伊予の戦女神

□焔の宴
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<宇鷺side>



「(おや…これはどうなればこういう状況になるんだ?)」



轟々と燃え盛る炎。紺色の夜空に煌めく清らかな星々に負けじと、激しく身を震わせて散らす火花。白い炎は大量の木々を飲み込んで天高くとぐろを巻いている。普段嗜む煙管の煙なんかよりも凶悪で神々しい厳粛な世界で、僕はひとり首を傾げた。山火事で神子たちが前進できずに困っているだろうと思い急いで山中を駆けて馳せ参じたというのに、いざ合流してみれば雰囲気は最悪で、しかも僕が予想していた最悪とは大きくかけ離れた『最悪』だった。

予測不能の事態に混乱しているならまだいい。なぜ仲間割れ擬きのことが起きている。途中から彼らの話し声が聞こえていたので大体の事情は把握しているが、これはあまりにも覚悟して戦場に出陣した身としてはお粗末な展開ではないか。



「馬鹿。全然間に合ってねえから」

「ンな事言ったって僕だって急いで来たんだよ。仕方無いから獣道走って此処まで来たってーのに」



形のいい眉を吊り上げて怒っているのか呆れているのか、どちらとも取れぬ表情の幼馴染に苦笑すると、灰色の雪が積もった草を踏んで皆と合流した。

どこの馬の骨とも分からぬ男を助けたせいで時間をくってしまった僕は、仕方無く馬瀬から三草山山頂に続く正規の道を通らずに、とても道とは呼べない獣道を疾駆してきた。幸か不幸かこの火事のおかげで目的地を見失うことなくたどり着くことができた。が、唯でさえも惟盛や知盛の相手をしたせいで全身傷だらけなのに、獣道で枝に引っ掻けた切り傷や木にぶつかったときに擦れた肌が相俟って、見るも無残な僕の格好を見た面々が顔を蒼白させている。こういう時のヒノエは淡白だからけろりとした顔をしているが。



「宇鷺殿、その姿は……」

「あーこれは…ちょっと転んだ」

「ちょっと転んだっていう怪我じゃないですよ!」



心配性の譲がすぐに反応する。けど今はその過剰な心配が煩わしくて、舌打ちしたくなったところを何とか飲み込んだ。素直な心配に八つ当たりするほど余裕をなくしちゃいないが、夜道が苦手だと申告するのは絶対に嫌だ。



「お前さ、目が」

「うるさい黙ってな」

「まだ何も言ってねえだろ」

「顔に出てんだよ。今は僕のことなんでどうでもいい」



熱風がねっとりと全身を撫でる。

もう大分周囲に火の手が回っていた。息を吸うたびに口内がかあっと乾いて、思わず唾を飲み込んで喉に刹那の潤いを送る。一刻も早くこの場を脱出せねばと本能が訴えていた。足取り荒くツカツカ進むと、へたり込んでいる望美ちゃんの手を引っ張って立たせた。そのまま綺麗な翡翠の瞳に魅せられたように見つめる。その双眸に浮かぶ透明な雫に眉をしかめた。



「っ宇鷺さん…」

「…偉大な白龍の神子様が簡単に泣きそうな顔してんじゃないよ。士気が下がったらどうするつもりだい」

「宇鷺、神子を責めないで。神子は何も悪くない」

「うるさい。泣いてる暇なんてない。今の僕らが出来るのは弁慶殿の言う通り、さっさと前に進むことだけだ。それが嫌なら弁慶殿の提案を上回る妙案を用意しなくてはいけない。戦で文句を言っていいのはそうした賢い奴だけだ」



ぎゅうと繋いだ手に力を籠めると、翡翠の濡れた瞳が瞠目した。僕もあることに気付いて微かに目を見開く。



「(なんて…白くて、細くて、女の子らしい手をしているのに。肉刺がたくさんある)」



そっと肉刺を撫でる。望美ちゃんはびくりと肩を震わせた。その反応で我に返り、これ以上はいけないと思ってパッと彼女の手を離す。何となく顔を見ることができなくて九郎殿の方を向いた。



「まあそういう訳だからさ、さっさと進む決断をしなよ。源氏の大将殿」

「簡単に言うな!俺には仲間を見捨てるなど出来ん!!」

「アンタは一体何しにこの三草山に来たんだい。鎌倉殿の名代さんよ」



冷めた目で彼の人を睨む。この場にいる誰もが焔の熱気に急かされながら、時が動くのを待っていた。今、時を動かせるのはたった一人しかいない。その一人が決断しないとやがてこの身は……。



