お伽噺ー零ノ域ー

□橙の時間
1ページ/2ページ



渋めの山吹色に描かれた、流水紋の上を滑る赤い花の名前は千日紅。花言葉は『終わらぬ友情』。



「(宗方……)」



ぷすり、布に針を刺しては引き、刺しては引く。ゆらゆら揺らめく燈台の炎に目を凝らしながら、偏に繰り返し行っている動作をただずっと見つめた。着物を作るのは嫌いじゃない。仕事だし、私が作った着物を嬉しそうに着るお客さんの顔を見るのは好きだ。私が生きているから、存在しているからその笑顔が在るのだと思えば、私は救われた。そうでなければとてもやってらんない。

時刻は深夜過ぎた頃だろうか。お風呂から上がった私は、濡れた髪もそのままに真っ直ぐ宗方の部屋に向かった。部屋には真壁さんしか居なくて、八重お嬢さんの所在を訊いたら「部屋に戻った」としか言わなかった。あんなに宗方の心配をしていた八重お嬢さんが?と首を傾げたが、真壁さんは正直強面だし、居辛くなって帰ったのかもしれない。明日きちんとお礼を言わなければ。



『京極』

『はい』

『…いや、いい。申し訳ないが私は部屋に戻る。看病を頼めるか』

『勿論です。寧ろ今まで宗方を看ててもらってありがとうございました』



ペコリと頭を下げる。真壁先生は膝に広げていた文献を手早くまとめると、私の肩を2、3度優しく叩いて部屋を出ていった。真壁さんなりの激励だろうか。理由はどうあれ、その細やかな気遣いが嬉しかった。

相変わらず宗方は起きる気配がない。「宗方」と呼んでみてもうんともすんとも言わない。これは長期戦になるな、と思い寝ずに看病する覚悟で、自室から新しく開封した布と裁縫箱を持ってきて彼の隣で縫物を始めた。

時折作業する手を止めて彼の顔を見る。呼吸する度にヒューヒュー聞こえるのがなんとも痛ましい。気休めではあるけれど、トントンと胸部の辺りを優しく叩いては作業に戻り、暫く時間が経ったら再びトントンと叩いた。

そうしているうちにどのくらい時間が経過したのだろうか。作業が中盤を過ぎてそろそろ着物としての形が見えてきた頃、もぞりと隣の影が動いた。少し微睡んでいた脳が一気に覚醒し、急いで布団を見る。そして思わず



「気色悪!」



と言ってしまった。



「………お前ね…容赦ないな……」



額を右腕で覆いながら、掠れた声で宗方は苦笑した。普段滅多にお目にかかる事のない彼の弱った姿に、今だけは素直に「ご、ごめん」と謝る。炎に濡れた彼の頬は血色が悪いものの、黒澤邸に戻って来た時よりは大分赤みが戻ってきていて安堵した。



「だって…いつから起きてたんですか」

「…んー…ちょっと前。胸、トントンってされて起きた」



宗方は左手の人差し指で胸をトントンと指差す。私の記憶が正しければ最後に宗方の胸を叩いたのは10分くらい前だから、彼は約10分の間、静かに起きて黙って私を見ていたという事になる。



「起きたのなら声をかけてください。暗闇の中、寝ていると思っている人にジッと見つめられていたら誰だって驚きますよ」

「はは、すまない。ここからの眺めがよくてさ、見ていたかったんだ」



(燭台の灯りに照らされて縫物をする凍花の横顔が綺麗だった……なんて言ったら殺されるか)



力なく笑う宗方。怒るに怒れず、針の始末を簡単にすると宗方に向き合った。しかしいざ対面してしまうとなんて言っていいのかわからず、沈黙する。

取り敢えず、謝らなきゃ。謝って、何処にいたのかくらいは言わなきゃ。



「宗方、あのさ」

「…昔の夢を見たよ」

「む、昔の夢?」



心配かけてごめんなさい、そう言おうとしたのに宗方に言葉を遮られて少し戸惑った。困って宗方の顔を見れば、穏やかな顔で私を見ている。



「お前が初めて俺の前で泣いた日の話さ。進路希望調査のとき」

「あ、ああ」



謝罪消化不良により胸がもやもやしてどうも落ち着かないが、今は宗方の昔話を優先することにした。

コクリと頷く。



「あの時の俺って、今思い出しても情けなかったよな。大人ぶってお前のことを解ろうとしていたんだけど、そんなのはただの建前で、本当はただ失いたくなくて、足掻いていただけなんだ」



腕で目元を覆い、菖蒲の花を握り潰すように反対の手で布団を掴む。口元は笑っているけれど奴が感傷的になっているの一目瞭然だった。



「『優しい時間』を失いたくなかったんだ。だから真実から目を背けてた。そんなの、ただの偽りに過ぎないのに」

「宗方……」

「凍花。俺は、馬鹿だよ」



布団を握り潰す手が震えている。指先が白むくらい、強く。

私は見ていられなくなってその手を掴んだ。

このまま放っておいたらまた、あの時みたいに泣き出しそうだったから。



「…確かにあんたは馬鹿だ。大馬鹿だ。何もわかっちゃいない」



ビクッと大きな拳が震える。私はその拳を包み込むように、両手で包み込んだ。



「でも私はあんた以上に、大馬鹿野郎ですよ」



私の事を心から心配してくれる人間なんていないと思ってた。それは私が心配されるに値しない人間だからと勝手に思い込んで、宗方の行動もただの同情、もしくはこの男が馬鹿が付くくらいお人好しで優しいから私の事が放っておけないのだと思っていた。

わかっていなかったのは私の方だ。



「宗方、私、私ね……あの日、本当は…焼却炉で死のうとしてたんです」

「ッ!?」

「私の身体と一緒に、進路調査表を燃やすつもりでした」



図書室で過ごす放課後。窓から射す赤く燃ゆる夕陽に、何度この身を燃やす想像をした事か。



「3人で過ごす時間は好きでした。ありのままの自分で、穏やかに過ごす事が出来た。でもその反面、刻々と過ぎていく穏やかな時間は私の首を締め上げていった」



【あなたはどの進路を希望しますか。

1.進学
2.就職

1を選択した人は3へ、2を選択した人は4へ】


真っ白な紙に書かれたこの言葉が、何よりも大嫌いだった。

1も2も選べない人間は、どこへ進めばいいの?



「折角運命を受け入れたのに、だから図書室に籠って他人との接触をなるべく避けていたのに、あんたが図書室に来てから私の人生は狂ったんですよ」

「凍花…ッ」




私の言葉に、宗方は慌てて身を起そうとした。しかし先に私が身を屈めて、宗方の手を包む自分の両手に額をくっつけたので奴は上手く起きられずに頭を枕に戻す。それでいい。今の私の顔を見るな。



「話くらい黙って聞け」

「だって、俺……!」

「……いいから、黙れ。あの時言えなかったこと、今全部言うから」



チリ、と燭台の炎が揺れる。

私は闇に溶けるように、静かに瞑目した。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