平和ノ詩ヲ謳歌シヨウ
□物語ハラレンタンドニ
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チュン、チュン
「…………はあ…」
格子で区切られた深い森と鳥の囀りを背に、自分は溜め息を吐いた。
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「早いですね。おはようございます」
昨夜ルード少年に説明を受けた『階下』に顔を出すと、少年が一人で食事の準備をしている最中だった。なんとなく前髪を撫でながら「おはようございます」と返答し、白いテーブルクロスが一際目を惹くテーブルに近付く。
「もしかして、眠れませんでしたか」
「い、いえ。自分は普段から就寝も起床も早く、この時間に起きるのが習慣なのであります」
「そうですか。良い事です」
「自分も準備を手伝います」
「…いえ、結構です。座って待っていてください」
誰がどこに着席するのか決まっているようで、ルード少年は下座の椅子を引いて着席を促す。自分はそこに座らず、少年を見た。
「手伝わせていただきたいのです。彼女と違って自分は招かれざる人間…良い様にこき使ってほしいのであります」
「へえ、驚きました。随分弁えているのですね。なら私が貴女の手伝いを拒む理由もわかるのでは?」
「…その心配はご尤もであります」
キラリと朝日をうけて輝くスプーンを見る。この場には自分とルード少年しかおらず、他の人が起きてくる気配はない。朝食に毒物を仕込むには最適のシチュエーションだ。
『毒殺』なんて自分の正義に反する行為をする筈もないが、それを初対面と変わらぬ間柄の相手に信用してもらうのは難しいだろう。
「なら食事以外で手伝わせてほしいであります。掃除でも、洗濯でもなんでも」
「………………」
ルード少年は自分から目を反らさず、それでいて一切表情を変えることなく押し黙る。自分も目を反らさず、真っ直ぐ彼を見つめた。
そういえば昔から「いつもおどおどしているくせに変な時だけ動じない」と他方から言われてきた事を思い出す。親は不思議そうに、クラスメート達は少しだけ気味悪そうに、職場の方々は面白そうに皆口を揃えて同じ事を言う。
かく言う自分も、その件に関しては自覚があった。
理由は怪奇で、『沈黙が好きだから』。
「………」
「(……ああ、少年すごく悩んでる…)」
「………」
「………」
「……では薪割りをお願いできますか」
「薪割り!喜んでやるであります!」
思いがけない力仕事に、ぱっと満面の笑みが零れた。自分のテンションの変化にルード少年はギョッと目を見開く。
「なぜそんなに喜んでいるのですか?ただの薪割りですよ」
「前に自分の職場の先輩が『薪割りは良いトレーニングになる』とおっしゃっていました。以来自分も薪割りをやりたかったのであります!」
バサリとコートを脱いで少年が引いた椅子の背もたれにかける。ワイシャツの袖を肘まで捲り、呆れた様子のルード少年の背中をうきうきしながらついて行った。
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+
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「36……37……38………!」
斧を振りかざす度にパコーンパコーンと小気味良い音を立てて丸太が割れる。斧を振り上げたときに刃の重みが前腕にかかり、振り下ろして薪を割った後に下の土台に斧が刺さらないよう、絶妙な力加減をコントロールする。そしてまた下から上に斧を振り上げる。胸筋が伸びてビリッと小さな痛みが走る。
朝の空気は心地良く、近くに木が沢山あるからとても爽やかな気持ちになる。
はっきり言って、今の状況とても楽しい。
「お疲れ様です。もう結構ですよ」
「ええっ!もういいのでありますか!?」
台所からひょこっと顔を出して作業停止を告げるルード少年に、自分は情けない声をあげた。せっかく体が温まってきたところだというのに…肩を落として道具を元の場所に戻す。
「貴女のことをあまり信用していませんが、垢を煎じて虎に飲ませたいですね」
「少年、もっと薪割りを…ああ、ほら、調理やお風呂に薪が必要なのでは」
