伊予の戦女神

□潮風の揺りかご
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男は静かに瞑目した。

今から謁見する御仁のことを考えたからである。

男は己の記憶と戦いながら御仁に関する情報を探ったが、残念なことに声も容姿も知らず、風聞ひとつ聞いたことがなかった。このままでは此度の謁見が上手くいくはずもないと、急ぎ手隙の家臣に御仁の情報を集めさせた。年齢や戦歴などはすぐに判明したが、肝心の人物像が一向に掴めなかった。御仁の父君は界隈では名の知れた豪傑だったそうだが、倅についての情報は少なく、日蔭の倅が頭角を現したのが昔日の父君の仇討ち。豪胆な手で討ち果たしたと聞いている。その後は父君の意志を継いで家臣をまとめ、快刀乱麻の如く怒濤の快進撃を見せているらしい。ならば此方もそれなりに威厳と風格を纏わぬと喰われると気を引き締めた折りに、家臣の一人が困ったような顔でひとつの風聞を披露した。

戦略は豪胆だがその御仁を適格な一言で表すなら、その御仁は【奇抜】なのだそうだ。

最初は【奇抜】の意味を容姿が風変わりだとか掴み所のない剽軽な性格を指しているのかと捉えていた。言動が突拍子過ぎて周囲の家臣達が掴めないのだと。だが詳しく話を聞き、男は不可解な念に襲われた。その御仁が国の護介になった年から、天災が減り農作物の取高が増え、一揆もなく、死者も減ったというのだ。

一体、この御仁は何をしたのか。

即座に興は湧いたが同時に、一抹の不安もあった。



「(このような偉業を成し遂げた方なら、さぞや超越した智能と頑強な肉体を持ち得た猛将なのだろうな。儂の説得に応じてくれるのだろうか)」



首を掠める半衿に息苦しさを感じて袷を緩める。呼吸が楽になり心が幾ばくか落ち着いた。

爽やかな風が萌ゆる若葉を揺らし、庭の池の水面を小刻みに揺らす。夏風が運ぶ微かな潮の香りに幾ばくか心が落ち着いた。

しゃなり、と渡殿から冷涼な鈴の音が聞こえてハッとして居住まいを正す。国守のみが座ることを許されている座に高貴な直垂に身を包んだ麗人が腰を下ろした瞬間、男は思わず目を見張った。

その御仁を見た瞬間、水辺で清らかに咲初むる白い水仙が脳裏に浮かんだ。

容易く手折れそうなほど体つきが細くて色も白く、長い前髪の下に潜む双眸には覇気を感じられない。下の方で軽く結っただけの長い髪は御人が歩くたびに馬の尾のように揺れる。

ゆったりとした動きで上座に座した。



「遠路遙々ようこそ伊予へ。平忠度殿」



陽が注ぐ室内に凜とした声が響き渡る。軟弱そうな見た目に反して芯のある声と声量に少し驚いた。

それを気取られないよう、早々に平伏して顔を隠す。



「今日は拝謁の期を賜り、至極恭悦にございます」

「顔をお上げください忠度殿。私のような青二才にそのような畏まった態度は不要です。そう固くならずに」

「はっ」



御仁の言葉に従って顔を上げる。一瞬見ただけでは分からなかったが、眼前の上座に鎮座する御人は深い緑色の美しい目をしていた。



「(あの目の色……)」



あの目を昔どこかで見たことがあるような気がする。目線と目線とがぶつかる。御人は気さくな様子で微笑んだ。



「(しかし…これはまた)」



予想とかなり反した人物の登場に、男は毒気を抜かれた気分だった。

本当にこの御人があの数々の偉業を成し遂げた御方なのだろうか――――?

