お伽噺ー零ノ域ー

□千日紅を貴方に
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「ほら宗方、そっちに腕通して」

「ちょ、凍花、もう喘息は収まったから、着替えくらい一人でするって」

「その着替えは、どこにあるんですか?」



一張羅は雨でビショビショに濡らしたでしょ?と溜め息を吐いて言えば、「ああ…っ!」と宗方は悲痛な声を上げた。ついでに部屋の隅を指差せば、衣架に掛けられてぐっしょりしている上着を発見し、あからさまに「あああ…っ」と肩をガックリ下げる。

宗方が喘息で寝込んだ翌日。すっかり体調を回復させた宗方の部屋に朝早く訪れた私は、甲斐甲斐しく奴の世話を焼いていた。なんだかんだ、胸に潜む罪悪感が拭え切れないからな。宗方が完治するまでは当分優しく接するだろう。

そう思っている矢先、朝から騒がしい宗方に「こいつ本当に病人だったのか」と呆れて溜め息を吐いた。



「大袈裟ですね。着物1着くらいで」

「だってあれ凍花に初めて作って貰ったやつだぞ?お気に入りなんだぞ?しかもあれしか持ってきてないんだ……」

「だから、昨晩新しいの作りました」

「…え?」

「何ですかその間抜け面。宗方も見てたじゃないですか、私が縫物をしてるの」



燈台のユラユラ揺れる灯りに四苦八苦しながら完成させた私の力作を、バサリと広げて見せつけた。渋めの山吹色に染められた布に描かれた、流水紋の上を滑る千日紅が映える袿。普通の着物と何も変わらないが、一つだけ特殊なものを付けてある。



「胸元に内ポケットを付けました。喘息の薬を入れた小さな巾着を入れてありますので、いざという時は使ってください」



普段宗方はちゃんと喘息を止める薬を持ち歩いているのだが、決まって荷物の奥底に入れている。それじゃあいざという時に咄嗟に使用することが出来ないので、本人には無断で半分くらい拝借して小巾着の中に入れておいた。

これならば今回みたいに急激な体温の変化で喘息を起こしても、迅速に対処できるだろう。



「凍花……」



宗方は私の名前を呼んだきりで、目を丸くしながらピラピラと着物を捲ったり、内ポケットの上を撫でて巾着の形を確認している。何してるんだろう、と思いながら好きにさせていたら突然ガシ!と頭を掴まれたので、かなり驚いて「あぁ!?」と不良みたいに粗野な声を出してしまった。ついでにメンチ切ってる。



「な、何ですやんのか!」

「ありがとう。良い着物だ」

「…は………」



宗方はそんな私を見つめながら、にこっと穏やかに微笑んだ。頭に置かれた手でそのまま頭を撫でられる。

ピシッと、思考回路が凍結した。



「(なにこれ…なにこれ…なにこれ……)」

「しかし俺には少し派手すぎないか?」

「若いんだから…これくらいが…丁度いいでしょ……」

「そうか。今まで暗い色ばかりを好んでいたから、たまにはいいかもな」

「……私、廊下で待ってるので…着てください……」

「ああ、そうさせてもらうよ」



始終にこにこしっぱなしの宗方にぎこちなく着物を手渡すと、いつもより重たい足取りで部屋の戸へ向かう。力なく戸を引いて、

パタン

…閉めた。



「…………」



そして襖を背にずるずるとへたり込む。



「(顔…あっつ……)」



触れた手の甲にとんでもないくらいの熱量を感じて戸惑った。耳も触らなくてもわかるくらい熱いし、胸もこそばゆくて心地悪い。どうして私は今、発火してしまいそうなくらい顔を赤くしているのだろうか。

これではまるで、宗方を好いているようだ。



「(そんな事ある訳ないじゃない、こなくそ)」



…認めたくないけど、本当認めたくないけど、宗方は男性として理想的だと思う。バカなくらい優しいし、立ち振る舞いは綺麗だし、私と違って言葉遣いも悪くない。少し性格は悪いが。

だからあいつに恋慕を抱いている八重お嬢さんの気持ちも、わからなくもないんだけど。



「(そう言えば八重お嬢さん、今どうしてるかな)」



私のせいで宗方が倒れて、八重お嬢さんはかなり怒っていた。それなりに仲良くなったと思っていたから、あんな風に睨まれた時は罪悪感と居心地の悪さでいっぱいになった。今顔を合わせるのは物凄く腰が引けるが、ここで向き合う事を放置したらもっと事態は悪化するんだろう。

勇気を出さなければいけない。

この私が…



「(…出来るだろうか。厄介事を恐れて人間関係を疎遠にした私が)」



正直、まそほ屋の仕事が終わってしまえば私はもうこの村には来ないだろう。だから八重お嬢さんとの関係も、このままで良いのではないかと思っている自分が居る。



「向き合うのって、存外面倒臭い」

「簡単だと思うけど」

「ん!?」



体育座りしている私の視界が陰で覆われる。聞き慣れた声と金木犀の香りに慌てて顔を上げれば、鴉色の前髪から覗く黒耀の瞳が私をじっと見つめていた。



「睦月くん。おはようございます」



どうして黒澤邸に睦月くんが、と不思議に思いつつ取りあえず朝の挨拶を交わす。睦月くんは目をぱちくりさせた後、ふわりと微笑んで「おはよう」と言った。花が綻んだような笑顔、とはこういう顔の事を言うのだろう。



「どうしたんです、こんな朝から」

「凍花こそ、そんなところで何をしているの?」

「あ、樹月くんも一緒でしたか。おはようございます」

「うん。凍花おはよう」



睦月くんのすぐ傍にはにこやかな樹月くんもいて、私はますます首を傾げた。2人が朝早く黒澤邸に来るなんて尚の事珍しい。睦月くんはよく来るけど、樹月くんはあまり来たがらない印象を受ける。予想だけど、良寛さんが苦手なのだと思う。

なら何用で?

声に出さずとも私の気持ちを汲み取ってくれた樹月くんが、口を開いた。



「宗方の様子を看に来たんだ。事情を話したら睦月も来たいって言うから二人で」



樹月くんの言葉に睦月くんがコクコクと頷く。私はハッとした。



「そういえば結構時間が経っているのに宗方が出てこない…ちょっと、大丈夫?」

「お前が襖に寄りかかってるから開かないんだよ、凍花」

「わあ!?」



襖から背を離した瞬間スパァンと勢い良く襖が開き、呆れ顔の宗方が私を見下ろしていた。夜なべして縫った千日紅の着物は宗方に似合っていたが、やはり少々若返って見える。見立てを間違えたか、と虚しくなった。



「…人の格好を見て悲しそうな顔をするな。合わないか?」

「いや、若返って見える。よくよく考えたら脳みそが幼いのに着物まで若くしたらダメだったよなぁって後悔した」

「ほお…それは俺に対して喧嘩を売っている、と解釈してもいいのか」

「売ってません。事実を述べただけだから」

「よし室内に入れ凍花。喧嘩をしよう」

「それ普通表でやるもんでしょ?なんで室内なんです」

「表で俺が勝てる種目はない!」

「もっと頑張らんかいもやし!!」



喘息で倒れたばかりの奴に酷な事を言うが、こいつはもう少し運動をして体を鍛えた方が良い絶対に。
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