「…僕が動かしてやるよ、時を」



傍に居る望美ちゃんにだけ聞こえるように小さく呟く。驚いた彼女は僕を見上げた。「どうするの」と訴えるその顔にニヒッと意地の悪い笑みを返した。



「賢い僕はここで皆に提案する。僕は此処に来る途中で隔離された下の兵士たちと合流した。焼けて倒れた巨木が道を塞いじまってたから、九郎殿の名代だと偽って下山を命じた。だから後尾にはほとんど兵士はいない。てな訳で、何も気にせずに進軍するというのはどうだろうか?」



神泉苑の時と同じで少し特殊な方法で鎮火したから、神子たちに怪しまれないようこの周辺の火だけは消せなかったのは僕だけの秘密だけどね。



「ほ、本当?宇鷺さん本当に?」

「流石の僕でもこんな時に嘘はつかないよ。死者を一人も出さないってのは無理だけど、大多数は無事のはず」

「よかった〜!九郎!」

「ああ、進軍するぞ!景時は急ぎ残っている兵士たちに進軍を伝えてくれ!」

「御意〜っと!」

「そして宇鷺!そういうことは早く言え馬鹿者!」

「しかたないだろ。九郎殿の名代と偽った手前、告白する時期を誤ったら不敬罪で捕えられる可能性もあったんだから」

「なんだ、お前もそういうことを気にするんだな」

「善意で牢屋行きになるなんて最悪だからね」



そうならなくてよかったと肩を竦めた瞬間、じくんと肩に熱を感じて眉をしかめた。裂けた着物からのぞく小さな切り傷が熱風にあてられてじくじく痛む。傷を負ってないむき出しの肌よりも傷口の方が熱に過剰に反応して疼いた。痛くて痒くて発狂しそうになるのを堪えて、口内の肉を噛む。



「っはあ……代償は大きいな」

「宇鷺殿」

「弁慶殿。どうかした?」

「これをお貸しします」



これ?と首を傾げていたらバサァと黒い外套が美しい月を遮って、傷だらけの身体を優しく抱いた。濃藍の空を焦がしそうな焰、それを静観する月、ざわめくようにチラチラ光る星、そして弁慶殿の綺麗な顔が視界を占める。

あまりに非現実的で一種神秘的な光景に、一瞬で脳にその光景が焼き付いた。

見惚れている僕を余所に、綺麗な彼は真剣な眼差しで鎖骨部分にある翡翠色の留め具で外套を留めていた。少しくすぐったい。外套が熱風を遮断していくらか痛みが緩和されたのがすぐに分かった。



「ありがとう弁慶殿。助かるよ。さっきから傷が疼いて気が狂いそうだったんだ」

「こんな傷だらけになって…あとで手当てをしながら、ゆっくりお話でもしましょうか」

「…えっ。あ、いや、僕のは大丈夫。全部かすり傷だし、僕より大変な状態の兵士がいると思うからほんとそっち優先して頼むよ!」

「前向きに検討します。それと……ありがとうございます」



さらりと栗色の川が流れる。それが弁慶殿の御髪だと、彼が頭を下げたために肩から溢れ落ちたのだと気付くのに少し時間がかかってしまった。

面を喰らってぱちくりと目を丸くする。



「なんだい。弁慶殿に頭を下げられる覚えはないんだけど」

「兵士たちを助けてくださった事です。宇鷺殿のお陰で後方を気にすることなく、また九郎や望美さんたちのように純真な者たちが心を痛めることなく前に進むことができます。この程度のお礼では足りないくらいに深く感謝しています」

「…軍師が簡単に頭を下げるな。士気が下がる」

「はい」



しおらしく首肯してるくせに、頭を上げる素振りがない弁慶殿。ため息を吐いた。



「僕は弁慶殿の判断が間違っているとは思わない。命を懸けた戦なんだから勝つための行動に伴う代償は覚悟しなければならない。負けたらそれこそ散った命に申し訳が立たないしな」

「……そうですね」

「まあ、結果的にさ」



俯く弁慶の両頬を掴んで無理矢理顔を上げさせる。幼い頃ヒノエが悪さしたときに説教するときもよくこうしたっけ。あのときと違って土やら灰やらで汚れた両手で触れてしまったが、どうか許してほしい。
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