平和ノ詩ヲ謳歌シヨウ

□夜ノカルテット
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ホー…、ホー……



「……よし」



格子で区切られた深い森と梟の鳴き声を背に、白い縁取りが付いた黒い帽子を目深に被る。

大正時代にトリップして幾度目かの夜。

格子の外に広がる紺碧に浮かぶ白い月は現代とは比較にならないほど美しく、無数に輝く星々も何度見ても飽きさせることなく自分を慰めてくれる。この夜空だけは、この世界に来てよかったと唯一思える宝物だ。

数十分後の事を想像すると緊張で身が強張る。深く息を吐いてベッドから立ち上がり、極力音を鳴らさないようにドアノブを回した。



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「ええと、●●さんのお宅、●●さんおお宅。あと併せて○○さんのお宅も」



ブルルとエンジンを吹かす。昼間に比べて大分活動しやすい気温になった夜の街を郵便自動三輪車で駆けていた。

色んな経緯があって、今、郵便配達員のアルバイトをしている。仕事内容は職業の名前から分かる通り、郵便物を各地にお届けすることだ。この時代は丁度郵便物の受け渡しが昔よりも盛んになった頃合いで、全国でも郵便配達員求ムの声が絶えないほど人材を欲している。常に人材不足という訳ではなく、単に人力作業なので安定した労働環境に整えたいのではないか……と自分は勝手に思っている。

そう思う理由がこれ、郵便自動三輪車だ。郵便物を運搬する方法のうちの一つで、原付バイクより少し心許ない骨格をしていて後ろに郵便物を入れる為の大きな荷台がくっ付いている。この他に運搬方法としては徒歩、自転車、一応車もある。一応、と言ったのは利用者があまり少ないからである。なぜかというと、昔に比べて車が普及してきてるとはいえ、車を走らせる上で重要な道路の整備が追い付いていないからだ。

現代では皆当たり前のように毎日車を走らせている。車の利用者が多い分、道路に不備があった際のフォローも早い。しかし此処では道路の不備が発見されても報告する声が少なくて中々直してもらえないのが現状だ。至る所に小石が落ちてるし、雨の影響か凸凹している道もある。そんな悪い道を態々車で通りたいとは思う郵便配達員はいないのだ。

そして次、自分が乗っている郵便自動三輪車。これは車と比べて小回りが利くので然程道の状況に左右されない。しかし、それでも利用者は少ないのは、こちらはどうしようもない事に運転できる人間が居ないのだ。車を運転できない人は自動三輪車も運転できない、と思っていい。そしてこのご時世、車を運転できる人間がそもそも少ない。必然的に利用者は限られるのだ。



「(運転免許、持っててよかった)」



勿論現代の運転免許など通じるわけがない。ただ一般の人よりも車の造形について理解しているので、初めての乗り物でもあまり怖くないというだけだ。

以上のことから郵便配達員のほとんどが徒歩、自転車組。人海戦術とは少し違うけれど、従業員が多くて困ることはないのだろう。



「(ん、なにか揉めてる?)」



路肩に三輪車を止めて地図を確認しようとしたら、前方から荒々しい怒鳴り声が聞こえてきたので顔を上げる。



「おいお前が村雨先生なんだろぉ?どうなんだよ!」

「だから人違いだって。さっきから何度も言ってるだろ。いい加減解放してくれないか」

「嘘吐くんじゃねえ!」



顔を赤らめた青年たちが和装の長身の男性につっかかっていた。顔が赤い青年たちは和装の男性を頻りに『村雨先生』と叫んで噛み付いているが、和装の男性は迷惑そうに顔を顰めている。内輪揉めではなく、ただ酔っぱらいに絡まれているだけなのだろうか。兎にも角にも止めなくては。