「……変な人ですね。そんなにやりたいのなら毎朝決まった量分、薪割りをしたらどうですか。多過ぎるのは困りますが、毎日消費するものなので」
「嬉しいであります!それなら毎日トレーニングできるであります!」
筋肉の負荷とビリッとした痛みを思い出してにこにこが止まらない。明日は斧に重りでも付けようか…振り上げたら前腕筋が痛そうだ…!振り下ろした斧を止められるだろうか…!考えただけで胸が高鳴る。
「あと昨夜も言いましたが、私の事を少年と呼ぶのは止めてください。『ルード』で結構です。白菊さん」
「失礼しました、ルード殿」
「『殿』はやめてください。軍人ではあるまいし…」
「ではルードさんと呼ばせていただくであります」
「まあ、殿よりはマシですね」
やれやれとルードさんはため息を吐いた。
「朝食ができました。龍神の神子を起こしてきてくれますか」
「彼女はまだ起きていないのでありますか?」
「ええ。全く、困ります」
「…今は寝かせていただけないでしょうか?色々あって疲れているのです。今日だけでも」
昨日いきなり『タイムスリップ』したというだけでも衝撃的なのに、『怨霊』やら扱ったことのない『短銃』での戦闘で、さぞ身体も精神も疲れているだろう。自分は荒事に慣れているし繊細ではないので通常通りに動いているが、今より年が若かったらと思うとゾッとする。
ルードさんは一瞬嫌そうな顔をしたけれど、渋々頷いた。
「では白菊さんは先に朝食を食べてください」
「ありがとうございます!とてもお腹が空いていたであります」
台所の裏口から中へ入り、ルードさんに促されるままに手を洗う。水回りはステンレス製で、蛇口を捻れば水が出る。現代ではよくある台所水回りのスタイルが大正時代から確立されていたのだと思うと、なんだか不思議な気分だった。想像していたより『大正』は現代に近いみたいだ。
「ルードさん。変な事を訊いてもいいでありますか?」
「却下です。変な事を聞く時間はありません」
「そうでありますか……」
「……なんですか。手短になら聞いてあげますよ」
「明治期から市民の水回りはこんな感じだったのでありましょうか?」
「本当に変な事を訊きますね」
「気になったもので…」
「見て分かると思いますが、この邸は洋風です。日本様式の家ならまず水回りは石製か木製、またはそもそも台所に水回りがありません。井戸で水を汲み、瓶に溜めておくか都度水を汲むしかありません」
面倒臭そうな顔をしていても、ルードさんは丁寧に教えてくれた。自分は真摯に頷く。質疑応答を繰り返しているうちにあっという間に食堂に着いた。テーブルの上座には朝からしっかり身だしなみが整っているダリウスが優雅に座り、紅茶を飲んでいた。自分はハッとして乱れた襟や袖を整える。視界にわたわた動く自分の姿が入ったのか、ダリウスはティーカップから口を離してこちらを見た。
「お、おはようございます」
「おはよう。その様子だとルードの手伝いでもしていたのかな?」
「て、手伝いというには烏滸がましいでありますが、薪割りを」
ダリウスは綺麗な青い瞳をパチリと瞬きする。
「女性に力仕事を頼んだのかい?」
「彼女が仕事をしたいと言うので。強要はしていませんよ」
「はい!とても有意義で楽しかったであります!次から薪割りは自分に任せてほしいのであります。薪割りのみならず、力仕事は自分にお任せください!」
席に座ろうと先ほど自分がかけたコートの席を見る。しかしそこにコートはなく、すぐ側の窓枠にハンガーにかけられたコートがあった。きっとルードさんの心遣いだろう。感謝しつつ席につく。
「思っていたより貴女はお転婆な女性のようだ」
「この状況下でよく薪割りを楽しめますね。怖くないのですか」
「?いえ、自分は特に。分からないものを延々と不安がっていても仕方ないのであります」
自分は脳筋であるため、深く考える事は苦手だ。見えないものに怯えているよりもいっそ今この瞬間を今まで通りに生きて、それで彼女が目を覚ましたときに一緒に説明を聞こう。
…そんな事よりも。
「…い、いただいても?」
目の前に広がる美味しそうな朝ご飯に、自分ははしたなくも二人に食事の許可を求める。運動後でお腹が空いているし、ほかほかと湯気が立つ温かなうちに食べたかった。
二人は顔を合わせ、一方は呆れたように、一方は楽しそうに頷いたのを確認して「いただきます」と元気に言ってスプーンに手を伸ばす。スープを掬ってぱくりと一口。
