お伽噺ー零ノ域ー
□折り重なるまそほ
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『お願いだから双子だけは…双子だけは生まれてこないで』
遠い過去で誰かがそう叫んでいる。
私は生暖かい微睡みの海に揺蕩いながら、耳障りな子守唄のようにその叫びを聞いていた。水が声の震動を吸い取るから、彼女の叫びはひどく鈍く耳朶を舐める。その不愉快な感触から逃れたくて叫びから遠ざかるように肩を竦めた。隣の子も少し居心地が悪そうに身じろぎをしている。
私は隣の子を愛しく思った。
理由はわからない。でもどうしようもないくらいに愛しくて、この果てしない海に揺蕩いながらその子を抱き締めたくて堪らなかった。いつまでも一緒にいたいと思った。
『―――生まれましたよ**さん!双子の女の子です!』
たぷんと海が大きく波打ち、「双子」と告げられた母親の気持ちのように水が急激に後方へ引いていく。荒々しく私の体にぶつかってくる水は冷たくて暗い。悲しくて虚しい。永遠に纏わり続けると思っていた微睡みの海は拍子抜けしてしまいそうな程に引き際がよく、その負の感情たちと共に加速しながら光の先へ流れていく。私も光の先へ流れていく。
『双子…なの?私は本当に双子を……』
『………**さん…双子には、なれませんでした…』
ねえ、隣の子。光の先には何があるのかな。
夢や希望、愛で満ち溢れているのかな。私たちはずっと水の中にいて、海しかしらないから、楽しみだね。
『…片方は、死産……です』
光の先で、隣の子はいなかった。
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「………」
頬に寒気を感じて、ゆっくり体を起こした。
辺りはまだ仄暗く鳥肌を促す冷風が吹き抜ける。雀の囀りも聞こえない暗くて静かな黎明だった。
「(……またこの夢…)」
はらりと零れる白髪交じりの髪を眺めながら深い溜息を吐いた。
最近同じ夢を繰り返し見ていた。はっきりとした五感がない世界で揺蕩っていて、光を見つけたと思ったら光の先で必ず絶望して目が覚める。こう何度も同じ見ていると夢ではなく実際に身に起こった出来事かとも思われるが、記憶を混ぜっ返しても覚えが無い。やはり夢は夢なのかと思う。
もしくは私が覚えていないだけで体が覚えている、とか。
「(……そうかもしれないわね)」
心当たりがあった。だからその考えをすんなりと受け入れた。
まさか白髪が生えてしまうくらい年月が経った今、そんな夢を見るとは思ってもみなかったけど…。
『アンタのせいよ!アンタのせいで****は死んだの!!』
「…っ」
心持が緩んで瞑目した瞬間、脳裏に浮かんだ金切り声にハッと瞠目して胸を押さえた。ドクドクと暴れる心臓を握り潰すように押さえて、大きく呼吸を繰り返す。
「…はあ、はあ……」
昔よりも痩せて皺が増えた青白い手は震えて汗が額に滲む。
先ほどの声こそ夢であればいいのにと願う。いつもいつも私を苦しめて縛り付けてきた言葉。
…いえ、もう呪いよ。
思い出す度にこんなにも苦しいんだもの。
「…私のせいでいいの…私のせいでいいから……もう片方も、愛して…」
「おはようございますご当……大丈夫ですか!?」
時計の針が丁度6時を差す。いつもの時間通り開かれた戸を見つめながらああもうそんな時間なのね、とぼんやり考えた。
開けた戸から朝日が室内を照らす。光を背に慌てて室内に駆け込んだ恭四郎は桐箪笥の上に置いてある袋に手を伸ばしていたけれど、私が手を振って制した。
「平気、よ。ちょっと悪い夢を見ただけ」
「ですがお顔色が悪いです。先生を呼びましょうか」
「大丈夫」
恭四郎は衣架から上着を丁寧に取り外すと、私の肩に羽織らせて背中を優しく擦ってくれた。もしも私に息子がいたならこんな風に優しくしてくれるのかしら、と想像して微笑む。
きっと無理ね。私自身が優しくないんだもの。
「今日はお店を休業にしましょう。個人の予約はありませんし、僕は凍花さんに頼まれた皆神村への反物搬入がありますがご当主様は安心して静養してください」
