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□Adagio for strings
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「虎徹さ――」

背後で響いた鈍い音に振り返ったバーナビーの目は、敵の拳が虎徹の顔面にめり込んでいる瞬間を捉えた。敵もどうやらネクストで、淡い青い光に包まれた拳は鉄のような素材に変化しており、虎鉄の顔面を覆うマスクを完全に破壊していた。能力を発動していたバーナビーにとってその映像はスローモーションのように見え、敵の拳の四方に舞う虎徹のマスクの欠片と血飛沫の一粒一粒すら、彼には完璧に捉えることができた。

反射的に伸ばした手は届くことなく、虎徹は数メートル先まで瞬時に吹き飛ばされる。そして崩れたビルの壁にぶつかると、抗うことなくまるで壊れた人形のようにそのまま落下し、ガラガラと崩壊する残骸の中に消えた。

「虎徹さん!」

バーナビーは叫ぶと同時に驚異的な脚力で飛び出した。そして塵と埃とでもうもうと煙の立つ中、下敷きになった虎徹を救い出すため瓦礫の山を夢中で払い除けた。
バーナビーの心拍数は急激に上昇する。頭が真っ白になる。ただ心の中で彼の名だけを叫び続ける。虎徹さん、虎徹さん、虎徹さん。

虎徹のスーツの見慣れた緑が瓦礫の重なりの隙間からわずかに垣間見えた瞬間、バーナビーの心臓は痛い程鼓動を打った。

「今助けます!」

最後の瓦礫を払い除け、下敷きになっていた虎徹を抱き上げ救い出す。

「あぁ…!」

身体はヒーロースーツに守られ無事のようだった。ただ、敵に攻撃された虎徹のマスクの左半面は完全に破壊され、血肉とマスクの欠片がぐちゃぐちゃに混ざりあっていた。虎鉄はかろうじて残っている右目を痙攣させながら少し開け、歯をがちがち鳴らしながら右の口角をわずかに上げて見せた。

「ば…な…」
「虎徹さん!聞こえますか?!」
「…ぁ…」
「しっかりしてください!」
「……だ、い…じょ…」
「…虎徹さん…!」

バーナビーは彼の名を呼ぶことしかできなかった。頭が真っ白になっていたことよりも、自身がこれ以上無い程悲惨な状態だというのに「大丈夫」などと言おうとする虎徹に、かける言葉なんて到底見つからなかったのだ。
虎徹の皮膚は唇からみるみる真っ青になっていき、左顔面の血肉の鮮やかな赤と奇妙なコントラストを作り上げていく。彼の状態が最悪であることは、一目瞭然だった。

残された虎徹の右の瞳が左右にぎょろぎょろと動きだし次第に定まらなくなってくる。鼻からは血が流れだし、口は力なく開きはじめた。堪えきれなくなったバーナビーは獣のような叫び声をあげた。建物の残骸が広がる灰色の街に、その声は響き渡る。

「わかったか、ヒーローなんてな、所詮自己満足なんだよ!」

近づいてくる足音、そしてバーナビーの背後から敵が言う。得意気な声。

「ハハ!ぐちゃぐちゃになってやがる!そいつなんかよりよっぽど俺様の方が強ぇじゃねぇか!なぁ!」
「…許さない」

バーナビーはそう低く呟いた。

「あァ?お前今なんつった?ヒーローごときが俺様にほざいてんじゃねぇぞ」

そして痙攣を始めた虎徹をそっと地面に横たえる。

「まぁいい。お前も今すぐそっちの雑魚みたいに殺し――」

バーナビーは瞬間的に飛び出し敵の顔面を力の限り殴り付けていた。防御する暇などなく地面に叩きつけられるように倒れた敵の上に馬乗りになると、バーナビーは声にならない声をあげて何度も何度も敵を殴った。彼が拳を振り下ろすのに合わせて、既に息絶えている敵の両腕が繰り返し繰り返し、僅かに弾む。
そのうち彼のヘルメットの中で機械音が小さく響く。

『能力終了まで、5秒前、4、3、2、1、――』

能力が切れても彼は殴り続けた。
やがて敵の顔面“だった”部分がただの血肉に変わり、バーナビーの拳に地面の感触しか伝わってこなくなったとき、彼はようやく殴るのを終えた。

「虎徹さん」

そして思い出したように名を口にしふらりと立ち上がり、彼のもとへ戻る。横たわる彼の上半身を抱き上げる。ガチャガチャとスーツが音をたててぶつかる。脱いでしまいたいと思った。最期くらい肌と肌で虎徹さんを抱きたいと――彼の中にわずかに残された冷静な部分は無意識のうちにそう認識していたのだった。本人の気づかないレベルで、『最期くらい』と――バーナビーは強く思った。

「虎徹さん、」

虎徹は痙攣している。何かを伝えたいのか唇が微かに動いて見えてはいるものの、声はない。

「敵は倒しました」

バーナビーは話し続ける。

「安心してください。人質は全員無事です。アニエスさんから無線がありました」
「ブルーローズもスカイハイも現場を片付けてこちらに向かっています」
「虎徹さん」
「返事をしてください」
「虎徹さん」
「今日、仕事終わったら飲みにいこうって言ってくれたじゃないですか」
「虎徹さん」
「僕結構楽しみにしてたんですよ」
「虎徹さん」
「目を開けてください」
「ねぇ、虎徹さん」

堰を切ったように熱いものが込み上げ、バーナビーの目から途端に零れ落ちた。

「…僕を、一人にしないでッ…!」

虎徹の肩を抱き、手を握り、バーナビーは嗚咽を漏らす。そして被っていたヘルメットを脱ぎ捨てると虎徹の青い頬に自身のそれを擦り寄せまた泣いた。虎徹の血とバーナビーの涙がまざり、二人の頬を赤く濡らす。

すると、彼のその行為に応えるように虎徹の口元が一瞬緩むと、次の瞬間虎徹の体は徐々に淡く青い光に包まれていった。それに気づいたバーナビーが目を見開いて彼を見る。唇がわずかに動いていく。最後の力を振り絞って、虎徹が声を発しようとしているのだった。バーナビーは全身でその音を拾う。

「バ二…、すまね…こんな、なっちま…」

バーナビーは何も声に出すことができなかった。ただ嗚咽を漏らしたいのを口を結んで必死にこらえ、謝らないでください、と首を横に振った。そのせいで熱い涙がまた幾筋も両頬を流れた。

「お前と…バディ、なれて…本当に、良かった」

バーナビーは精一杯笑顔を作り、しゃくりあげてしまいそうになるのを必死でこらえ応える。

「僕も、です」

「ごめ…な、俺、死ぬわ、…けど、」

虎徹は弱く微笑んだ。

「お前は、もう、一人じゃ、ねぇ」

その言葉を聞き、バーナビーはもう耐えきれなくなって嗚咽を漏らす。とめどなく奥から溢れてくる、熱い涙。

「安心、して、逝けらぁ…」

虎徹の体を覆っていた青い光がやがて消えていく。
目は閉じていき、ごく浅かった呼吸は完全に無くなっていった。しかし表情だけは安らかなままで、そして彼は最期に微笑むと、バーナビーに別れを告げた。

「じゃあ、な、相棒…」

虎徹の体から完全に力が抜けた。魂の主をなくした体を、それでもバーナビーは抱き締め続けた。震える手で肩を抱き、手を握り、虎徹の頬に自身のそれを押し当て、他のヒーロー達が駆けつけるまで、ずっとずっと彼はそうしていた。


20110801

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