伊予の戦女神

□桜来、往来
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「昔は華やかな界隈だったのに…時の流れとは残酷だね」



宇鷺は藤の衣についた土煙をポンポン払いながら、溜め息混じりに呟いた。荒廃した屋敷から感じる好奇心の眼差しを虚しそうに一瞥して、涼し気な面立ちのヒノエの後を追う。

これからここを拠点に数日過ごすのだと思うと、虚しさと悲しさで胸が痛んだ。



「仕方無いだろ。ここは六波羅なんだから」



ヒノエは寝転んでいる人を避けながら、嘆く宇鷺にさらっと現実を突きつけた。昔の六波羅を知っている宇鷺はヒノエの冷めた反応に、何とも言えず溜め息を吐いた。



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熊野から遠路遥々長い旅路の末に、二人は花薫る京の東南部に位置する六波羅へと辿り着いた。

何も京の視察をする為に六波羅を選ぶ必要はないのに、地方で有名なヒノエは源氏に見つかると面倒だから、と此処へ来たらしい。かつては栄華を極めた平清盛の邸があり生気に満ちていたこの地も、平家が都落ちする際に放った火がこの辺り一帯を焼き尽くして焦土となった。
そして主なき今は遠方から逃げてきた罪人や盗賊が住み着き、悪の巣窟と化している。何も知らない者が誤って六波羅に来たあかつきには無一文になる事は必定で、命があれば儲けもの。こうなってしまったのは、六波羅を統括している北条氏が北に位置する延暦寺を危険視するあまり、こちらの悪事には目も向けないから無法地帯になってしまったのだ。

否、手が付けられないのだろう。

だから六波羅で良からぬ事が起こったとしても、誰も助けてくれない。訪れた者の自己責任として片付けられる。此処はそんな場所なのだ。



「宇鷺、入るぞ」



しばらく無言で歩いていたヒノエは、煤が付いた茅葺の暖簾をくぐり奥へと進む。どう見ても火事で焼けて今にも崩れそうな邸で、宇鷺はゴクリと息を飲んだ。覚悟を決めてヒノエの後に続く。

室内に足を踏み入れて、宇鷺は目を見開いた。



「おや、これは驚いた」



外見とは裏腹、艶がかかった床板にどこからか薫る爽やかな香の香り、支柱は真新しい木で出来ており焦がれた形跡はどこにもない。まるで邸の中だけ別の空間に隔離されていたみたいに綺麗だった。



「わざわざ今日のために拵えたのかい?」

「まさか。ここはいつも烏たちの根城にしているんだ。あいつらが手が空いたときに手入れでもしてたんだろ」



荷物を部屋の隅に放り投げたヒノエは、事も無げにそう言うとチラリと外に目を向けた。整然とした内装にも驚いたが、隠れ家と呼ぶだけあって外を往来する人間からこちらの室内を容易に覗けないように至る場所を植物で隠している。植物の配置も、わざとらしく付けられた外装の煤も、パッと見れば自然の摂理に従って廃れたように見えるが、よく見ると人がどのように加工すれば自然に見えるのかを計算して施したのだと見て伝わる。



「京の宿より良い場所じゃないか。気に入ったよ」



宇鷺は微笑んだ。ヒノエは宇鷺の顔をみてギョッと瞠目する。



「……宇鷺、大丈夫か?」

「失礼だねぇ。君の持ち物に感動してやっているのに」

「感動するようなものを置いた覚えはないんだけど」

「この邸の心配りがわからないようじゃ、君もまだまだね」

「餓鬼扱いすんなよ。あんたに餓鬼扱いされるとスゴい苛つく」

「怒らせるつもりは毛頭なかったが…僕の言葉の意味がわからないのなら、君は子供だよ」



新品同様の支柱を撫でながら、しかめ面をしているヒノエを横目で見て宇鷺は苦笑した。燃えて塵となった邸の臭いを彼はまだ知らないのだ。囲炉裏にくべた木炭の香り、台所の薪、そんなものとは比べものにならない。六波羅は人も家も様々な小物も全て一緒になって燃えたのだ。

