□麦茶
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「いらっしゃいませ。」
扉を開けると一人の少女が出迎えた。

入店した若い女性は少し目を開かせた。
「あら、新しい子かしら?」

「はい。ナオと申します。」

従業員――ナオはあどけなく微笑んだ。


「そう。ナオちゃん、よろしくね。高校生?」

彼女の言葉にナオは軽く笑う。



「大学一年生ですよ。」
店の奥から声が飛んできた。


「あら、レイさんも居たのね。」

「ふふ、忘れないで下さい。」

「忘れてたわけではないわよ。」

心地好いリズムが店内を飛び交う。


「あ、先輩、私マスターに午後の買い出し頼まれてたんで、ちょっと行ってきます。」
ナオがレイを見上げて言った。

「分かりました。気を付けて。」

「はい。直ぐに戻ってきます。」

そう言って店の奥の裏口へ向かっていった。



「ご注文は何に致しますか?」
レイが彼女に問う。


「うーん…。麦茶、麦茶が飲みたいわ。有る?」

冗談のような本気のような顔で彼女は言った。


「勿論ございますよ。少々御待ちください。」



ほんの2、3分して、お盆に載せられた麦茶がやってきた。

しゃらしゃらと細かい氷がグラスを飾る。

その一粒一粒に光が舞った。



「嘘っていけないものだと思う?」

不意に彼女の声が浮き出た。


「嘘は気付いたときに傷付くけど、本音にはダイレクトに傷つけられない?」

そのまま言葉が連なる。


「嘘に気付いて傷付くけど、それまではそれに護られてる。嘘自体には罪は無いのかもしれない。」

「と、言いますと?」


「あー上手く説明できないわ。」

まぁ、良いじゃない。

彼女はそう言ってストローに口をつけた。

一口分吸って離れる。




「なんかやぁね。麦茶をストローで飲むって。なんだかストローの味しかしないわ。」
彼女は軽く苦笑いを浮かべた。

「お取りしましょうか?」

「んー、良いわ。たまには。」

そう言ってもう一度口に含む。こんどは先程よりも長く吸った。




「私さ、正直になりすぎるんだよね。」

左手薬指にはまる指輪を右手でなぞる。

「彼と喧嘩しちゃった。」
口元だけで笑う。

目の上の前髪が影を濃くしたように見えた。


「君は素直だよ、って」

ふっ、と声を漏らす。

「君は素直すぎるから、もう少し嘘を覚えた方が良いって…淡々と言われた。」

「さようでございますか。」

「喧嘩というより諭された感じだわ。」

ゆっくりと指輪を外す。


「たまに、彼といるのが窮屈になるの。もうやめちゃおっかなって思う。」


目を細めて指輪を見つめた。




「嘘、でございますか?」

「そうよ。ばれた?」

レイの言葉に彼女はちろりと桃色の舌を覗かせておどけた。


「嘘を覚えようと思って。やっぱり彼と居るために。」

ほんの微かだが彼女の頬がぴくりと痙攣した。


「例えば、」
レイが口を開く。

机の上のコースターを持ち上げた。

「このコースターには裏表がございます。」

手首を動かし手品師のように裏と表を見せる。


「表の無いコースターは存在しませんし、裏の無いコースターもまた然りです。」


「そうね。」


「引っくり返したら表は裏に、裏は表になり得ります。」

レイの言葉を彼女は真剣に聞いていた。


「ですが、結局は同じひとつのコースターなのです。」


彼女は黙ったままだ。


「お客様も同じではないでしょうか。」

――もちろん彼も。

そうレイは付け加えた。


「つまりは…、私の裏表は素直さと無神経さで出来ているということ?」

彼女は細めた目を元に戻し悪戯に笑った。


「申し訳ございません。出過ぎた事を申しました。」

レイは微笑んで少し頭を下げた。


「ふふ、さっきのしゃべり方、彼にそっくりだったわ。」

彼女は思い出すようにクスクスと笑った。



「彼は筋道を立てて話す癖があるの。」




ガチャとカウンターの奥から扉の開く音がした。


「あら、ナオちゃん帰ってきたんじゃない?」

「そうですね。」

「じゃあ三人でお喋りしましょう?」

彼女の瞳が窓から入る光に輝いた。

「彼の事思いっきり愚痴ってやるんだから。付き合ってくれる?」

「勿論でございます。では呼んで参ります。」


レイの姿がカウンターの奥に溶けていった。

木漏れ日が万華鏡の様に形を変え続ける。

きっとこの光は影をつくり、影は光の存在をはっきりとさせる。


「影がなかったら、光という定義は生まれないのね。」

彼女の唇が静かに動いた。


「やだ、この喋り方。…彼にそっくり。」

クスクスと声が漂う。


いつの間にか左手薬指に戻された指輪が、店内を覗く光に鈍く瞬いていた。



fin.
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