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□ある日、の一歩手前
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「じゃんけん、」



『ほい!』という威勢の良い掛け声と共に各々が自由に手を出す。
握り拳かピースのどちらかを形づくった手が全部で10個。
西浦高校野球部の二年生である部員たちの手だ。



「げ。」
「う あ、」



出された手の状況をパッと見極めて声を洩らしたのは二人。
泉 孝介と三橋 廉。
握り拳、つまり『じゃんけん』で言う所のグーを出した勝者である他の八人は、安堵や嬉々とした笑みを浮かべる。
『よっしゃ!』『やったー!』など細やかながら歓喜の声を上げる者もいた。



西浦高校の全部活動が試験休みに入った土曜日。
試験休みと言うのは名の通り、試験が始まる数日前と期間中は、どの部活動も活動が禁止になる。

部活も学校も休みなこの日に、メンバーが集まっているのには理由があった。

昨年の夏間際、『赤点を取ったら試合には出してあげられないから』という、野球部の監督である百枝 まりあに警告を受けてから、問題を抱えた二人のエース、ピッチャーの三橋と四番サードの田島 悠一郎を赤点から救うべく、他の部員も乗じて始まった勉強会は試験休みに入る度に行われる恒例行事となっているのだ。


西浦高校から、そう遠くは無い距離にある図書館に午前中に集合。
開始10分程度で飽きる田島や頭から湯気を立ち昇らせる三橋を、三橋田島両名の先生的存在である西広 辰太郎が宥め、花井が諭し、野球部のブレーンであるキャッチャーの阿部 隆也に激怒されながら何とか正午まで持ち堪えさせた。


12時。
館内に設置された大きな時計の長針と短針が12の文字盤に重なり合うのと同時に、田島が「昼だ!」と騒ぎ出した事で、部員全員、昼食休憩を挟む事にする。


飲食出来るスペースは僅かにあれど、図書館内に売店は無い為、徒歩5分程の距離があるコンビニへと買い出しに行かねばならないのだが、ここで1つ、部員の中にある考えが過った。


………外、出たくないな…。


本日快晴。昨晩から明け方まで降り続けた雨の所為か、外気はやたらじめじめと蒸し暑く、アスファルトの照り返しにうだるようだ。


正直、程良い冷気に包まれた図書館から外へ踏み出すのを誰もが躊躇った。
日頃、部活の練習で慣れているとは言え、図書館の窓から見える燦々とした太陽の光には気力も萎える。
ましてや、部活とは違う方面で体力を使った。昼食を買う為に、上げる腰が重くても仕方ない。



「わー…俺、出たくないな〜。」



そんな素直な心情を口にしたのは水谷だったろうか。
でも腹は減る。


お互いの顔を見合って、小さな決心を固めた時、田島が何やら満面の笑みを浮かべて言ったのだ。

「ならさ、『じゃんけん』して負けた奴に買って来て貰えばいーんじゃねぇ?」と。




「つう事で宜しくなー!」



田島の声を背中に受けながら、自分で出した『チョキ』の手を恨めしげに見て、泉は溜め息をついた。


図書館の入り口を抜けた途端に、むぁ、っと体中を覆う気温。
ある程度予想は付いていたもののうんざりする。
眉を潜めて再度溜め息をついた所で、少しばかり斜め後ろを歩く三橋に、泉は目線を動かした。



「三橋、大丈夫か?」

「え あ な、にが?」



泉の問い掛けが何を差しているのか計りかねたのか、三橋は勢い良く顔を泉へと向け言葉を発する。



「や、こうも暑いとさ。
何つうか、気が滅入らねぇ?」



あまり意味は感じられない手団扇をパタパタと繰り返し空を見上げる泉に、三橋は、こくこくと頷く。



「でも 大 丈夫、だよ!」



熱意さえ感じられる様な三橋の返答に「そっか」と口元に笑みを浮かべコンビニまでの道を歩きだした。



「あー…生き返る。」



コンビニの入り口をくぐるなり、泉が呟く。
うっすらと額に掻いた汗を拭うと冷気に当てられひやりとした。



「で何買うんだ?紙見して。」

「は はい!」



各々が欲しいものを書いたノートの切れ端を三橋から受け取る。
リスト内容を見てぴくり、と泉の片眉が跳ね上がったのを三橋は見逃さなかった。
びく!と肩を僅かに震わす。



