お伽噺ー零ノ域ー

□紫と朱
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虹花は昔から可愛い女の子だった。

いつもにこにこ楽しそうに笑っていて、周囲の人は虹花の笑顔を見ると必ず顔を綻ばせた。

嬉しいときは手を叩いて笑い、悲しいときはわんわん泣いて、悔しいときは手が付けられなくなるくらい怒って、寂しいときは「さみしい」と言って母の手を握る。自分の感情に素直でとても子供らしい子供だった。

だから周囲の大人は最高に甘やかして、最高に愛した。

私が持っていないものを全て持っている彼女はいつだって主人公で、お姫様だった。スポットライトの当たらない脇役の私だったけど、でもきらきら輝く彼女の事は嫌いじゃなかったんだ。

誰だってきらきらしているものは好きだろう?ましてや目に映るもの全てが新鮮で輝いて見えた幼子の頃だから。訳もなく憧れて、誇らしくて、ちょっと嬉しかった。

でもある日気付いてしまったんだ。

彼女が輝き続ける事で日陰の色がどんどん濃くなっていくことに。強い光故に持つ絶対的な力に。

無邪気な輝きが生む罪の大きさに気付いてしまったその時から、私は彼女の事が大嫌いになった。




****



「(どうして、虹花が…)」



私は立花家の一室で正座をしながら冷静に考えていた。

最初は黒澤家に宗方を置き去りにしまった事の呵責から心を落ち着ける事が出来ず、樹月くんと睦月くんの手を振りほどいて無理に戻ろうとしていたけれど、結局力技で立花家の一室に閉じ込められてしまった。あの二人、可愛い顔して熊みたいな腕力だった。

立花家は黒澤家と違って調度品が少ないせいか殺風景なんだけど、煌びやかな雰囲気が苦手な私には好ましい空間に思えた。ここに来るのは2回目だけれど、正直黒澤家よりも落ち着く。

…あの家はどうも得体の知れない魔物が潜んでいるように思えて気が抜けない。

そんな場所に虹花が来るなんて想像もしてなかった。



「大丈夫?凍花」



私の顔を覗き込むように身を乗り出して心配そうな眼差しを向ける睦月くん。この部屋に着いて早々樹月くんは退室してしまい、私と睦月くんだけが取り残された。暫くの間睦月くんは無言だった。きっと私に考える時間をくれたんだと思う。

お互いに沈黙に徹していた折に、先に睦月くんが口を開いたのだった。



「大丈夫です。大分落ち着いてきました」

「なら良いけど…」



大きな漆黒の瞳がぱちりと瞬きをする。

そしてじっと私を見つめた。



「訊いてもいい?」

「駄目です」



悩む素振りも見せずにすっぱり即答する。睦月くんは「え」と声を洩らして瞠目した。



「…貴方方だけには話したくないんです」



二の句を告げようと開口していた睦月くんを留めるように口早に話す。俯いて唇を噛んだ。

兄弟仲が良い二人には私たちの事を言いたくなかった。血が繋がっている片割れに対して醜い劣情を抱いていて、私恨があって、もう顔も見たくないくらいに憎んでいるだなんて、どうしてこの人たちに言えよう。純粋な兄弟愛を私の家の事情で濁したくない。



「…気に食わない」



ぽつりと睦月くんは呟く。私は居た堪れなくなって肩を竦めた。

自分の下手な発言で彼の機嫌を損ねてしまった。昔から口が悪いという自覚はあるが、「言いたくない」とつっけんどんに言ってしまったのがまずかったのだろうか。しかし他の言い方も思いつかない。



「凍花」



心なしか睦月くんの声音に鋭さを感じる。ビクリと肩を震わせて沈黙した。



「………」

「(凄く視線を感じる…うう)」

「………」



ドサリ。



「…っ!?」



睦月くんの指先が私の腕に触れた、と気付いた瞬間に視界がぐるりと回転する。背中から畳特有の青臭さが香った。



「壬生さんって何。虹花って誰。宗方は何なの」



非常に端的な質問が3つ連なって私の上から降り注ぐ。天井を背景に睦月くんの鋭い眼差しが私を射抜いた。彼の瞳に映る眼光の精彩さに息を飲む。

睦月くんが放つ厳かな雰囲気に飲み込まれてしまいそうだった。



「凍花はまだ何も言わないつもり?」



ぐぐっと顔が近付く。睦月くんの髪が私の頬に触れた。

何か言わなければ。そう思っているのに、喉がカラカラに渇いて声にならない。

口を中途半端にパクパクさせている私を見て、彼は目を細めた。



「…気に食わないよ、何もかも」



彼の唇が近付く。私は驚いて硬直した。



「(こ、このままだと…このままだと…このままだとー!!)」



先の展開を理解して「何とかしなければ」と思ったものの、このまま受ければいいのか逃げればいいのかわからなくなって顔を赤くしたり青くしたりする。私が葛藤している間にも睦月くんは近付いてくる。吐息が唇を掠め「もう駄目だ」と観念して目を瞑った時、コツンと眼鏡に何かがぶつかった。



「眼鏡ジャマ」



睦月くんは眉を潜めて眼鏡のフレームに指をかける。どうやら愁眉とフレームがぶつかってしまったらしい。

ほっとしたのも束の間、眼鏡のフレームが遠くなって視界の輪郭がぼやけて滲む。眼鏡を奪われてしまえばもう私を守るものは何も無い。「今度こそもう駄目だ」と心の中で悲鳴をあげた。



「睦月。傷心している女性に手を出すのは感心できない」

「…兄さん」



知らぬ間に入室していた樹月くんがグイと睦月くんの肩を引っ張った。彼の体が離れた瞬間、私は大きく息を吸う。心臓が皮膚を突き破って出てきそうなくらいにバクバクしている。



「早かったね」

「うん。凍花が心配だったから急いで戻ってきたんだ。廊下を小走りして正解だったみたい」



私の上から完全に睦月くんを立ち退かせると、樹月くんは私の顔を見て微笑んだ。その表情は全てを悟っているような聡明さが浮き出ていて、私は顔を赤くする。



「何か温かいものを体に入れたら落ち着くかなって思ってお茶を淹れてきたんだけど、必要ないかな?」

「い、いや!頂きます!」



ガバリと体を起こして慌てて居住いを正す。くすりと笑っている樹月くんから湯のみを受け取ると、ろくに熱も冷まさずに嚥下した。激しく暴れまわる心臓に熱いものをぶっかけたところでこの動悸は静まりそうになかった。

引き剥がされた睦月くんは唇を尖らせながらお茶を啜っている。全員にお茶が行き渡った事を確認して樹月くんも湯のみを手に持った。



「それにしても…意外だったな。あの良寛さんが外の人を中に入れるなんて」



あえて先ほどの出来事を追求せず話題を提示してくれた樹月くんに感謝しつつ、彼の言葉に頷く。



「はい。壬生は兎も角、虹花の同伴は聞いていなかった筈です。全く知らない人間を招くなんて」

「それは彼女の顔と凍花の顔が似ていることが答えだと思うけど」



拗ねている睦月くんの言葉に私は瞠目した。

虹花と私が似ていると言われたのは初めてだった。

壬生でさえも最初は気が付かなかったのに。



「…あれ、いつ見たんですか?睦月くんはずっと私と一緒にいたのに」

「彼女が此処に来たのは今日で2回目だから」



…2回目?



「いつ…1回目はいつですか!?」



つい声が大きくなる。

来る時期までは無関係を決め込んでいた相手が知らないうちに身近にいただなんて、考えただけで鳥肌が立った。



「君が壬生っていう人と会った日だよ」



息が止まった。



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