平和ノ詩ヲ謳歌シヨウ

□東京巡リコンチェルト
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チュン、チュン



「…うう……」



格子で区切られた深い森と鳥の囀りを背に、自分は顔を両手で覆って唸り声を洩らす。

6月21日。

大正時代にトリップして3日目の朝。昨晩の痴態を思い出し、穴に入りたい衝動を必死で抑えた。あの後ルードさんに事情を説明して一応理解していただけたものの、異性も住んでいる建物でYシャツ1枚になるなんて非常識だとすっっっごい怒られた。仰る通りだ。

心の傷が癒えないまま何とかベッドから立ち上がり、ふらふらとした足取りでカチャリとドアノブを回した。



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「(掌がジンジンする…今日はいつもより多めに薪を割ってしまったから……)」

「おはよう、ダリウス。白菊さん」



赤くなっている掌を虚ろんだ目で見ていたら、高塚さんが爽やかに食堂に姿を現した。ああ、落ち込んでいる自分には彼女がそこにいるだけで空気が清らかになっていくように見える。マイナスイオンが見える…。



「おはようございます、高塚さん…」

「おはよう。もうじき朝食だよ。座っておいで」

「うん」



高塚さんはダリウスの促しに素直に頷き、昨日と同じ席に着席する。全員揃ったことを確認してダリウスは新聞を閉じた。

これから何かお達しがあるのだろう…その場の空気がピンと張り詰めた。



「虎は、目を開けておきなさい」

「…ふあ」

「(あくびで返事してる…)」

「桔音はいい加減顔をあげなさい」

「…了解であります……」



いつまでも欝々と諄いと思われるのは嫌だったので渋々顔をあげる。大きな窓から注ぐ日光に銀の食器がキラリと反射し、眩しくて目を細めた。



「昨日は活躍したんだってね。梓。ルードから聞いてる」

「活躍ってほどじゃないけど…」

「怨霊討伐は、危なげなくこなしていましたね。この様子なら、あの件も問題ないかと」

「…あの件?」



高塚さんがルードさんの言葉を復唱して自分もぱちりと瞬きをする。発言者のルードさんはしまったとでも言いたげに微かに瞠目して、すぐに目を伏せた。ダリウスはにこりと華やかに微笑んだ。



「…君が元の場所に帰る準備を進める件だよ。怨霊を倒せば陰の気が溜まり、君の力が強まる。龍神も力を取り戻すよ」

「…?」

「そうだったね。じゃあ、毎日怨霊を退治していけばいいんだ」



一瞬ダリウスの言葉に違和感を感じたのだが、一瞬過ぎてどの言葉に引っかかったのか精査できなかった。もやもやするが今問いたださねばいけないほど重要性があるとも思えなかったので、黙ってる。



「…って言っても、簡単じゃないね。帝都は広いから倒す怨霊の数も多そう」

「焦らないことです。まずは1体ずつ倒していきましょう」

「わかりやすく、俺から目標を提示しようか」



そう言うとダリウスは小さな紙と万年筆を取り出し、さらさら何かを書き出した。



「そうだね…大体、これぐらいかな。はい、どうぞ」



どうやら怨霊の目標討伐数を紙に書いたようで、紙を受け取った高塚さんは顔色を変えずに頷いた。あのリアクションだと無理難題を吹っ掛けられてはいなさそうなので安心する。



「このペースで倒していけば龍神も元気になって元の世界に帰れるってこと?」

「おそらくはね」

「目安があると俄然、やる気が出るよ」

「ええ、その意気です」

「頑張って、梓。期待している」

「…ふあ」

「(…今のはあくびで、励まされたの?)」

「自分も精一杯、高塚さんを助力する所存であります」

「はい。白菊さんがいてくれると心強いです!」



各々から激励され、高塚さんは気合を入れている。自分も彼女のために勤めに励まねばと改めて気を引き締めた。



「そうだ。同行する者も、今日からは君が好きに選ぶといい。あんまり大人数で怨霊退治するのも目立つし、2人までがいいだろう」

「では自分を入れたら必然的に1人ですね」

「………」



ダリウスは顔に柔和な笑みを貼り付けながら、自分を凝視する。その目はあきらかに「許可できない」と訴えていたが、自分だって高塚さんと共に行動できなくなる可能性は許可できなかった。

