お伽噺ー零ノ域ー
□不意打ちの紅花
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「私、夜が好きなんです」
ぽつり、と話し出した紗重お嬢さんは、気恥ずかしそうに反物を握り水面に映る月影を見つめていた。
私の様子の変化には気付いてないようで安堵する。
「時々、どうしようもなく心が黒くなっちゃう時があるんです。その…詳しくは言えないんですけど……心が闇に捕らわれて嫌な方向にばかり考えてしまって。そんな時、外に出てこうして湖を見つめるんです。私自身が夜に融けるような感覚が妙に心地良いんです」
涼しげな夜風に気持ち良さそうに目を細めるお嬢さんに、なんて言葉をかけていいのか分からずに立ち尽くした。
何も知らない無垢なお嬢さんかと思いきや、心に歪みを抱えていたとは。
お嬢さんの気持ちはよくわかる。
夜が心地良いのは、きっと罪意識が薄れるからだ。大量の漆黒に自分の黒い心を埋めることで、負の感情を共有したような錯覚に陥り自身の黒がちっぽけに感じるから。
…家を継ぐと決まった時の私も、随分と荒れてたからなぁ
だから痛いくらい気持ちがわかる。
「黒い着物を着ているのはそのためですか」
闇と、融ける為に?
「自分では意識していないんですけど…多分、そうなんだと思います」
「勿体ないです」
「え?」
「ほら、こうしちゃえば」
グイッと向日葵の反物を掴んで紗重お嬢さんの着物の上にぴったり這わせる。
黒が向日葵に侵食される。
私の行動に戸惑いながらお嬢さんは目を丸くした。
「凍花さん、何を」
「んーやっぱり素材がいいから反物が映えるわね。貴女に黒なんて似合いませんよ。この水色に咲く向日葵が良くお似合いです」
「!」
紗重お嬢さんはこれでもかというくらい目を開いて驚いた顔をした。
今まで頼りにしていた黒の否定に、少なからず躊躇っているのだろう。
それでいいんだよ紗重お嬢さん。
貴女に黒はまだ早すぎる。
「いや、向日葵もいいけど金魚も似合うな。むむっ朝顔も捨てがたい…水仙でもいいわねぇ。紫陽花もいい!」
「凍花さん」
「ん、なんですか?リクエストですか?」
「…ありがとう」
「いーえ」
まるで心の靄が払拭されたような晴れやかな顔で、紗重お嬢さんははにかんだ。
嬉しくなって私もニカッと笑う。
衝動的にお嬢さんの頭を撫でたくなった私がそっと手を伸ばしたその刹那。橋が微かに軋む音が耳に入り、サッと手を引っ込めた。
誰かがこっちに向かってきてるようだ。
「……。紗重お嬢さん。すっごい名残惜しいんですけど、私はここで失礼させていただきますね」
「ど、どうして?もう行っちゃうんですか」
「お嬢さんにお迎えが来たようなので」
ずれ落ちてきた他の反物を腕に掛け直し、「では」と簡素な挨拶だけをしてお嬢さんの脇をすり抜け一足先に屋敷に向かった。
向日葵の布、貸しっぱなしだけど後で回収しにいけばいいよね
呑気に考えながら歩いていれば、紗重お嬢さんに似た子が私を横目で見ながら通りすぎて行った。
黒い髪、白い肌、大きな黒曜の瞳。
「(あれが八重お嬢さんかぁ〜…)」
「凍花」
「わ。宗方…どうしたんですか?そんな所で」
丁度階段を登り戸を開けようとした時に、壁に寄りかかりながら私を見つめる宗方がいて驚いた。
手は反物に塞がれ燭台を持っていなかった為に、奴の登場は心臓に悪すぎる。
「帰ってくるのが遅すぎやしないか。もしかして迷ってたのか?」
「こんな大きなお屋敷に辿り着けない訳がないでしょう。少し話し込んでいたら遅くなったんです」
「…あまり心配をかけさせるな。探しにいくところだったよ」
「宗方が?まさか、ありえない」
普段意地悪言ってくる男が何をいう。
思わずケラケラ笑うと、宗方は蔑むように私を見下してハァと溜め息を吐いた。
「あのな、帰ってこない凍花を探すのは俺の役目なんだよ」
「…何かまそほ屋(ウチ)に言われたの?」
「違う。けど俺は凍花を一人にしないと決めたんだ。だから居なくなったら心配だってするし、探しにも行く。だが出来ることなら余計な心配をかけさせないでくれ」
真剣な宗方の眼差しに、私はぐっと言葉を詰まらせた。
この男は昔からそうだ。変に熱血漢だし義理堅いし、過保護だしお人好し。
いつも私を見ていてくれる。
「…………」
「凍花、聞いてるのか」
「…聞いてますよ」
今、燭台持ってなくてよかったと思う。
「まったく…おかえり」
「…ただいま」
柄にもなく照れた私の顔を
見られなくてすんだから
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