伊予の戦女神
□兎は月見て何を想う
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平家は沖へ逃れた。僕たちも急ぎ軍を立て直して行かなければならない。なんとか立てるようになった僕はリズの腕から離れ、飲んでもいないのに千鳥足で頼冬の隣に並ぶ。
宇鷺「イイ展開になってきたじゃないか。なあ頼冬」
頼冬「フラフラの身体で何言ってんだよ。さっさとやること済ませて休もうぜ」
宇鷺「そうだね。早いとこ高縄城に帰ろう」
頼冬「ばっ冗談だろ。疲労困憊であの険峻な山を登れるかよ!」
あまりに嫌そうな顔をするので「冗談だよ」と付け加えたが、冗談でも嫌だったらしく、げぇとしかめた顔が戻らない。
碧海「宇鷺様。本日は近場に温泉がある宿を用意しています。そちらでお休みください。頼冬様も是非」
宇鷺「温泉!いいねぇ」
傍に控えていた碧海
宿を取ってくれていたらしい。
頼冬「碧海は本当に優秀な男だな。宇鷺が羨ましいわ」
宇鷺「はは、だろ?あげないよ」
景時「宇鷺さん!」
誰かの手が僕の腕を掴む
宇鷺「久方ぶりだね景時殿。さっきは助けてくれてありがとう」
腕を掴まれて振り向けば、景時殿。笑顔で対応する。
景時「宇鷺さん、これは一体どういう……生田の時、どうして君は…!」
ふむ、そういえば僕が最後に一緒にいたのは景時殿だ
本陣に戻ると嘘を吐いて姿を消した
宇鷺「待って待ーって。あの時は嘘吐いてごめん。景時殿は何が起こっているのか知る権利があるけど、話すと長くなるんだ。一旦どこかで落ち着いて話させてよ」
圧し潰されそうな勢いに少しだけ背中が反れる。
宇鷺「碧海!宿はどんな風に取ったんだい?」
碧海「宿ごと押さえました。ある程度人が増えても問題ございません」
宇鷺「うん、流石は碧海。有能すぎて惚れ惚れするよ」
うんうん頷く
景時殿からひょいと顔を出し、皆を見た
宇鷺「もしよければ、皆僕が取っている宿に来ないかい?温泉付きだよ」
〜
碧海が取った宿は云々。夜空に煌々と星が輝いている。
僕は衣服を脱ぎ捨て、暖簾をくぐった。
宇鷺「おや、今夜は満天の星が美しいね」
先に温泉に入っていた……望美ちゃんと朔ちゃんが驚いた顔をした。
望美「宇鷺さんっ?え、え、えええ!?」
望美ちゃんの反応に嬉しくなってにこにこしながら湯船に近付く。
朔「ちょっと!こっちは女湯……。えっ?」
鬼のように目をつり上げる朔ちゃんににこりと微笑む。
宇鷺「♪」
驚く二人を無視して湯船に入る。
乳房がぷかりと湯に浮かぶ。それを信じられないような目で見つめている二人。
宇鷺「はあ、極楽極楽。男装しているときは胸が苦しくって仕方ないんだよね。解放されてる今が最高〜」
これ見よがしに胸を張りながら肩までつかる。
宇鷺「二人ともちゃんと肩まで浸かりなさい。風邪ひくよ」
朔「宇鷺さんあなたその姿……女性だったの?」
宇鷺「うん。あれ、景時殿から聞いてないのかい?」
朔「いいえ…いいえ……」
普段しっかりしている朔ちゃんの狼狽ぶりが少し哀れに思えてきて、居住まいを直す
宇鷺「見ての通り、僕は歴とした女。色々と事情があって男装してたんだ」
訳を言うつもりはない
「あ、こんなだけど正真正銘、この僕が河野水軍を統べる河野通信だから安心して」
宇鷺「ああ、男として生きたかったんじゃなくて、役目を果たすためには『男』であることが必要だったから男装してただけなんだ。そこは勘違いされると困るよ」
望美「役目っていうのは『河野通信』として生きること?」
宇鷺「違うね。その名前も役目を果たすための道具に過ぎない」
朔「じゃああなたは何がしたいの?」
宇鷺「何がしたい…ね。あははははは!」
朔ちゃんのストレートな質問に笑った
譲「先輩!先輩聞こえますか!」
隣から譲の声が聞こえる
望美ちゃんはびくりと肩を震わせる
望美「ど、どうしたの譲くん」
譲「俺の気のせいだったらすみません。そちらから宇鷺さんの声が聞こえた気がしたのですが!」
宇鷺「大正解〜。僕はこちらにいるよ〜!」
譲「はあ!?」
宇鷺「ぶはっ!」
譲のリアクションもぎょっと目を丸くする二人が面白くて大笑いする。ぱちゃぱちゃかましく水が跳ねた。