人の臭いが染みついた邸の残り香は、さぞ悪臭だっただろう。香を焚かねばならないほどに。



「(何年経ったって、記憶に刻まれた香りは消えない)」



ふとあの時の臭いがしたような気がして、一瞬だけ眉をしかめた。



「餓鬼扱いは嫌だと言うが、僕にとって君は今も昔も可愛い"月隠様"だよ」

「っ今その話は持ち出すな」

「今はダメ?いつもこの話を嫌がるじゃないか」

「お前こそ、話を逸らすときに毎回その話題に引っ張るの止めろよな」



"月隠"と聞いて苦汁を喫した顔をするヒノエに、宇鷺も誤魔化すように深緑の双眸を細めた。お互いに痛い所を突かれて沈黙する。

先に動いたのは宇鷺だった。動いた拍子に金の髪を飾る蒼月の簪がシャラリと揺れる。



「僕は少し出掛けてくるよ。これ以上お前の邪魔しちゃ悪いしねぇ」

「邪魔とは思っちゃいないけどさ…何処へ?」

「義経殿が住んでいる六条堀川に行ってくる。とはいえ、忙しい身だろうから会える気はしていないが」

「ああ、なんだ宇鷺も仕事しに行くのか」

「ぶらっと散歩に行くだけさ。仕事だなんて仰々しい。ゆったりと下鴨神社の桜でも見物しながら気長に行ってくる」



今頃桜が美しいだろうからね、とやけに楽しそうに話す宇鷺にヒノエは違和感を感じて目を眇めた。

長年付き合ってきて宇鷺という人間はこよなく四季も雅も愛する奴だというのは知っているが、こんなに桜が好きだったとは知らなかった。京に着いて真っ先に下鴨神社の桜を見に行くなんて。

しかも今回の視察は気が乗らないといった表情だったくせに、今じゃ真逆だし。



「ま、いいか」

「?なにが」

「何でもねえよ。それより噂の源氏の神子姫に逢えたら教えてくれよ。どんな美しい顔なのか見てみたいからさ」

「僕が神子の顔を知らないって分かってて言ってるだろ。意地が悪いねえ」

「案外会ったら分かるかもしれねえだろ」

「適当なこと言いやがって…行ってくる」



宇鷺は荷物の中から唯一扇だけを抜き取って、早々に邸を後にした。



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同時刻、京の北・鞍馬山。



「九郎殿の師の庵っていったいどこにあるのかしら」



見渡す限り木々の緑に、梶原朔は途方もなく感じて呟いた。



「僕も、庵を訪ねたことはないんです。九郎から話を聞いたことがあるだけで…」



その呟きに答えたのは武蔵坊弁慶で、彼も朔と同じように周囲を見回している。源九郎義経の師であり、白龍の神子・春日望美の師でもあるリズヴァーンを探しに一行は鞍馬山へ訪れていたのだが、庵はおろか人が住んでいる気配さえ感じなかった。木々の間を春の穏やかな風が通り抜けるばかりである。



「鞍馬山のどこかにあるはずなんですけれど」

「天狗というくらいだから、きっと人里離れたところに住んでいるんでしょうね」



リズヴァーンの庵はここより奥深く森の中にある。誰もがその結論に辿り着いていたのだが、方角の目途をつけることが出来ずにその場で立ち尽くす。唯一望美だけがてくてくと歩き出し、少しきょろきょろした後に指を指した。



「先生に会うにはたぶん、向こうの山道を行くんだと思います」

「そうなの?なら、行ってみましょうか」

「あっ、ちょっと待って。このあたりに……」



先を歩こうとした朔を止め、望美は両手を宙で忙しなく動かす。程なくして手を押し出しても見えない何かに阻まれて、不自然な位置で手が止まってしまった。透明な壁が目の前にあるみたいで、試しにコンコンと叩いてみる。衝突音は発せられなかったが、確かに手は何かを叩いていた。



「なあに?それ」

「やっぱり、結界が張ってあるみたいだね」

「すごいわ、望美。私、まったくわからなかった」

「う、うん。私も……あんまりわからなかったんだけどね」



朔の感嘆の眼差しに、望美は曖昧に笑う。後ろに控えていた弁慶は望美の隣に立ち、同じように空間を弄った。



「面倒そうな結界ですね。さすがは天狗の住みかといったところでしょうか。僕じゃ解くのは無理かな。陰陽師でないと……」



陰陽師の知り合いを思い出そうとして、すぐに彼はぱちりと瞬いた。



「そうだ、景時なら解けると思いますよ」

「兄上ですか?」

「ええ。どこに行ったかご存知ありませんか?」

「それが、わからないんです。邸には戻ると思うんですけれど…」



朔は少し半信半疑な様子で兄・梶原景時の事を考える。普段は遠出以外の予定を兄の口から聞くことはない(朔自身も訊かない)ので、すぐには居場所を割り出せそうになかった。



「じゃあ、とりあえず京邸に戻ろうか」

「すみませんが、皆は先に戻っていてください」

「何か用事ですか?」

「念のため、景時がいそうな場所を見てから邸に戻ろうと思います。望美さんたちは先に戻って身体を休めつつ景時を探してください」

「なら俺は邸の西を見てくるとしよう。弁慶は東を」

「わかりました。後で邸で合流しましょう」



口を挟む余地を与えず、てきぱきと作業を分担している九郎と弁慶に望美は「流石だなあ」と小さく呟く。傍で聞いていた有川譲も頷いた。



「やはり義経と弁慶の主従関係は堅固なものだったんですね。教科書通りだ」

「うん。羨ましいな。私もあんな風になれたら…」

「あら、あなたたちもあの2人に似てるわよ」

「私と譲くんが?」

「ええ。ちょっと無理をする望美と、どんな無理でも補佐する譲。2人揃えばなんでも出来そうな気がするわ」

「私そんなに無理してるかな」



ふふ、と笑っている朔に望美は目を丸くする。譲は何回も頷いた。



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