どうみても優男にしか見えない。



「話に入る前にひとつ、忠度殿にお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」

「何でしょう」



男は目付きを変えた。



「堅苦しいのも探り合いも苦手だからさ、初めから腹割って話してくれるかい?」



まどろっこしいのは嫌いなんだと言って悪戯に笑う御人に、忠度は眉をしかめた。

此方には此方なりの思惑があるし、彼方には彼方なりの思惑があるはずだ。この相談を安易に引き受けてもいいのだろうか。

周囲を見回す。傍に男がひとり控えているだけだった。



「まどろっこしい……というより無駄なことが大嫌いでね。私より長く生きている貴殿は当然ご存じだろうが、時間には限りがある。今こうして言葉を交わす間も刻一刻と時は過ぎゆき決して元には戻らない。時は永遠に流れていくだけだ」



時の流れを示すように手をしならせてぱっと手で宙をかく仕草をする。



「で、どうかな。私のお願いは聞き入れてもらえそうかい?難しいなら」

「そこまで豪語するなら、こちらの話はすでに判っているのでしょうな」

「勿論」



男はゆったりと頷く。



「率直に申し上げると、我々は貴殿ら平家に力を貸すつもりはない。この国の目代であった平家の者を討って、赤滝、文台、大熊等の城砦を陥落させた……嫌なくらいに悟っただろう、我々の意向を。ここまでされて気付かないはずがないよね」



思い出して顔をしかめる。



「私を殺したいくらいに疎ましいだろう。まあそれはこちらもなんだけどね」



鋭い眼光がこの身を射抜く。

今までの柔和な表情は無い。まるで何百もの刃を向けられているような底冷えする威圧感に息を飲んだ。



これが噂の奇抜な護介?

やはり噂は当てにならぬ。



「さあ、どんな説得をしてくれるのか楽しみだよ。平忠度殿」

「――――では聞いていただこう。河野通信殿」



獰猛な獣を心のうちに飼っている男が伊予守なのだから。

河野通信は妖しく笑った。



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平忠盛が下城したことを確認して、通信は隣の襖を開いた。



「そんなに気になるなら隣に座していればよかっただろう、頼冬」

「断る。俺はお前と違って感情のままに色々口やら手を出しそうだからな」

「手は勘弁してくれ」



襖から拳ふたつ分ほど離れた位置に座していた村上頼冬は前のめりでこちらの会談を聞いていたらしい、慌てて姿勢を戻して後ろに下がった。まるで悪戯をして親に叱られる直前の子供のような様子に通信は呆れ顔で正面に腰を下ろした。



「はあ。私はお前たちの頭領になった覚えはないのだが」

「そう言うなって。困ったときはお互いに助け合おう」



通信と頼冬の身分は同格である。余計な序列は作らんと常に同じ場所に居てほしいのだが、通信の切実な願いは頼冬に届かないらしい。



「そんなことよりさ、宇鷺の様子はどう?何か困ってたりしないか?」

「……『そんなこと』と雑に扱うな、まったく。特に困った様子はない」

「またまた。四郎こそ宇鷺のことを雑に扱うなよ、大事な御仁だろう」



頼冬は通信のことを昔から四郎と呼ぶ。名が変わったからといって改めるつもりはないらしい。厳かな場ではきちんと「通信殿」と呼ぶので大して怒りもせず好きに呼ばせている。



「粗方の事情は伝えた通りでそれ以上もそれ以下もない。問題はいつ引き上げさせるかだな」

「まだ猶予はある。好きなだけ居させたらいいんじゃないか」

「本人は帰還を望んでいるかもしれないのに?」



通信の言葉に頼冬は目を丸くする。澄まし顔の通信の顔をたっぷり凝視してから笑って一蹴した。



「それはないな。だって傍にヒノエがいるんだろ?宇鷺は昔からあの餓鬼に甘かったからな」

「お前は相変わらず冷たい。年下相手にそうつんけんとするな」

「年齢は関係ないよ。立場をはっきりとさせず八方美人なのが気に入らないだけだ」

「風見鶏でないだけ上等」



頼冬の気持ちは分かるが、熊野水軍が固く中立を守っているが故に今の均衡が保たれている。下手なことを言って此方方が不利になっては困ると通信は早々にこの話題を打ち止めた。



「頼冬、今後の動きだが」

「わかってる。引き続き連携を強化、侵攻の阻止、兵糧確保、味方へ兵糧の支援、兵士の雇用、そして斥候の継続と。やることが山積みで大変だな」



ひとつ余計なものが混じっているような気がしてじろりと睨んだが、頼冬は知らん顔であっさりとかわす。何故頼冬がここまで宇鷺を自由にさせたがるのか通信には分からなかった。借問するのも癪なので黙っているが。



「……至急、文と墨を沢山用意しないとね」



幾重にも重なる紙、墨の香り、そこから容易に連想される紙の屑で汚れていく部屋に通信はふう、と息を吐いた。



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