伊予の戦女神

□桜来、往来
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「(やはり留守か…源氏側につく以上顔を見ておきたかったが、簡単にはいかないね)」



律儀に詰まれた石垣の傍を歩きながら、宇鷺はこれからの事を考える。

源九郎義経。鎌倉殿の腹違いの弟であり、源氏の大将に据えられている御仁の顔を今後のために何としても拝んでおきたかった。鎌倉で政務に励む鎌倉殿に比べ義経殿は源氏軍の指揮を前線で執っておられる。だからこの長く続いている源氏と平氏の忌まわしき戦い、源氏といえば源九郎義経と勘違いしそうになるくらいには彼の影響力が大きい。田舎者故、源九郎義経の顔を知らないのでうっかり無礼を働いて失脚する前に脳に叩きこんでおきたい。

勝浦にまで名声が届くほどだから容易に義経殿には会えないだろうと覚悟していたが、気持ちが逸る分、今日面会出来なかったことが焦燥感を生む。



「門で応答したあの派手な兄ちゃんも今どこにいるのか知らないって言ってたしな…」



少し前、あえて堂々と義経公の邸の門を叩いてみたのだが、出てきたのは弓を抱えた明るい茶髪の若者だった。義経公の部下らしく、はきはきとした口調で義経公の不在を教えてくれた。




「…さて、どうしようかな」



このまま彼を探しにいくのは厭わないが、邸に居ないということは他所で仕事をしているに違いない。まだ時間に猶予はあるし、今日のところは仕事場まで押しかける気はなかった。

ふと、桜の花びらが目の前を通る。

そういえばヒノエには花見に行ってくると言って外出した事を思い出した。こちらの事情に深入りさせないための出まかせだったが、このまま帰ってもすることはないし、土産話にはなるかなと下鴨神社に向かった。




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下鴨神社を通過中、弁慶はふと足を止めた。

本来なら立ち止まっている時間も惜しいのだが、目の前に踊りでた花弁を目にしては止まらずにはいられなかった。



「桜…ですか」



春爛漫の象徴、京の人々の心を捕えて離さない美しい花、桜。

今の時期は丁度花見の全盛期で、桜の木の近くを通ると必ず桜の雨を浴びる。その度に景時に「一人でお花見でもしてきたのかい?」と微笑まれて、僕は苦笑を返すしかなかった。黒い外套についた桜は目立つのだ。

僕を少しだけ困らせる花弁を、手のひらで掬うように掴まえる。わざわざ捕らえようとせずとも自ら手のひらに舞い込んでくる花弁に小さな笑みを浮かべた。

この淡い桃色の欠片たちを見ていると、望美さんと九郎の剣技・花断ちが脳裏に浮かぶ。あの技もこうして風の流れに身を任せて舞い落ちる花弁を一閃するものだった。

花断ちをする二人の姿は素直に美しかった。研ぎ澄まされた集中力に感染されたように張り詰めた空気が己の胸の高鳴りを際立たせ、その高鳴りを胸の内で感じて改めて僕は生きているんだと実感した。

あの緊張感による昂ぶりは、堪らなく気持ちが良かった。



「少し寄り道していきましょうか」



もしかしたらあの緊張感を疑似的にでも感じられるかもしれない。

眩しい春の日差しに目を細める。弁慶は黒い外套を翻して静かに紅蓮の鳥居の内へ足を踏み入れた。




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宇鷺は静かに紅蓮の鳥居の内へ足を踏み入れた。



「へえ。流石、噂に違わぬ見事な桜だ」



青い空にはらりひらりと儚げに浮かび上がる、淡い桃色の欠片たちを宇鷺は恍惚とした表情で見上げ、笑みを浮かべた。

桜の花弁一枚一枚が愛らしく色づいており、はらはらと風に浚われる風景は、なんと荘厳な美しさなのだろう。特に楼門の朱色と桜の無垢な白が重なって幻想的な空気を纏い、鮮やかに風景を彩る。

着物の襲色目(かさねいろめ)でも、桜を表現するときは赤と白を合わせるが、成程この光景を見たら納得がいく。何故最初から赤と白を混ぜて「桜色」と作らないのか不思議だったが、白と赤、あえて別々の色同士で合わせる事でより如実に桜の美しさを表現している。昔の人もこの原理に気付いていて、この組み合わせにしたのだろうか。そうだとしたら稀代の天才だ。

幻想的な光景から放たれる清らかな気を、僕は胸いっぱいに吸い込む。そうすることで身体の内側から浄化されていくような気がした。

熊野や故郷の伊予でも桜は息吹くが、京の桜は格段と美しく見えた。



「これならヒノエも連れてくればよかったよ」



こんなにも幻想的で荘厳な桜は滅多に拝めるものじゃない。

心に燻る溢れてしまいそうな感動に、思わず感嘆の溜め息を零した。そしてふと思う。僕は桜が特別好きという訳じゃない。だが桜は和歌でも"花"と総称して用いているいるくらい、日の本の人々の心を捕らえて離さない魅惑的な花。私の心が惹き寄せられるのもまた道理なのだ。自然の摂理と言えよう。

けれど何故か、下鴨神社(ここ)の桜を見ていると胸が苦しくなって切ないという気持ちになる。この可憐な欠片たちが感傷的にさせているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。



―――世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし



この感情は…?

まるで僕が何か大切なことを忘れているみたいだ。心が虚になってしまっているみたいで、何かが足りない。そんな虚無感を感じている。

寂しい。虚しい。悲しい。負の感情ばかりが胸に募る。



「僕は何か…」



俯いて言葉を言いかけたその時、不意に枝が揺らいで風が桜の花弁を巻き上げた。

天空に向かって逆巻く桜の乱舞に混ざる、金の髪を緩慢に押さえる。陽の光をうけた私の髪は、一瞬だけど白く光った。



「やれやれ、僕の髪を乱すなんて悪戯な子だ」



風に荒らされめちゃくちゃに絡み合う髪を見て、溜め息と同時に安息の息を吐いた。

あれ以上自分の感情を探っていたら後戻りが出来なくなるような…そんな気がした。



「それにしてもぐしゃぐしゃだな。いっそほどいてしまおうか」



乱れ髪でいるよりはマシだろ、そう呟いて宇鷺は髪の結紐を掴んで引っ張った。蒼い月の簪も、躊躇いなく引き抜く。

三編みにより形がついたくるくるの髪が、ふわっと優雅に自由に舞った。



その刹那、一陣の風が吹いた。




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