しばらく互いに見つめあう。



「…譲りませんよ、ダリウス公」

「…わかったよ。桔音をカウントせず、2人選んでね」



先に折れたのはダリウスの方で、やれやれと肩を竦めた。ぱっと顔を綻ばせる。



「ありがとうござます!ダリウス公!」

「いいのですか、ダリウス様。少し甘いのでは?」

「仕方がないだろう。桔音は絶対譲らないと決めたら俺から目を逸らさないんだ。あの眼力には敵わないよ」

「眼力……ですか。前髪で見えないと思いますが」



ルードさんの訝し気な眼差しを受けて曖昧に笑う。それが気に入らなかったのか、眉間に皺を寄せたルードさんはスタスタこちらに歩いて来て、あろうことか自分の前髪に手を伸ばしてきた。慌てて前髪を両手で押さえてガードする。



「だだだだだダメでありますよ!これはパンドラの箱であります!」

「大袈裟ですね。今朝は前髪をあげていたではないですか」

「それは薪割のためであって……!」

「面白いことしてんじゃねえか。手伝うぜ」

「虎は黙って座ってろであります!」



「てめえ」と低い声音で圧をかけてくる虎を無視して、ルードさんとの攻防に集中する。



「おや、ルードは桔音の素顔を見たのかい?」

「いえ。彼女が薪を割っているときは後ろ姿しか見えません。私が話しかけるとすぐに髪飾りを引き抜いて前髪を戻してしまうので」



ダリウスとルードさんの視線を受けてガッチリ前髪を押さえ、いやいや首を振る。どうせ見たところで「すごい不細工!」と言われるのが関の山なので、自分のハートがブレイクする前に『白菊桔音はこういう生き物なのだ』とインプットしていただきたい。



「とととところで高塚さん!今日は誰を連れていきますかっ?」

「えっと、じゃあ………」



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煉瓦造りの見慣れた建物が眼前に広がる。

自分たちは東京駅に訪れていた。現代でも馴染みがあったのと二度目の訪問ということがあり、心持ち軽い足取りで駅の前を歩く。あの時と異なり日が高いうちに見る東京駅はとても温かそうな色をしていた。色につられてつい笑顔を浮かべる。



「俺を選んでいただけて光栄だな」

「ダリウス様がいらっしゃると心強いですね」



今日のお供に高塚さんが指名したのはダリウスとルードさんだった。日に日に洋装化されている東京駅周辺で、これまた洋装の整った顔立ちの男性二人がこの場に存在していることは馴染んでいるように見えて、全く馴染んでいないと思ったのは自分だけじゃないだろう。高塚さんが忙しなくきょろきょろと周囲を確認している。

しかしその配慮はもう遅い。すでに何人かの貴婦人の好奇な眼差しがこちらに注がれている。



「(大人数は目立つからと人数を制限したのに、これではまるで意味がないであります……)」



では仮に、二人のどちらかが虎だったらこの事態を回避できたのか?と考えて首を振る。



「(否。虎は虎で整った顔してるし、何よりあの長身では目立つ)」



異世界から来た自分たちの方がよっぽどこの景色に馴染んでいるような気がする。



「…………」



嬉しいような嬉しくないような複雑な気持ちになった。



「梓?足を止めて、どうかしたかな」

「ごめん、すぐ行く」



少し離れた所で、高塚さんが駅舎を見つめて足を止めていることにダリウスの指摘で気が付いた。自分も気になって彼女がこちらに戻ってくる前に傍へ向かう。



「大丈夫でありますか?」

「はい…すみません、立ち止まってしまって」

「見覚えのある建物を見てしまえば、立ち止まるのは当然であります。特に東京駅は、数年前に改装したせいで見た目もほぼこの東京駅と同じですからね」

「この駅舎だけ見ると時空を越えたってこと、一瞬、忘れそうになるんです。周りの景色のほうは現代と、かなり違うけど」



何度見てもこの建物だけは、自分たちが知っているままの東京駅なのだ。

嫌でも郷愁を感じずにはいられないのだろう。



「……そうですね。駅舎はそのままなのに、道路が土だったり路面電車が走ってるなんてとんだ夢物語であります」

「道行く人も、洋装だったり和装だったり軍服だったり――」

「はい……軍服?」



何気なく言ったのだろう。高塚さんの言葉にハッと瞠目した。

彼女の視線の先、様々な洋服に身を包む人々が往来するその道の奥に見たことがある金髪の軍人がいた。



「(あれは『有馬隊長』の補佐をしていた『秋兵』…?)」

「今の人、確か精鋭分隊の……白菊さん、隠れなきゃ」

「待って!」

「…っ」

「待ってください!」



今日はあの爽やかな『有馬隊長』は一緒じゃないらしい。金髪の彼の人はこちらの方向に制止の声を投げかけ、どんどん近付いて来た。ダリウスとルードさんは当たり前のように姿を消している。

