平重盛が隆盛としていた頃で六波羅は賑わい、豪華絢爛な建物が連って隆々と息吹く桜はそれは見事な美しさだった。

ふと、甘やかな香りがした。

少しだけ立ち止まって、平家の邸を見る。そこには自分よりも年上の美しい美少年が舞を舞っていた。




「綺麗だったなぁ…やっぱり舞は女人が舞ったのに限るけど、あの時の少年の舞も見事なものだった」




美しかった。

指先まで洗礼されたしなやかで優雅な動きが、僕を魅了して離してくれなかった。本当に、武士の一門かと疑いたくなるくらいの雅な舞。




「中々来ない僕を心配した父上は立ち止まりながら惚けている僕に、甘い香りの正体と少年の名を教えてくださった」




僕が嗅いだ甘い香りは、その少年の薄桃色の衣から香る香だった。それは梅花の香り。少年が一番好んでいる香りなんだそうだ。

そして、少年の名は―――――




「あの時の梅花の香りも、こんな嘔吐しそうなほどくそ甘い香りだった。香は、さじ加減一つで香りが変わる代物故に他人が同じものを作りだすのは極めて難しい…なら、答えは一つ。

御目にかかれて光栄だよ、平惟盛。ずっと……



殺したかった」



「………凡俗には私の香の良さは伝わりませんか。何処の誰だかは存じませんが粗野な言葉遣いですね」




袴に纏わりつく砂塵を切るように、平惟盛は闇から現れた。

変わらない。血生臭い事と無縁そうな涼しい顔も、その裏に隠された凄惨な残虐さを滲ませた瞳も。

昔のまんま、変わんないや。

一層強く香った甘い梅花に宇鷺はグッと顔をしかめた。





「お前、確か死んだって聞いたんだけど。まさか怨霊になってるなんて畏れ入ったよ」

「野蛮な言い方は止めなさい。私は死さえ惜しまれる人間なのです。それよりも、貴方のような人が何故こんなところにいるのかが気になりますね」

「ああ、安心しなよ。別に源氏に与した訳じゃないさ。もっとも…」




クスッと嘲笑を浮かべ、惟盛と距離を狭める。

その距離、腕二本分。




「平家に与するつもりは毛頭無いけどな」




白刃が煌めいた。


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