短編【1】

□射干玉(ぬばたま)の
1ページ/3ページ

まだオレたちが清い関係だった頃、イルカ先生んちでたまたま風呂を借りたら
洗い場には白い石けんが一個と、透明な液体が入ったガラスの瓶しか置いていなかった。

「イルカ先生ってもしかして、石けんで頭洗う人?」
「あ、そうなんです」
「じゃ、あの瓶の中身はクエン酸か酢?」
「お詳しいですね」

そんなことを知っているのは、以前つき合っていた女に同じことをしているのがいたからだ。

科学的に合成された香料や界面活性剤をつかっていない、いわゆる純石けんで髪を洗う者はいる。
石けんはアルカリ性なので、洗ったあと酸性のもので中和してやればいい。
ただ、人によって合う合わないはあるし、普通のシャンプー・リンスを使いつけた髪では慣れるのに時間がかかる。
オレもちょっと借りて、ただでさえ収まりの悪い髪がますます暴れた経験があるのだ。

だからその日は体を石けんで洗って、髪は湯で流しただけにしておいた。
イルカ先生はたぶんそれに気づいただろうけれども、何も言わなかった。


次にお邪魔する時は、ポーチにミニサイズのシャンプー・リンスをこっそり忍ばせて行った。
別にまた風呂を借りたり、ましてやお泊まりしたりする予定だったわけではない。
なんというか、転ばぬ先の杖とかそんなようなものだ。別名下心ともいう。
いざナニカが始まろうというときに、「あ、ここでは髪が洗えないから無茶はできないな」とか言ってられるだろうか、男として。
だから、心置きなくコトに及べるように、あらかじめリミッターを解除しておいたわけだ。
それが実際役に立ったのは、もう少し先の話だったのだけれど。


そして今では堂々と、オレ用のシャンプー・リンスがうみのイルカ宅の浴室に置いてある。しかも徳用ボトルだ。
オレが「石けんは髪に合わないので、オレ用にシャンプーとリンスを置いときたいです」と言ったら、
「ご自分で用意してくださいね」と許可が下りた。
有頂天になって徳用ボトルを買ってきたらイルカ先生は「どれだけ入り浸る気ですか」と呆れていたけど、
「だって一晩に何度も風呂入ることもあるし」と言ったら真っ赤になってて可愛かった。


さて、晴れて置きシャンプー・リンスができたところで、オレは野望を実現することにした。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