「そこまでであります!それ以上喧嘩を続けるようなら警察を呼ぶでありますよ!」



自分が警察だと言えないのが歯痒い。唇を噛んで両者の真ん中に割って入る。酔っぱらいたちは【警察】という単語に一瞬ビクッと肩を震わせたが間に入ったのが一介の郵便配達員だと気付き、青くした顔を再び赤くした。



「邪魔をするな!我々は今大切な話をしている!」

「大切な話なら飲酒する前に片を付けるべきであります!日を改めなさい!」

「たかが郵便配達員が、誰に向かって口答えをしている!?」



激昂した一人が竹刀を振り下ろす。何用の竹刀なのか気になったが、それよりも先に警棒で防いで横へ流した。頑丈な警棒に流石の竹刀が少しひしゃげる。その様子を見ていた酔っぱらいたちはパクパク金魚のように口を開閉した。

背中からは興味深そうな「……ほお」が聞こえる。感嘆している場合ではないでありますよ。



「己の主張を通すために暴力を振るうのは愚か者であります!醜聞が広がる前にさっさと帰りなさい!」



【醜聞】という言葉が効いたのだろう。

立場も身分も知らないが、酔っぱらいたちは裸足で逃げ出す勢いでこの場から姿を消した。余程偉い人たちだったのだろうか。今はもう確認する術はない。



「あんた……」

「災難でしたね。お怪我はないでありますか?」

「ああ。御蔭様で」



振り向くと、和装の男性は「助かったよ」と至極シンプルなお礼を述べたので「いえいえ」と頭を下げる。それより……。

じっと男性の顔を見つめた。



「(この男性のことをどこかで見たことがある気がする。どこでだっけ……?)」



萌葱色の肩まで伸びた髪、長い前髪から覗く気だるげな朽葉色の双眸が不躾に凝視する自分を見つめ返す。その瞳に不快感は無く、かといって何か別の感情が浮かんでいるわけではない。

無感情。見つめ合って何分経過したのだろうか。先に口を開いたのは彼の方だった。



「……そんなに見つめられたら穴が開きそうなんだが」

「す、すみません。あの……付かぬ事をお尋ねしますが、前にどこかでお会いしましたか……?」

「は……」



和装の男性はぽかんと口を開けて瞠目する。顎に手を当てて、やや思案に耽る仕草をした後にこちらを見た。



「それは新手の口説き文句か何かか?俺はあんたと会った覚えはない」



パッカーン。竹が割れる音がした気がした。

こうも清々しく否定されると、一片の疑惑も吹き飛んでしまう。



「自分の勘違いだったようであります!変な事を訊いてしまいすみません」

「別にいい、助けてもらった身だしな。それよりあんた仕事の途中だろ?戻らなくていいのか」



ちょいちょいと三輪車を指差されて、ハッと息を飲む。



「そ、そうでした!失礼致します!」



懐の懐中時計を取り出してギョッとする。配達自体は夜明けまでに終われば問題ないが、ダリウスたちに黙って邸を出てきてるので出来れば早急に終わらせて帰りたい。和装の男性を一瞥して頭を下げ、スタントマンも驚きの飛び乗りで固いサドルに跨る。そしてまた夜の帝都を駆け出した。



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「次は植物園のもっと奥……」



黄緑色の自動三輪車は住宅が密集する通りを抜けて、赤茶色の煉瓦で囲まれた屋敷へ訪れた。この辺りは比較的ガス灯が多くて助かる。安全運転で来ることができた。

郵便受けは門のすぐ傍にあったので、サドルに座ったまま該当の郵便物を入れる。良い感じに荷台が軽くなった気がした。荷台の重量に対して封筒がいくつか消えただけたので、本当に【気がした】だけだが。



「さてさて、次はっと」

「もしかして、そこにいるのは白菊さんではありませんか?」



突然名前を呼ばれて顔を強張らせる。この世界に来て日が浅い自分には気軽に名前を呼んでくださるような知人はいない。白菊桔音という名前を知っているのは、蠱惑の森の面々だけだと思っていたが……。