気付いていたのなら、一緒に連れ出してくれたら良かったものを。

考えている暇はない。はあ…と重い溜め息を吐いた。



「…高塚さん。またアレいくであります。ダリウス公が『旦那様』ですよ」

「えっ」

「お嬢様、旦那様のお姿が見当たりません。手分けして探しましょう!」



適当な事を叫んでドンと高塚さんの背中を押した。高塚さんは驚いていたが、その顔もやがて人混みの中に消えた。彼女が人に紛れる前に一瞬だけ白い布が見えたから、ルードさんが彼女を回収してくれたのだろう。

それならば安心だと肩から力を抜く。踵を返し、向かい来る『秋兵』と対面した。ぺこりとお辞儀をする。



「(…おや?不思議そうな顔をしている)」



顔を上げた先にいる『秋兵』は何故かアメジストの瞳を丸くしてこちらを凝視していた。呼び止めたのはそちらの方なのに…と首を傾げた刹那、



「(む、気配!)」



何かの気配を察してバッと振り返った。ねっとりとした温風が首筋にかかる。背筋をゾワゾワと震わす吐息の持ち主は、くりりとつぶらな瞳でこちらを見つめながら「ヒヒーン」と可愛らしく鳴いた。予想だにしなかった展開に瞠目する。



「馬!?初めて生で見たであります!」



どうやら自分は馬車の通行を遮ってしまっていたようで、お利口な馬が自分(人間)を察知して止まってくれたのだ。つやつやした毛並みとふわふわの立髪につい興奮して、『秋兵』のことを忘れてわしゃわしゃ撫でる。



「ちょっと兄ちゃん、勝手に馬に触らないでくれ」

「ああ、失礼しました。こんなに近くで見たのは初めてだったので、つい興奮してしまいまし…くしゅん!くしゅん!」



馬車の持ち主の尤もな注意に謝罪しようと向き直ったが、突然鼻がむずむずしてくしゃみをする。辛うじて頭を下げる事は出来たが、くしゃみが絶えず涙も薄っすら出てきた。口許を抑えて一人静かに瞠目する。

これは、まさか。



「(なんだと。自分は馬にも弱かったのか)」

「大丈夫ですか?白菊さん」

「くしゅん!…大丈夫…です……」



なんという凄惨たる悲劇。この身体は犬猫に留まらず馬も拒絶しているというのか。

くしゃみと涙と傷心でぐちゃぐちゃだ。よくスマホで動物の癒され動画を観ているだけに傷心は一入である。お気に入りは大きな犬と人間の赤ちゃんが一緒に過ごしているやつ。



「(って、今はそんなことはどうでもよくて……)」」



感傷の沼から這い出し、哀れな自分を気遣わしげに見ている『秋兵』の顔を一瞥する。何の目的があって近付いてきたのかは不明だが、適当に話してさっさとこの場を切り上げよう。落ち込むのはその後だ。



「先日ぶりです。覚えておいででしょうか?」

「くしゅん!覚えていますが、くしゅん!まだ貴殿のお名前を拝聴しておらず…」

「それは失礼しました。僕は片霧秋兵と申します。……本当に大丈夫ですか?」



流石軍人というか、単に彼の素養が秀でているだけなのか。こちらの不躾な態度に不快さを表すことなく優雅に自己紹介をしてくださった。最後の言葉にぽろぽろ涙を零しながら大丈夫だと頷く。



「くしゅん!失敬…動物の愛らしい毛並みに弱いもので…」

「それは大変ですね。あの」

「ええ…ですので、大変心苦しいのですが私は失礼いたします。ではまた、片霧さん」

「あ、待っ」



さようなら敵か味方かも分からない優しい人。

彼の言葉を遮り、敢えて人の流れに逆らうように雑踏に踏み込む。そして一度も振り返ることなくそのまま姿を消した。



「(あーあ、聞きそびれちゃったな…)」



その場に取り残された片霧殿の思いは露知らず。



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