宇鷺「ちょっ譲怖いって!あはは!今どんな顔してるんだい?阿修羅?それとも閻魔?はははは」
ヒノエ「宇鷺てめえ何してんだよ!早く出ろ!!」
宇鷺「うわヒノエもこっわ。大丈夫、僕はこっちで合ってるよ〜。なあ景時殿」
ヒノエ「どういうことだよ景時!」
景時「えっヒノエくんも知らなかったの?」
あちら側が静かになる。
ヒノエ「宇鷺、お前が女って冗談だよな…?」
宇鷺「冗談じゃないよ。本当。いやあ、こんなに長く一緒に居たのによく気付かなかったねぇ」
沈黙
ヒノエ「…マジかよ……」
力ない声。
ヒノエ「昔一緒に風呂入ったことあるだろ」
宇鷺「ああ、ガキの頃に数回ね。あの齢じゃあ女を象徴するものなんて下しかないから隠せば誤魔化せると思ったんだ。そうしたらヒノエは見事に騙されてくれたわけだ。ははは!男のヒノエと入浴したことにより周囲も段々と僕の性別が紛れもなく『男』だと確信してくれるようになった」
ヒノエ「……。頼冬と碧海はそのこと知ってんのかよ」
宇鷺「碧海は僕の陰だよ、当然知ってる。頼冬には共闘を誓ったときにね」
何故ヒノエに打ち明けなかったのか。それはまあ、なんとなく。
ヒノエ「はあ〜〜。やってくれたな……」
宇鷺「早くお前の驚いた面を拝みたいよ!なあ、今どんな気持ち?」
ヒノエ「頼むから宇鷺もう喋るな……」
望美「あの饒舌なヒノエくんがここまで言葉を失うなんて!」
宇鷺「あっはっは!愉快な夜じゃないか!」
朔「笑い事じゃないわ、もう。ああもう宇鷺さん暴れないで!」
女湯は温かな雰囲気で満たされる。…男湯はどうか知らないが。
宇鷺「そろそろふたりとも上がったら?結構長く湯に浸かってただろう。肌が赤いよ」
望美「わっ本当だ。朔あがろう!宇鷺さんは?」
宇鷺「僕はもう少し浸かってから行くよ。食事の用意ができてるからお先にどうぞ。案内は碧海に頼んである」
望美「へきかい…?」
ふたりがきょとんとしているのでああ、とつぶやく。
宇鷺「僕の傍に控えてた黒装束の背が高い男がいただろう?あれが郎等の碧海。出たらすぐに分かる見た目してるし、ヒノエは碧海を知ってるから心配しないで」
〜
着物に袖を通す。碧海が用意してくれたものだが、僕の好みと他者目線をよくわかっていると思う。
回廊を歩く。奉公人たちが口を開けてこっちを見ている。ふふんと笑う。
宇鷺「さて」
本当は最後まで露見するつもりはなかった。
だがバレてしまったのなら仕方がない。堂々と参ろう。
宇鷺「今晩は。此処の宿を利用するのは初めてなんだけど、料理は美味しいかい?」
静寂。まあ想像はしていたけど。
碧海が席を指示しているのでそこへ向かう。上座。
宇鷺「碧海。頼冬は?」
碧海「『積もる話もあるだろうから、俺は一人で贅沢に月見酒してる』だそうです」
宇鷺「全く、相変わらず時間の使い方が上手い奴だ」
今宵の月は美しかった。独り占めしたら最高なほどに
九郎「…………」
宇鷺「九郎殿、そんなに口を開けてちゃ顎外れるよ。顎が外れた義経サマなんて見っともないから口を戻しておくれ」
九郎「お前…本当に女だったのか……」
宇鷺「うん」
あっさり首肯する
宇鷺「いやあ、生田の時は本当に焦ったよ。露見するつもりなかったのに景時殿に見られちゃってさ。でも景時殿は皆に言わなかったんだね?」
景時「そ、それは宇鷺さんにとって重大な秘密だと思ったから……というか俺が知ってしまったせいで君がいなくなったとばかり思って!」
宇鷺「そうだね、そう思われても仕方がない別れをしてしまった。すまない景時殿。心を煩わせてしまって」
景時「俺は……君が無事ならそれでいいよ」
ぱちりと瞬きした。
不意に朔ちゃんと目が合う。朔ちゃんも驚いた顔をしている。
九郎「ごほん。それならそうと言えばよかっただろう。『河野通信』の件もそうだ」
宇鷺「正体を明言するにはちょっと時期が早かったんだ。あとは…うん、僕の勝手な都合」
弁慶殿を見る。彼もこちらを見ていた。
宇鷺「そういえば福原での戦いの後、君たちは怨霊退治に勤しんでたらしいね。お疲れ様」
意図的に探りを入れたわけじゃないのに勝手に話が入ってくるくらいには有名な話だ。