警戒しつつ、恐る恐る振り返る。そこにいた人物に驚いてだらしなく大口を開けた。



「か、片霧殿……あ、いや!片霧さん。え、どうして……今晩は……」

「今晩は。ふふ、最近はよくお会いしますね」

「ソ、ソウデスネ」



本当だよ、つい先日も会ったばかりじゃないか。

とは言えずに曖昧に笑った。

何故こんな場所でこんなタイミングで都合よく彼に会ってしまったのか、それはもう一時の夢として片付けよう。

片霧殿は夜でも涼やかな好青年ぶりが凄まじく、ガス灯の灯りに照らされた金髪が美しい。ダリウスの金髪もそれはもう美しいなと思っているが、あの冴え冴えとした金とは違って片霧殿の金は温かさと優しさが滲んでいるように自分には見えた。今軍服姿ということは、こんな夜遅くまで仕事をしていたのだろうか。

あまりににこやかな顔をしているから、残業をしてきたようには見えないけど。



「家庭教師は辞めたんですか?」

「へ」

「その恰好、郵便配達員ですよね。職を変えたのかと」



そういえばこの人の前ではそんな設定があった、と思い出し顔を顰める。不味い。誤魔化さなければ。



「……あ、もしかして触れてはいけない事でしたか?申し訳ありません」

「い、いいいえ!決して!やましい事はなく!これはけ、兼業です!このご時世ですから、肉体が若くて働けるうちにいっぱい働こうと思って!」



怪しまれないように堂々と発言しようとした結果がこれである。情けないほどにいっぱいいっぱいな感じになってしまった。今が夜でなければ蒼白した自分の顔が片霧殿にモロバレしていただろう。

そういえば。何気なく使ってしまったが、はたしてこの時代に【兼業】という単語が存在し、許されていたのだろうか。勝手な想像だが、家の爵位などを除いて「花屋と医者をやってます」とか「船乗りと探偵やってます」とか、あまり職が結びつかない組み合わせは評判がよくなさそう。現代と違って職人気質が美徳、みたいな……考えるほど不安になってきた。



「へえ……若いのにしっかりしていますね」



あ、問題なさそうだ。

胸を撫で下ろした。



「(セーフ!ボロが出る前にさっさと去ろう!)」

「(……郵便配達はほとんど男性の仕事。自動三輪車を乗り熟している事を鑑みても、やはり『彼』なのか?)」

「で、では私はこれで失礼致します」

「(分からない。推測だけで判断してしまうと腑に落ちなくてもやもやする)」

「おやすみなさ――」

「待ってください」



ジリジリと後退していたのがバレたのか、ガシッと力強く両肩を掴まれる。彼の瞳の眼光が鋭くて、ヒッと息を飲んだ。掴まれていたのは数秒程で、すぐにパッと両肩の圧が消える。



「ああああああの?!」

「……驚かせてしまってすみません。虫がいたものですから」

「虫」



え、両肩に?それって虫ごと肩掴んだってこと?

一気にゾワッと肌を粟立たせて恐る恐る肩に視線を巡らす。まずは右、よし、掴まれた時の皺以外何もない。そして左、ヒッ!何か細長いものが虫の足みたいに動いてる!あ、これ髪の毛だ。良かった生きた。

取り急ぎ髪の毛を摘んでその辺に投げた。



「仕事中に引き留めてしまいすみませんでした。僕は此処で失礼します。あまり無理をしてはいけませんよ」

「は、はあ。ありがとうございます…?」



彼のせいで心臓はバクバク、少し涙目なのだが、片霧殿は特に気にした様子もなくにこりと微笑んで会釈し、数分前に手紙を投函した建物に入っていった。お決まりの爽やかな笑顔に先程の珍事を掻き消されたように感じるのは気のせいだろうか。

釈然としない思いを抱えつつ、折角相手から解放してくれたので急いでサドルに跨がる。慣れた手つきでエンジンをかけ、逃げるようにその場を後にした。



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