お伽噺ー零ノ域ー

□不穏の兆し
1ページ/1ページ




「ご当主様、道路に水を撒き終りました〜」

「おや、暑い中お疲れ様。恭四郎」

「いえいえ。今年は朝顔が美しく咲きましたよ。このまそほ屋の玄関を華麗に彩ってます」

「そうかい。確かに綺麗だ」



玄関に置いておいた網のカーテンにくるくると上手く絡みついて美しく花を咲かす朝顔に、まそほ屋当主・菊代は微笑んだ。

朝の爽やかな風に気持ちよさそうに揺らいでいる。壬生があげてくれたのだろう水の滴が太陽の光にキラリと輝いていた。



「しばらく休憩にしよう。暑くて疲れたろう?」

「いえ全然!もっと働きますよ」

「ほほほ。殊勝な心だが、私のお茶には付き合ってくれないということかい?」

「あ…!いえそういう訳では!」



恭四郎はハッとして菊代が言いたかったことに気が付くと「じゃあ僕がお茶を淹れてきます!」と走って店の奥に消えてった。

元気すぎる従業員にころころと菊代は笑う。



「凍花ちゃんはいいお友達をもったねぇ」



今は遠い地で頑張っている筈の時期後継者の姿を思い浮かべて目元を緩めた。

昔から人付き合いが苦手な彼女が恭四郎を連れてきたときはとても驚いたけど、とても嬉しかった。



「ほほほ…あの時は恭四郎が凍花ちゃんの彼氏さんかと思ったんだけどね」



最初は得体の知れない男に凍花ちゃんをやるのは惜しいと思っていたが、壬生恭四郎という男の本性を知った今ではそれもいいなと思っている。寧ろそれがいい。

恭四郎は誰よりも凍花ちゃんのことを思っているし、私も恭四郎になら安心して凍花ちゃんを託せる。きっと、幸せにしてくれるだろう。

今まで凍花ちゃんは環境に恵まれなさ過ぎた。

その現況を作ってしまったのは他の誰でもない、私なんだけど……。だから、このまそほ屋を継いでくれたあとはせめて、彼女が幸せになりますよう。



「私が生きているうちに、凍花ちゃんのお婿さんの顔が見れればいいねぇ」

「何言ってるんですか。ご当主様はまだまだお若いんですから必ず見れますよ」



私の独り言を聞いていた恭四郎はくすくす笑いながら奥から戻ってきてお茶を注いでくれた。

お茶と一緒にコトンと小さなお皿が渡される。



「今日のお茶のお供はねりきりです」

「おやおや、また愛らしい朝顔の形だこと」



薄紫色の可愛らしいねりきり。食べるのが勿体無いくらいだけど、さくりと切って口の中に運んだ。甘い餡が口いっぱいに広がる。



「美味しいねぇ。私は菓子の中でもねりきりが一番好きだよ」

「あれ、前にカステラ食べた時もそう言ってませんでした?」

「ほほほ。そうだったかねぇ。ほら、恭四郎もお食べ」

「僕もねりきりは好きなんです。遠慮なく戴きます」



恭四郎は無邪気な顔で「どれにしようかな〜?」と箱の中のねりきりを吟味し、青い紫陽花のねりきりを選ぶと皿にのせてさくっと切って口に入れた。ほわっと顔を綻ばせる。



「美味しいです〜」

「今は色んな形があるんだねぇ」

「はい。次は何にしますか?」

「ん〜じゃあ金魚のをもらおうかな」



私から小皿を受け取った恭四郎は手際よく金魚のねりきりをのせた。一切形が崩れていないから大したものだ。



「そうそう。凍花ちゃんは元気だった?」

「はい、お変わりなく。あ、いえお美しくなっていましたよ。少し髪も伸びたような…」

「旅立ってまだ一か月も経っていないんだからすぐに髪が伸びるわけないでしょう。相変わらず凍花ちゃん信者だね、恭四郎は」

「?はい、勿論」



きょとんとして当たり前のように首を縦に振る恭四郎にほほほと笑った。

本当、この二人がくっつけばいいんだけどねぇ。



「荷物もきちんとお届けしましたし、あぁそうだ、凍花さんから…」



「み、壬生君。お疲れさま!」



突然まそほ屋に響いた若い女の子の声。私はやれやれと溜め息を吐いた。

恭四郎はポカンと玄関先を見ていたけど、やがて慌てたようにねりきりを膝に置く。



「虹花さん…その、ありがとうございます」

「…おばより先に恭四郎に挨拶かい?」

「え、あ!すみません…」



私が今の時間は店にいないとでも思っていたのか、私の姿を確認すると虹花は驚いて目を丸くするとやがてしゅんと肩を竦めて謝った。

私はすっかり不味くなってしまったお茶を無理やり飲み干す。



「どうしたんだい、虹花ちゃん。モデルのお仕事は忙しくないのかい?」

「っ!今は休憩中なんです。たまたまこの近くで撮影があったから…」

「…そう。大変だねぇ人気者は」

「………」



私の安い挑発に乗った虹花はムッと顔をしかめると「じゃあ撮影に戻るので失礼します!」と言ってさっさと帰っていった。

ほんの数分間の出来事だがどっと疲れた。

やれやれ何のために来たんだか…。



「ご、ご当主様!差し出がましいことを承知でいいますが、実の姪にあのような言い方は…」

「私の姪は凍花ちゃんただ一人。さ、お茶が無くなってしまったからおかわりをくれるかい?」

「ぅー…」



恭四郎は他にも言いたいことがありそうな顔をしていたけど先にお茶を注いでくれた。

私は美味しいお茶で喉を潤す。ほぅ、と息をついた。



「私だって虹花を可愛がってやりたいとは思っているさ。私が凍花ちゃんを贔屓して可愛がる度に凍花ちゃんと虹花の溝が深まっていくのもよーく知ってる」

「なら、どうして…!」



凍花ちゃんを一番に想う恭四郎は、私の言動のせいで凍花ちゃんの敵を無駄に増やしていることが気に食わないようだ。それくらい私だって頭では理解しているさ。



「…私までが虹花を可愛がってしまったら、凍花ちゃんがあまりにも不憫だ」

「……」

「凍花ちゃんはあの子のせいで未来を潰されたようなもんさ。凍花ちゃんは夢も、希望も、親の愛情さえ捨てざるえなかった。本当はね、私は少し虹花が憎いよ」

「ご当主様……」



私は自嘲気味に笑う。



「凍花ちゃんは、泣いたことがないんだよ。うちに来てから、ずぅっと…」



同じ姪なのに、虹花はモデルなんていう華やかな世界で自分のやりたいように自由に生きている。何不自由なく、幸せに。

それに引き換え、凍花ちゃんは人生で一番楽しい時を無駄にしてまそほ屋を継ぐために努力してきた。友達も趣味も青春もすべて犠牲にしてきた。

それなのに涙ひとつ見せず、大人の都合に振り回されている凍花ちゃんを不憫と言わずになんと言えよう。



「双子なのに…この埋められない差はなんなんだろうね」



さっきまで綺麗な青空が広がっていたのに薄く鈍色の雲が空を覆い始めている。



そろそろ、嵐がくるかもしれないね。



.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