短編【1】

□空蝉
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夜だというのに蝉が鳴いている。
この頃は日が落ちるとだいぶん過ごしやすくなってきた。人間にとってはありがたいが、虫たちは残り少ない生を謳歌するのに忙しいのだろう。
「しょうがないな」
窓の外を眺めていたイルカは、そう呟くとカーテンを閉めた。

まだ眠るには早い時間だ。
だが食事も入浴も済み、さしあたってやることもない。
ほんとうは今日、人が訪ねてくるはずだったのだ。
だが、任務が長引いて帰着が遅れる、と受付に連絡が入っていた。たまたまそのとき受付にいたから知れたものの、自分宛にではない。
あの人、約束忘れてるんだな。
その程度のことだったんだろう、とイルカは自嘲する。
だったら、しょうがない。

起きていても気が滅入るばかりだから、もう寝ちまおう。
イルカがそう決心して寝室に向かいかけた時。
ドアが静かに、だが独特のリズムで叩かれる。

まさか。

なぜか緊張を覚えながら玄関の三和土に下り、ドアの向こうの気配を探りながら声を掛ける。
「カカシさん…?」
「はい。オレですよ〜」

思ったより早く帰れたとか?
はやる心を抑えて掛け金を外すと、そこにいるのは確かに、つき合い始めて間もない恋人だった。
そこはかとなくくたびれた姿は、いかにも赴任先から直行しました、という風情を醸し出している。

「遅くなってごめーんね。ちょっと事後処理に手間取っちゃってね〜」

確かに、受付に知らされた遅延理由はそうなっていた。
だが、帰還は早くても明後日だったはずだ。

「…嘘でしょう?」
「ん〜?なーに、疑ってるの?寄り道なんてしてきてないよ?」
「そうじゃなくて」
イルカは有無を言わせぬ声音で言い渡した。
「本体のアナタは、まだ帰ってきてないでしょう?」

「…ばれましたか。知ってたんですね、延びたの」
「なにやってるんです。まだ任務を完遂してないのに影分身を寄越すなんて、チャクラの無駄遣いを」
いらだたしげに言い捨てるイルカに、影分身のカカシは小首を傾げ、ちょっと困ったように言う。
「だって、ほんとにあとは雑用だけなんだよ?だから影分身のひとりやふたり…」
「それが上忍の言うことですか」

ぴしゃりと言われて、カカシは口を噤む。
数瞬、眉を下げたままイルカを見ていたが、やがてあきらめたように笑い、そして言った。
「わかりました。じゃ、消えます」
「え」
「影ですから。あとかたもなく消えますよ」

それは予想もしなかった衝撃だった。
叱りつければ普通に帰っていくものとしか思っていなかった。
だが、消えてしまうのだ。
本体は別にいるとはいえ、今目の前にいるこのカカシは。

そう気づいた時、イルカは思わずカカシの腕を掴んでいた。
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