頂き物

□夢見る少女じゃいられない
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* * *



「…はぁ、なんか、朝から疲れた」


深々と座席のシートに体をうずめる。黒塗りの高級車の中はわたしと、気心の知れた護衛の他に誰もいない。
運転席と別空間になっている大型のリムジンは、わたしのいつもの通学スタイルだ。もちろん、望むと望まざるとに関わらず。正直なところ目立って仕方ない高級車はやめてほしかったが、社長である父、プレジデントに厳命された送迎係たちは今日もわたしの抗議の声などお構いなしに、学校へ続く道を走るのだった。

「浮かない顔ね。イノセントに元気がないなんて、珍しい。」

座席の向かいから、護衛役の彼女 ―― エレノア・アルベリックが声をかける。わたしとそう年のかわらない、線の細い女性でありながら、彼女は誰もが一目置く刀の使い手だった。
ソルジャー・クラス1st。そんな戦いのプロに通学に付き添ってもらいながら、わたしは大きくため息をついた。

「朝からお兄様がひどいの。人のこと、さんざん子ども扱いして。
たまには歩いて学校に行きたい、って言っただけなんだよ?普通の女の子みたいに、歩いたり、電車に乗ったりしてみたいなぁ、って」
「それは…護衛の私たちが大変かもしれないわね」

涼しげな目元をほころばせて、彼女が苦笑する。長くすらりとした脚を組みかえる刹那、腰に携えた刀が鞘の中でかちゃりと鳴った。

「うぅ…エレンもお兄様と同じこと言う。
わたしだって、ふつうの女の子みたいにしたいだけなのに!本の中にあるみたいに、放課後遊びに行ったりさぁ。
朝、食パンかじりながらバタバターって出かけて、曲がり角で偶然運命の人に出会ったりして!
やっぱり憧れるよ」
「それは…普通の女の子にもなかなか起きないと思うわよ」
「そうかなぁ…本の中でしか、素敵な出会いなんてないのかな?
あーあ、学校だって女子校だから、女の子の友達しかいないし!」

うー、と唸って学生鞄を抱きかかえる。まるで駄々をこねる子どもそのものだ、と自分でもわかってはいたが、今はそれも良しとすることにした。相手はエレンなんだし、という甘えからか、いつもはぐっと飲み込む兄への不満もついつい口に出てしまう。

車の窓から外をのぞくと、楽しげに話しながら道ゆくカップルや、忙しげな学生たちの姿が見えた。女の子たちは思い思いの服で着飾ったり、校則違反のスカート丈を楽しんだりしている。
視線を転じて、自分の制服を見下ろす。『由緒正しいお嬢様学校』で通っているわたしの学校の制服は、街では『修道女』と揶揄されるほど古めかしい。
クラシックなグレーの生地と、きっちりひざ丈スカートが重苦しかった。はぁ、とさらにため息をつく。
シスターみたいな恰好をしていては、胸のときめく恋なんてまだまだ遠い。

ふと、感情の読みとれない顔をしたまま窓に目を向けているエレンを盗み見る。


―― …そう言えば、エレンは恋人がいる、って前に聞いたことがあったっけ。相手のことを聞いたら、はぐらかされちゃったけど…。

わたしよりずいぶん大人びて見える彼女に、思いきって尋ねてみた。

「ねぇエレン、恋って…
誰かを好きになるって、そんなにいいことなのかな?
誰かと好き合って、恋人同士になるって、いいこと?」
「…え?」

わたしの問いかけに、エレンがこちらを振り返る。
いつも隙のない彼女には珍しく、一瞬の、無防備な表情だった。

「どうしたの、急にそんなことを聞くなんて」

すぐいつものクールな表情に戻って、困ったように笑う。朝の光が、スモークを張ったガラス越しに彼女の横顔に差し込んでいた。

「ほら、前にエレンには恋人がいるって話を聞いたことがあったから。
恋の素晴らしさ、っていうの?エレンならわかるんじゃないかなぁって。ごめんね、変な質問しちゃったかな?」
「本当ね、そんなことばかり考えるなんて、イノセントは本の読みすぎよ。」

質問の答えを遠ざけるように、彼女は困ったように肩を竦めた。
しかし一寸、彼女は何かの答えを探すように宙に視線を漂わせる。わたしが答えをあきらめたその時、彼女はとても小さな声で、ぽつりと呟いた。

「でも…そうね、
誰かが、私自身よりも私のことを想ってくれているのは、単純に幸福なことだと思うわ。」
「え…?」
「…いつかイノセントにも、そんな人が現れるのね、きっと。」

とても大切なことを聞き逃してしまった気がして、エレンに目で問いかける、それってどういうこと、と。
しかしこの話はおしまい、とばかりに一つ伸びをして、エレンは窓の外をのぞき見た。

「さぁ、そろそろ着くわよ。
学生の本分は勉強でしょう?しっかり勉学に励んでらっしゃい」
「ねぇエレン、さっきの言葉、すごく気になるんだけど!
もっと詳しく教えてよ」
「それはまた今度。」

彼女が一瞬見せた寂しげな表情 ―― 幸福について話しているはずなのに、なぜか寂しげな表情が気になって、問いかける。しかしそれに応えることなく、車のドアが開かれると、エレンはわたしの背中をそっと押しだした。
一歩降り立った歩道には、同じ学校に通う女の子たちの賑やかな話声が溢れている。正面を見れば、古い歴史ばかりを主張する様な校舎がそびえ立っていた。
わたしが属する、まだ、恋とは遠い世界。

「エレンっ、続きはまた今度聞かせてね!ぜったいだからね!」

校舎から始業五分前を告げる予鈴が聞こえる。振り返ったわたしに、エレンはいいから早く行きなさい、とばかりに右手を振った。

修道女みたいな制服のスカートが、風を孕んで少しだけ揺れる。わたしはエレンに手を振り返し、くるりと正面を向いて駆けだす。

周りには学校に遅れまいと、小走りになった生徒がちらほら見える。わたしと同じように、恋に憧れ夢見る少女たちが、今日も退屈な授業を受けるべく先を急いでいた。






fin
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