伊予の戦女神

□蠱惑の薫り
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播磨国、三草山。

源氏は進軍してきた平家を止めるべく、三草山へ進軍していた。すでに平家の陣は作られていて、源氏が三草山に到着したのは太陽も息を潜めた静かな夜。今から夜襲をかけて成功すれば十分勝利をもぎ取れる状態だった。

だが源氏の武者達が平家と面と向かって本格的に戦うのはこれが初めてで、緊張している者や気が昂っている者などが多く、統率するのに少し手間がかかりそうだ。それでも御大将が九郎殿だけあって事態は最悪ではない。



「あぁ、大丈夫かなぁ…」

「なーに女々しいこと言ってんだい。男ならシャキッと行きな!」

「うっ!宇鷺さん痛いですって」

「俺たち初陣なんですよ宇鷺さん。もう不安で不安で…」

「初陣が一番安全さ。死にたくないという自己防衛本能が働くからね。それに、お前らの大将を信じれば間違いはないよ」

「そうだ…義経様がいれば怖いものなんてない!」

「そうそうその意気その意気!」

「痛い!痛いですって!」



震える兵士の背中をバシバシと叩いて豪快に笑ってみせた。

三草山に着いて早々、僕は源氏の兵士たちを鼓舞してまわっていた。本当はこういうの柄じゃないんだけど、弁慶殿がやれって言うからやっている。



「(…まあ弁慶殿のためというかなんていうか)」



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「…へえ、三草山に進軍ね。じゃあ明日から梶原邸は伽藍洞か」



夕食時、譲手製の豆ご飯を頬張りながら弁慶殿の話を軽く聞き流していた。源氏の動向を思わぬところで掴めたのは大収穫だが、この展開は何となく読めていたので「やっぱりね」という感想の方が大きい。



「皆出払っちゃうのか…いってらっしゃい。頑張ってね」

「おや?他人事のようですが、宇鷺殿も行くんですよ」

「…は?」



口許に運んでいた漬物をピタリと留める。



「僕、源氏じゃないんだけど」

「ええ、勿論知っていますよ。今回の戦は源氏としてではなく、神子の守護者として同行していただきたいのです」

「それは八葉の仕事だろ。ヒノエは連れてっていいからさ」



留めていた漬物を口の中に放り込んで、隣のヒノエにひらひらと手を振る。パシッと叩き落とされた。



「いて。お前は八葉なんだろ、気張ってこい」

「家主がいない邸に一人で残るつもりかよ」

「そのつもりだけど?家を守る人間も残らないとね」

「その心配は必要ありませんよ。ねえ、景時」

「え?あ、う、うん!俺がいないときはいつも部下に見回りさせているから」



弁慶殿に話を振られた景時殿はビクリと肩を震わせて、視線をあちこちに彷徨わせながら頷いている。あまりに挙動不審なので訝し気に景時殿を見つめてると、弁慶殿が優しい声音で「景時」と彼の名前を呼んだ。また景時殿は身体を震わせてチラチラ弁慶殿を見たあと、「あー…」と声を漏らす。



「そ、それに宇鷺さん!ここでの食事はただじゃないんだよ!他だったら宿代とかもね……」

「………」

「だから、その、あのね……」



言葉が段々と尻すぼみになっていく景時殿を僕は見ていられず、静かに目元を掌で覆った。これがもし発言者がヒノエだったら、宿代と食事代合わせて更に二倍の金を置いて出ていっただろう。でも明らかに、明らかに景時殿は言いたくもないことを言わされている。

それが誰かなんて聞かなくても分かって、猶更悲しくなった。



「…えげつないことするねえ」



もう漬物は嚥下したというのに、塩辛さを口内いっぱいに感じた。



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「(ううっ。思い出しただけでも口の中が塩辛い……)」



そっと口許を覆って溜め息を吐いた。あの時嘘でも「へえ楽しそうだから僕も参加するよ」と言っておけば景時殿が苦しむことはなかったのに…と猛省して夕食後、朔ちゃんに金を包んだ巾着を渡した。彼女は驚いて「あれは兄上の狂言だから…!」と巾着を返そうとしてきたけど、「僕のために受け取って欲しい」と半ば無理やり押し付けた。無論、金だけで彼の心痛を和らげはしない。今度暇そうなときに景時殿を捕まえて盃を酌み交わそう…。



「(どうもあの不憫さが他人事に思えないんだよねえ…)」

「宇鷺さん大丈夫ですか?顔真っ青ですけど…」

「ああ、平気…ってうわ。君の後ろの奴の方がよっぽど死にそうじゃないか」



僕を気遣って声をかけてくれた兵士のさらに後ろ、首を項垂れている兵士に声をかけると彼はびくりと震え蒼白な顔で僕を見た。なんだ?



「っ宇鷺さん!今回の敵は還内府って本当ですか!?」

「おや、それは初耳」



一兵士から零れた『還内府』という言葉にふむ、と考えた。

還内府。『黄泉還り』からきた亡き平重盛殿の別名で平家では親しみを籠めて、また源氏では忌み名として彼をこう呼ぶ。清盛の息子で冴え渡る知力で功績を上げ清盛の後継者となるはずだったが、病によりあっさり死んだ可哀想な男だ。

一度死んだはずの人間が生き返るわけない。誰もがそう思っていのだが、重盛と重なるキレのある軍配が人の常識をねじ曲げてしまった。



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