「あら、そうしようかしら。そうしましょう。今日はお布団から出ないわ」
「はい、その方が良いかと。朝食もこちらで召し上がってください。今持って来ますので」
てきぱきと段取りを定めて恭四郎は動き出す。その後ろ姿に凍花ちゃんの面影が重なった。
「(何があっても絶対に立ち止まらない女の子。残酷な結末へ向かっている事を知っているのに、決して止まらない。私を責めも…しないの)」
私と凍花ちゃんのお母さんが勝手に決めた約束のせいで苦しんでいる、私の可愛い凍花ちゃん。真実を知った時、罵倒しても良かったのですよ。殴っても良かったのですよ。でもとても優しい貴女は何もしなかった。
顔に出さずに退室した貴女の背中を見た時、私が泣いてしまいましたよ。
貴女のお母さんを何度殺そうと思ったか分かりません。平気で自分の子供を捨てて、捨てた後もボロ雑巾のように利用しようとしているその所業を許していい筈がないのです。子供は皆、平等であるべきなのです。
でも私には出来なかった。
私が捕まってしまったら凍花ちゃんが一人になると思ったのです。もう彼女の家族は私しかいないと思うと、どうしても出来なかった。
だから私は決めましたよ。
このまそほ屋を虹花たちに渡したら、私と貴女と恭四郎の3人でどこか遠い場所へ行きましょう。深い理由があってこの土地を離れる事が出来なかった私だけれど、1度くらいは貴女の為に何か捨てないと割りに合わないわよね。
「だから無事に帰って来て頂戴、凍花ちゃん…」
早く、この話を貴女にさせて。
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「(ご当主様を一人にしても良いのだろうか…凍花さんに訳を話して、搬入を少し遅らせた方がいいかもしれない…)」
「壬生君、おはよう」
「…あ、虹花さん。おはようございます」
温めた味噌汁を御碗へ注いでいた所に、虹花さんがひょっこりいらした。彼女は最近まそほ屋に来る頻度が増えた気がする。ご当主様の姪なのだから遊びに来てもおかしくはないのに、どうしてだろう違和感を感じる。
…ご当主様の対応が僕にも感化されているのだろうか。
「(だめだ、しっかりしろ僕。これ以上凍花さんと虹花さんの溝が深まるような事をしちゃいけない。2人は姉妹なのだから…)」
「いつもお仕事ご苦労様。今日も忙しいの?」
「いえ、今日は休業です。ご当主様の御加減がよくないので」
「おば様の…」
虹花さんはキョトンとして僕の言葉を復唱している。きっとご当主様の事だ、自分のお体の事を虹花さんには話してないのだろう。
僕は溜め息を飲み込んで漬物を小皿に乗せた。
「(もしご当主様と虹花さんの仲が良ければ看病をお願い出来るのですが…流石にそれは望めませんよね)」
「じゃあ壬生君もお休みなのかな、休業だから」
「僕は凍花さんに頼まれている事があるのでお休みではないんです。反物の搬入をしなければ」
にこりと微笑んで朝食が全て乗った膳を持ち上げた。虹花さんはもう少しご当主様の心配をしてくれてもいいのに…と思わなくもないが、自分を嫌っていると明確にわかる相手の事は心配したくないのかもしれない。したところで、と思うのだろうか。
「…私ついていってもいいかな?」
「え?」
僕は目を丸くした。
「それって…」
「き、気になったの。凍花がどういう事をしているのかなって」
言葉を濁しながら俯く虹花さん。正直ご当主様の部屋へ、という意味で捉えていたから続きの言葉を聞いてがっかりしたような、そうでもないような不思議な気持ちになった。
「(けど、確かに虹花さんは凍花さんの事をもっとよく知る必要があるかもしれない)」
「壬生君…だめ、かな」
「いえ、一緒に行きましょう」
これをきっかけに凍花さんが家族を取り戻せるのなら、僕はなんだって喜んでやるよ。
家族に愛されないなんてとても悲しい事だから。
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