「美味しい!」
現代ではコンビニ弁当が当たり前だった自分には、ルードさんの手料理が心の底から美味しいと思った。温かくて、優しい味がする。久しぶりに食べ物本来の旨味を感じた。
「(田舎の両親は元気だろうか…久しぶりにお母さんの手料理が食べたい)」
社会人になってからは仕事が忙しくて帰郷したいなんて一度も思わなかったが、こうして時間に余裕ができて誰かの料理を食べていると実家を思い出さずにはいられなかった。時間があると余計な事を考えてしまっていけない。ブンブンと首を振って食事に集中する。
「ごちそうさまでした。ルードさん、皿洗いは自分がするであります」
「いえ、それは私が…」
「皿洗いでよからぬ事はできないであります。どうか自分に洗わせてください」
先程こっそりパンツのポケットに入っていた懐中時計を盗み見たのだが、まだ7時を回った時刻だった。現代での生活リズムを考えると、学生がこの時間に起きてくるのは稀ではないだろうか。感覚的には休日だし。
彼女が起きてくるまで手持無沙汰になってしまうから、どうにかして動きたかった。というわけでルード少年に皿洗いを所望する。
ルードさんは困っているのか怒っているのか区別できない表情で自分を見た。その気配を察したのか、ダリウスはクスリと笑う。
「手伝ってくれるのは嬉しいけれど、客人を働かせるのはちょっと気が引けるな」
「あ、あくまで自分は彼女の腰巾着であります。客ではないので気を遣っていただく必要はないのであります」
ダリウスはルードさんに「そうだって」と言いたげに一瞥する。ルードさんはそれでも自分が働くことに危惧を感じているのか、首を横に振った。
「ルードもこう頑なだし、手伝いは諦めて俺の話相手になってほしいな」
「しかし」
「白菊さん。珈琲と紅茶、どちらがお好みですか」
「え?えっと…珈琲…?」
突飛な質問に思わず返答。それだけ聞くとルードさんは自分の手から食器を持ってサッサと奥に消えてしまった。巧みにあしらわれたと気付き、渋々座り直す。
「自分より年下に見えて、ルードさんはしっかりしているであります…」
「貴女も十分しっかりしているよ。異世界に飛ばされたというのに、いつも通りに過ごしているんだからね」
「じ、自分は馬鹿なので深く考えるのが苦手なだけであります…」
はは、と苦笑する。何事も何かあった時に対処すればいいと思っている。
「…神子と貴女の関係を訊いてもいいかな」
「大丈夫であります。自分は警察官で、彼女は学生です。ほぼ初対面であります」
「君の時代では女性でも警察になれるのか。驚いたな」
「た、確かにこの時代と比べると女性が働きやすい時代になりました。職種も多種多様であります」
ルードさんが自分の前に珈琲を、ダリウスには新しい紅茶を注ぐ。ぺこりと頭をさげてティーカップに口をつけた。ダリウスは少しだけ目を細めて、何かを考えている。
「…もしかして彼女を召喚したとき、荒事になったのかい?警察の君が看過できないほどに」
彼の問いに、自分は前髪で隠れた目をぱちりと瞬いた。
「ご、ご存知ではないのですか」
「…いや。貴女たちを召喚したのは俺達じゃないからね」
それは可怪しい、と思う。
確かにあの晩は軍服を着た人たちとダリウスたちが対峙していた。ダリウスたちが彼女を呼んでいないのなら軍服の人たちが呼んだことになるが、あの場にダリウスたちが居たという事は少なからず彼女をあの日召喚することを知っていたのだ。
『召喚』がどんな事柄なのかを知っていたはずだ。
「…あの場に自分がいたのは偶然であります。突然空が歪んで、彼女が歪みの渦に吸い込まれて…」
病院の屋上で見た奇怪な景色を回想する。そのとき状況はさっぱり分からなかったけど、危険な目にあっている彼女を兎に角救わなければと思って必死に手を伸ばした。
伸ばしたけれど、この指先は届かなかった。
「…自分は市民を守る為に存在しています。場所や時代が違えど、職務を全うするだけであります」
根幹が揺らがなければ、自分に怖いものはない。
綺麗な青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
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