お伽噺ー零ノ域ー
□燻った未来
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『違います。でも…クラスのみんながそう言って……そのうち俺も、そうなんじゃないかって…』
よく見ると壬生の身体にはうっすらと痣が沢山あった。それは彼がクラスでいじめられていたのだと如実にわかる。
『何言ってんだ。医者が伝染病っつってないなら違うだろ』
『そんなの、わかんないじゃないですか…本当だったらどうするんですか…?』
『素人の言葉よりも専門の先生の言葉を信じてやれよ…ほら!』
『ッちょ!?』
じれったくなって私は伸ばしかけていた手を動かして壬生の頬にハンカチを押し付けた。壬生は目を丸くして顔を蒼白させる。お、面白い顔してんじゃん。
『あ、俺に触ったら…!』
『うるさいな。人はいずれ死ぬんだよ。早いか遅いかの違いだろ。私は知識の乏しい未熟な人間の言葉なんて信じないんだよ』
『…っ京極さん…』
壬生の大きな瞳がこれでもかってくらいかっ開く。もし仮にこいつが本当に伝染病でも私は怖くない。正直な話、私の時間を害さなければどうだっていい話なのだ。
害さないなら、私の近くにいたっていい。
『私は毎日ここにいる。暇だったらいつでも来なよ。だが授業は出ろ』
『俺みたいなのが…来てもいいんですか?』
『図書室は皆のものだから誰が来てもいいんだって。次は…ちゃんと席に座りなよ』
無人の椅子を指さして私は笑った。
これが二人の出会いで、3年生残りの学生生活はほとんど毎日一緒に図書室で過ごした。お互いに進路を就職に決めた時は離れ離れになるかなと思っていたけど、陰でこっそり壬生はまそほ屋の内定をもぎ取ったらしくて涙を流しながら喜んでいた。
輝かしい青春時代ってやつ?
「凍花さん?どうかしたんですか」
「んーちょっと、ね。何でもないよ」
「昔から凍花さんってぼーっとするクセがありますよね。何か視えてるんですか?」
「…あぁ、視えるよ。お前の後ろに髪が長い血まみれの女が」
「ひ!俺そういうの苦手なんですよ!止めてください〜」
ビクビクッと肩を震わせて後ろを振り向く壬生に私は笑った。最初はいてもいなくてもどうでもいいやつだと思っていたけど、感情豊かな壬生の言葉や表情は荒んだ私の心を癒してくれた。私の身に何か悔しいことがあれば必ず壬生は怒って、悲しいことがあれば涙を流せない私の代わりに泣いてくれて、言葉が足りない私の為に言葉の限りを尽してその場を繕ってくれる。私が他人との間に大きな溝を作ることなく生きてこられたのは壬生のおかげなのだ。今の仕事だって、壬生がいてくれなきゃ私はただの操り人形と成り下がるところだった。
壬生の純粋な応援に応えたい。やつの為なら
まそほ屋を継ぐのも悪くないと思えるんだ。
…例えそれが私の本当の想いを押し潰す結果となっても。
壬生の居場所だけはもう押し潰されないように。
「凍花さん。頑張ってほしいですけど無理はダメですよ?」
「はぁ…頑張れと言ったり無理するなと言ったり」
「う、すみません」
「心配するなって。手は抜かず、ほどほどに仕事してるからさ」
にっと笑えば壬生は胸を撫で下ろして「よかったです」と微笑んだ。彼の一房の白髪が風にいたずらに舞う。病気だった頃の名残だそうだが、壬生の元気な姿にはそれが眩んで見えた。
「ふふ…無理したいところだが、無理をしようとすれば宗方が止めるからまだ仕事が全然進んでないのが現状でさ。困ったもんだ。睦月くんも遊びに来てくれるのはいいが仕事が進まないし…前途多難だよ」
「!宗方先生がいるんですかッ?」
「ん、ああ。言ってなかったか?」
仕事先が偶然被っちゃってさ〜と呟けば壬生は顔をパアと輝かせてそわそわしながら周囲を見回した。嬉しそうな壬生の表情に私は苦笑する。そういえばこいつは昔から宗方のことを『先生』と呼んで慕っていたな。
宗方も私と同様で、世間の目などとんと興味のない男だったから壬生とすぐに仲良くなった。その時入院していて遅れてしまった壬生の学力を補ってくれたのが宗方。だから宗方先生。
「宗方なら今日は真壁さんと一緒に黒澤家の屋敷の中を案内してもらっているから会えないと思うよ。あそこ広いし」
「えー会えないんですか?残念です…運が悪かったですね」
「伝言があるなら伝えるよ。何ならあいつに手紙でも書かせようか?」
「手紙…は!そうでした!」
何かを思い出したように壬生は慌てて懐に手を押しやった。そして大切に白い封筒を抜き取ると私の目の前に差し出す。
「ご当主からお預かりしました。返信のお手紙です」
「―――それが一番大事なモノだろうがァアア!!」
「痛ーッ!?」
ガツン!と壬生の頭部にチョップを喰らわせると反動ではらりと壬生の手から落ちた封筒をキャッチした。
前にこの皆神村についての詳細を請うた手紙を菊代おば様に出したのだが、予想よりも早くおば様は返事を書いてくださったようだ。有り難いことだ。一刻も早くこの村のことを知りたかったから。
「…だというのに忘れていたとは一体どういう了見だ。ああ?」
「こわ、怖いです」
「ったく。じゃあ用事はもう済んだから今日は帰りな」
「え〜折角凍花さんと会えたのに」
ぶーぶーと唇を尖らせている壬生に私はしっしっと手を振る。私だって本音を言えばお茶でも飲みながらゆっくり談笑といきたいところだが、
「(……誰かに見られてんな)」
壬生に気付かれないようにそっと周囲を見渡す。いつもと変わらない真っ赤な鳥居、そよぐススキ、少し不気味な双子地蔵、大きな岩石…そして鋭い視線。
「(殺気…とまではいかないみたいだけれどこれ以上壬生をここに留まらせてたら危ないかもしれない)」
何を、とまでは言えないけれど一部始終の話を聞かれて痛いほど視線をぶつけられたらそりゃ警戒もする。
…皆神村。ここは一体何を隠しているんだ。
「早く帰らないと夜になっちまうぞ。唯でさえもあの森は薄暗いんだから明るいうちに帰りなさい」
「…はぁい。わかりました」
渋々、といった感じだったけれど壬生が頷いてくれたことにほっと安堵した。馬小屋に荷物を運んでくれてた体躯のいい男たちも戻ってきたし、丁度よかったな。
「…凍花さん」
「ん、何?」
「店に、戻ってきてくれますよね?」
壬生の問いかけに私は目を見開いた。
心配そうに黒曜の瞳が揺らいでいて、私はドキリと心臓を震わせる。
なんだ、まるで私が店に帰ってこないような言い方じゃないか。
「か、帰るよ。決まってんでしょ?」
「…ならいいんです」
「変なことを聞いてすみませんでした」と壬生はペコリと頭を下げていつもみたいにふにゃっと笑った。私は妙にドクリと脈打つ胸を抑える。
帰る。私は帰るよ、まそほ屋に。
決まってるじゃない。私はそこを継ぐ人間なんだから。
でもどうしてだろう。
「(私がこの村から出た未来が描けないなんて…)」
無事に仕事を終える未来なら頭の中に描けてる。なのにこの村から出た後の私の未来が浮かんでこない。どうしても。
…継いだ後の仕事が未知数だから、理解できていないだけなのだろうか?
ザワリと不気味な風が私の頬を撫でた。
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