伊予の戦女神
□蠱惑の薫り
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真っ白い雲がぽっかり浮かぶ青空は優雅に天高く、雀は鈴のような可憐な鳴き声で泡沫の平和を謳歌する。例え一時的な平穏であってもそれはとても貴重な時間で、刺激のない長閑な空間にいつまでも入り浸りたっていたいと願わずにはいられない。
「(……それは叶わぬ身だけれど)」
この曖昧で温い風は平穏を運ぶとともにこの身に宿る激情を容易く風化させる。それは一見幸せのようにも思えるが、熱く胸を焦がすこの激情を失うという事は自分が自分でなくなることと同義である。万一そんな展開にでもなったら道楽者に成り果てる前に足に重りを括りつけて瀬戸内海に飛び込んでやる。思い切り高い所から飛んだらさぞや潮風が気持ち良いだろう。
つまりは現状維持もしくは現状打破以外を望んでないくせに、柄を握りっぱなしで疲れてきた右手から意識を反らすための詭弁である。
「はあ。リズそっちは終わったかい」
「ああ。そちらは」
「恙無く。にしてもこりゃあ面倒臭いねぇ」
すっかり凝ってしまった首をコキンッと小気味良く鳴らし、溜め息を吐いた。
宇鷺とリズヴァーンは最近京に出没し始めた怨霊を退治する為に、朝からあちらこちらに駆り出されていた。神泉苑、五条大橋、比叡山……数えたらキリがないくらいにここ数日間奔走し続けている。神子や他の八葉たちも同様で数人で組んで散り散りで各々労働に勤しんでいた。倒した怨霊の数も数知れず、働き続けの日々に宇鷺はそろそろ辟易していた。
「何で僕が怨霊を退治しなきゃいけないんだ。僕は源氏に与してるわけじゃないのに」
「梶原邸に居候している身、恩義くらいは感じているだろう?なら働いて返すべきだ」
「チッ。言い返せない、ねっ!!」
会話の途中でビュンと鞭をしならせリズヴァーンの背後にいた土蜘蛛を倒す。予告無しの攻撃に関わらず、まるで最初から土蜘蛛が自身の後ろにいることを悟っていたかのようにリズヴァーンは動揺を見せない。
寡黙だがどっしり構えている山のような彼に少なからず宇鷺は好意を抱いていた。にんまり笑って無造作に前髪をかきあげる。指の間から数本髪の毛がはらりと零れた。
「僕、リズヴァーンに逢えて良かったなぁ」
神泉苑で行われた雨乞いの儀の後、当初の予定通り宇鷺たちは星の一族にお目通りに行った。一族の御当主は望美たちの世界にいるという事、譲は星の一族の血を引いている事、あまり星の一族の助力は期待出来ないという事…良いこと悪いこともひっくるめて沢山の話を聞いた(特に重要な話は無かったが帰り際に貰った造花は有益だった。今度作ってみようかな)。
その帰りに望美の提案でリズヴァーンがいるかもしれないと、神泉苑に寄ったのが正解だった。
「あの時のリズの花断ち、綺麗だったねぇ。また見せてよ」
「…見世物ではないのだぞ」
「お堅いなぁ、っと」
バシッ!
ザシュッ!
鋭く唸る漆黒の鞭
空を斬る鋼の大剣
二つに裂かれて消える怨霊。
「ちょいと、僕の獲物だったんだけど?」
「私の方が近かったから斬っただけだ」
ふっと澄んだ青い目を細めたリズヴァーンに、宇鷺はにゃろう…と彼の隙のない鮮やかな攻撃に舌を巻いた。
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同時刻、梶原邸の一室。
源氏の御曹司、智謀溢るる策略家、功名高い軍奉行の御三方が集結し、軍議がまことしやかに行われていた。
「京には日々、怨霊が現れているようだな」
「うん。今日も沢山現れたらしくて朔と譲くん、望美ちゃんとヒノエくん、宇鷺さんとリズ先生の三組で京内を回ってくれてるよ」
「何日もそれが続いてる状況…平家は本気で京を狙っています。このままで済むとは思えませんね」
「しかも三草山に平家の軍が集まってるらしいよ。京を目指しての準備だって噂も出てきてるみたいだしさ、困っちゃうよね」
「やはり、そうですか……京を戦場にするわけにはいきません。今のうちにこちらも攻めに回るべきでしょうね。何としても、三草山で平家を食い止めなければ」
それに、と弁慶は付け足す。
「戦力が少しでも多いうちに出陣するのが得策でしょう」
「戦力?なんのことだ」
「もしかしてヒノエくんと宇鷺さんのことかい?あの二人、最近よく頑張ってくれてるよね」
「ええ。ヒノエは敵を仕留めるのが早く、宇鷺殿は士気を高めるのが上手い。きっと源氏の戦力になってくれるでしょう」
「…弁慶の言いたい事はわかったが、過大評価ではないのか」
「ふふ。それは三草山で自分の目で確認してください」
「(…あれ、でもよく考えたら二人に確認せずに話を進めるのはまずいんじゃ……)」
景時はそろそろと横目で弁慶を見る。景時の視線を受けて弁慶はにこりと微笑んだ。
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