お伽噺ー零ノ域ー
□すりガラス越しの真実
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橙が薄く滲む黄昏、私はねりきりが入った重箱の一段とお茶が入った急須、湯呑を持つと静かに自分の部屋とは反対にある客間に向かった。
道は前に宗方に案内してもらったから覚えている。扉の前に立つと一つ深呼吸をしてからノックした。
「失礼します。京極ですが…」
「京極か。久しいな」
「あ、はい。お久しぶりです」
扉を開いた真壁さんにペコリと頭を下げる。
実は宗方とは頻繁に会っていたけど真壁さんと会うのはこの村に来て以来なので、かれこれ一週間以上は会っていなかった。
真壁さんは一日のほとんどをこの部屋で過ごすかフラリとどこかに人知れず出掛けるから、廊下でも全くすれ違わないし。
「今日は何用でこの部屋に来た」
「あ、ねりきりを作ったので真壁さんと宗方のお二人にと持ってきたんです。ついでにお茶も淹れてきました」
「ふ…この部屋に滞在する気満々だな」
「あ、わかっちゃいました?ご迷惑なら日を改めますが」
「いや、丁度休憩をいれようと思っていたところだ。上がりなさい」
扉を開けたままで真壁先生は部屋の奥に行ってしまったので私は「お邪魔します」と小さく声をかけて部屋に足を踏み入れた。
つい数日前に来た時より部屋が汚くなっている。ぼーっと部屋を見ていればゴホンと咳払いが聞こえて、「集中すると周囲が見えなくなってな」と真壁さんは苦笑していた。
「その気持ちはわかりますよ。私も一度仕事モードに入ると気付いた時には布が乱雑していますから」
「ほう…針仕事が好きなのか」
「いえ、特に好きというわけでは…」
「好きでなければ熱中など出来まい。私だって研究の為にこの村に来ているとはいえ、古くからある村の伝承や秘密を調べる事が好きだからこうして夢中になることができる。君は違うのか?」
「私は……どうでしょうか」
お茶を湯呑に注ぎながらやるせなく首を傾げた。
昔からまそほ屋は凍花ちゃんが継ぐんだよ、と菊代おば様に言い聞かせられてきたからその言葉を疑うことなく技術を習得してきた。ほとんどの子供時代を犠牲にして、まそほ屋の時期当主として恥ずかしくないよう技を極めてきた。
「やらなきゃいけないんだよ」と言われたからやってきた。そこに私の意志が介在したことなどあっただろうか?
そもそも私の夢は『まそほ屋を継ぐこと』なのだろうか。
「…お前も、苦労をしているようだな」
「へ?あぁ、まあ、それなりに」
真壁さんの真剣な顔に、私は曖昧に笑って返すしか出来なかった。
ぐらり。私の基盤が揺れた気がした。
「と、ころで宗方は?」
「少し所要があって今はいない。なに、すぐに帰ってくるだろう」
「そうですか」
私はふぅとお茶を少し冷ましてから嚥下した。
…これはちょっとマズイな。
「(真壁さんってただでさえも威圧的な雰囲気醸し出しているのに他人とコミュニケーションを上手く図れない私が二人きりなんて無理!宗方がいたから皆神村に来る時もなんとか会話出来たようなもんで、この雰囲気無理理理理理!!)」
ガクガクガクガク
「ど、どうした京極。震えているぞ」
「む…武者震いです!」
「そうか…お茶は零さないでくれ」
「あ、そうですよね。大切な書物が濡れたら大変」
私は慌てて周りの本を遠ざけようとしたらある文字が目に入って手の動きを止めた。
「双子巫女…秘祭…紅贄……?」
秘祭、という単語にハッとしておば様の言葉を思い出す。
『噂によると皆神村で大きなお祭りがある日に多数の蝶が舞うらしいです。』
『皆神村は周囲の村から特別扱いされてるみたい。』
『蝶は"死霊の化身"――――――』
「………!」
「?どうした、京極」
驚愕で目を見開く私に異常を感じた真壁さんはジッと私を見つめた。私は辛うじて詰まりかけていた息を吐き出し、数回呼吸を繰り返す。
もしかしたらおば様の手紙の内容を真壁さんに訊けば答えがわかるかもしれない。
でも安易に学者にこんなことを訊いてもいいのだろうか。
答えてくれるのだろうか。
「どうした。顔色が悪いぞ。やはり宗方を呼びに行くか…」
「真壁さん…」
真壁さんは心配そうに私の背中を擦ってくれた。
優しい人だ。
この人なら…私の話を聞いてくれるかもしれない。
「宗方は…呼ばなくていいです」
「む、しかし……」
「この手紙を、読んでほしいんです…」
震える手で袂から手紙を渡すと、真壁さんは何故今、と言わんばかりに不審そうな顔をしたけど黙って受け取って目を通してくれた。
私は手にした書物を読もうとしたけどやめる。
中途半端な知識で誤訳してしまうのが怖かったからだ。ただでさえもおば様からの手紙の内容を半信半疑で捉えていたのに、ここで書物を開いてしまったら……
真実だと、理解しなきゃいけなくなってしまう。
「…これは君のおばからの手紙だな」
「はい…」
「何故、これを私に?」
「…最初は興味本位だったんです。この村に来て少し経った頃に微かな異変を感じました。はっきりと"何"とは言えませんが、何かがおかしい。そう思ったんです。だから外界にいるおばに、この村の実態を訊こうと、手紙を送りました」
「……それで、その手紙の返事がこれか」
コクリと頷く。真壁さんは顎に手を当てて深く思案に耽ると私の目を真っ直ぐに見た。
「京極。この村の事実を知ってどうする」
「…どう、とも。ただ純粋に知りたいんです」
どうしてこの村の人たちは私たちに優しいのか。
双子が多いのか。
双子の子供は多いのに大人の中に双子は一組もいないのか。
…なんで睦月くんは時々悲しそうな瞳をするのか。
「興味本位で訊いている訳ではないのだな?」
「はい。どうしても知りたいんです。皆神村のことを」
「…わかった」
真壁さんは重々しく頷き紅葉型のねりきりを一口食べてお茶を飲むと、湯呑を静かに置いた。
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