「田島、あいつ…溶けんだろ」



何がだろう、と泉の持つ紙を脇から見やると『アイス』とデカデカと書かれた文字が見える。
田島くんらしいな、と思った。


軽く筋力トレーニングだと思える10人分の荷物を持ち二人は来た道を戻る。
がっさがさ、とビニールが擦れる音に混じって甲高い小さな子供の楽しげな声が耳に届いて何となく泉は目を泳がせた。


向かう際には大して気に留めなかったが、図書館からコンビニまでの間に中々大きな公園があったようだ。
子供たちの声を公園の中に確認して泉は足を止める。



「い、ずみ くん?」



隣を歩いていた三橋も、立ち止まった気配に気付き同じく足を止め振り返る。



「三橋。ボール持ってねぇ?」

「へ う も、持ってる、けど」

「キャッチボールしてこうぜ。」



三橋は常々ボールを持ち歩いていた。何処から取り出すのか、若干不可解ではあるが、ピッチャーらしいと、寧ろそれが三橋だなぁ、と泉は思う。


公園のレンガ作りの門から遊歩道を歩いていく。
背中に三橋の引き止める様な葛藤の声が聞こえたけれど、直ぐに追い付こうと駆けて来る足音に変わった。
野球が好きな、ボールを投げる事が大好きな三橋にとってキャッチボールはどれ程の甘美な誘いだったか知れない。


それでもやはり、図書館で待つメンバーに昼食を届けなくては行けないという思いが渦巻いているのが表情で見て取れる。



「少しだから大丈夫だって。
パシリの特権だな。」

「  うひ」



にやり、と口角を上げた泉に釣られる様に三橋も笑った。


遊歩道から外れると一面に青々とした芝生が広がる。
点々とジャングルジムや滑り台などの遊具が設置されており、その周りで遊ぶ子供たちの姿。


輪に入る様に芝生へと足を踏み入れ数回のキャッチボール。
グローブは流石に持っていないから、手に直に受ける相手が投げたボールからの振動にテンションが上がる。


何度か、投げては受け取り投げては受け取りを互いに繰り返して、どちらからとも無く木陰の下に座り込んだ。



「やっぱいーな、野球。」

「う ん!俺、も 思う!」

「だよなー!」



さわさわ、と通り抜ける風は、まだ夏のものとは少し違う。
泉の、僅かに茶を帯びた黒髪や、三橋の蜂蜜色に似た髪を掠めていく風は、僅かに冷たさを含んでいて心地よかった。


苦にならない穏やかな沈黙が少しばかり流れ、いい加減戻ろうかと泉が腰を上げようとした、そのほんの一瞬。



「?」



こて、と軽い衝撃が左肩に走る。
視線を送ると至近距離に三橋。
正しくは三橋の髪、だ。
ふわふわ、そよそよと風に泳ぐ。



「三橋?寝た、のか?」



泉の肩に凭れ掛かる頭に問う。
声を掛けた相手からの返答無し。



「寝ちまったみてーだな。」



それなら、もう少しだけ。

少しだけ、こうしていようか。


待ち侘びる部員を思い浮かべて、笑いを堪える。
悪ぃな、もう暫らく帰れそうにねーや、と心中で悪怯れる事無く思う。
泉は肩に感じる体温に、そっと目を閉じてから、空を仰いだ。



気温は高い。
寄り添う体に増す温度。
それでも、君なら、君だから、嫌な気はしない。


田島のアイスは、もう溶けた。
これは買い直しか、なんて思う泉だった。



ある日、
夏の一歩手前




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