伊予の戦女神
□混濁の聲
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「ぷっ、くくく……」
神子っていうのは蝶よ花よと育てられた世間知らずかと思っていたが、いやはや賢い娘だ。
「え、あの…え?」
「…おい宇鷺、急に不気味な声出して笑うなよ。神子姫が驚いてんだろ」
「くく…っ。や〜すまないね、神子様。ヒノエとは違う意味で僕も君に興味がわいたよ」
あまり品が良いとは言えない裏を含んだ笑顔で微笑めば、ええっ!と大声を出して狼狽する神子様に更に笑いが止まらなくなった。
龍神の神子とは伝説上、異国から京を救うために龍神に選ばれた者だと人伝に聞いた事があり、正直戦など知らぬ足手まといな人間だと想像していた。異国からの訪問者が、京の深刻な問題を理解出来るわけがない。余所者に一体何が出来るんだ、と。
第一に、何故京の人間でもない者に京を救わせるのか。
それが不可解でならなかった。京の人間じゃないくせに、京の為に命を張る覚悟なんてあるはずがない。なんにも知らない国の為に命を張れなんて言われたら、僕だったら責任放棄あるいは他人に役目を擦り付ける。宿命なんて喜んで捨てるだろうね。
……けれど目の前の少女は、自分の役目を、宿命をきちんと受け入れて全うしようとしている。立場を理解して、自分が今何をすべきかわかっている。
そんな自分とは正反対な神子様に興味がわかない筈がないだろう?
「神子様はヒノエの力を借りようと思ってわざわざ治安の悪い六波羅まで来たのかい?」
「はいそうですっ!ヒノエくんは八葉だから…」
「へぇ、ヒノエが八葉…」
「俺が八葉…ってそれ、気のせいとかじゃなくて?」
八葉、という単語を聞いた瞬間ヒノエはバツの悪そうな顔をした。
「(八葉って確か神子の守護者みたいなものだっけ)」
そうなるとヒノエがこんな反応をするのは仕方無い。ヒノエは熊野別当だから熊野から離れるわけにはいかない。その身は一人だけのものじゃない…熊野の為に在る。
「ヒノエくんは間違いなく竜神に選ばれた八葉だよ。貴方の額にある石が八葉の印!」
ヒノエの額を見て神子様は嬉しそうに笑った。
一瞬驚いたような表情になったヒノエは、額に埋まる深紅の石を撫でながら困ったように笑う。
「このオレが八葉なんてね…実感がわかないね」
「いっその事、八葉として活躍したらどうだい?役目を忘れてさ」
「…本気で言ってんのなら怒るぜ」
ギロッと睨んでくるヒノエに、わざとらしく肩を竦ませればフイと視線を外された。
まあ僕は冗談で言ったつもりはない。
二十歳にもいってない男が別当職に就くなんて荷が重すぎってもんだ。もう少し若い時間を自分の時間として使ってもいいんじゃないか。
「(馬鹿だな、ヒノエは。子供の時間なんて人生の中であっと言う間に終わってしまうのに…)」
「うーん、流石にずっと一緒にいるのは無理かな」
「ヒノエくん…」
「でも暫く神子姫は京にいるんだろ?京にいる間はこのオレが全力をもって神子姫を守るぜ」
「本当に…?嬉しいよ!」
…僕の話は無視だね。
何だかちょっと苛ついたからうなじをカリカリ掻いて、あからさまに溜め息を吐く。目を反らした先に、鮮やかな若葉色の髪をした青年と柔らかな檜皮色の髪の女性が此方へ向かって走ってきていることに気付いた。
「望美!こんな所にいたのね。心配したのよ、突然いなくなるから」
「あっ、ごめんみんな」
「本当に…無事で良かった。この界隈は物騒だとも聞きましたから」
緑髪の青年はほっとした顔で胸を撫で下ろす。
どうやらこの二人は神子のお友達だったようだ。互いの無事を確認しあい安心している。
そろそろ放置されていた僕は退屈になってきたので口を開きかけた
その刹那―――――
ザァアアアア…木々が不穏の陰をみせながらざわめきだした。
ビクリと肩を震わす。
――――は間違い……
鬼…………らない…
……の子―――――
――――は捨て……らな…
…空……の君―――
「…………つっ!」
脳みそを縄で縛ったような尋常じゃない圧迫感と痛みに、僕は立っていられなくなってガクリと膝を折り地にへたり込んだ。嫌な汗が全身から吹き出す。
何だ、この痛みは…っ!!
「おい宇鷺大丈夫かよ。顔真っ青だぜ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
僕の異常に気付いたヒノエが、慌ててふらつく僕の身体を支える。何だかいつもよりその声が遠く感じた。
「、宇鷺さんっ」
神子が心配した顔で僕の顔色を見ていたから「大丈夫だよ」と無理にでも笑ってやろうとしたけど、上手く声が出ずにただ顔を歪めるしか出来なかった。
頭はスーッと醒めていくのに額に浮かぶ汗の粒の量が尋常じゃない。視界もぐらぐらする。ドクリドクリと心臓が生々しく跳ねているような気がした。暴れる心臓に気持ち悪さが込み上げる。
今までこんなこと一度もなかったのに…。
「大丈夫ですか!?先輩、この人を弁慶さんの所へ連れていきましょう」
緑髪の青年の口から出た弁慶、という単語に神子はハッとして口を開く。
「あ、そうだね!弁慶さんならなんとかしてくれるよ!」
「弁慶殿なら今頃邸に戻っているはずだわ。急ぎましょう!」
何やら話がまとまったのか、青年が僕の右腕を持ち上げ肩に回す。ガンガン痛む頭じゃこれから彼らに何処に連れてかれるのか理解出来なかったが、今は頼るしかないだろう。
「迷惑…を…かけるね」
「迷惑だなんてとんでもない。貴方は先輩を助けてくれた恩人ですから。…おいそこの君!手を貸してくれ!」
「あ、あぁ…」
呆然としていたヒノエは青年に言われてハッとしたように急いで僕の左腕を持つ。弁慶…とぽつりと呟いたヒノエにどうした?と聞いてあげたかったが今の僕には無理だった。
ぷつん…と糸が切れるように意識が常闇へ沈んでいく。
僕は眠るように、静かに気絶した。
――――は間違い……
鬼…………らない…
……の子―――――
――――は捨て……らな…
…空……の君―――
不気味に囁く複数の声はざわめき続ける。
闇深くに堕ちた、意識。*終幕*
混濁の聲→こんだくのこえ
わからない時代背景や和歌などを何となくで解説している
→
萌葱のほろほろ解説