Vergiss nicht zu lacheln

□第16話
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 フワフワとした足元の柔らかい感覚に、リヴァイはそっと瞼を上げた。見知らぬ場所に、彼方此方視線を動かして状況を確認する。けれど、前も後ろも頭上も全て真っ白。謎の空間にリヴァイは立っていた。

(……夢か?)

 その割りには意識がハッキリとしすぎている気もするが、これは夢だとしか思えない。
 足元へ視線を下ろすとパステルカラーの柔らかいクッションが敷き詰められているのが目に映る。それ以外はただ白いだけ。この謎だらけの世界に、普通なら気味悪く感じるところなのだが、リヴァイの気持ちはどこかフワフワしていた。

 いつになったらこの夢から覚めるのだろう。首を傾け仁王立ちしていると、突然クイッと服が後ろに引っ張られる感覚に、ビクリと体が跳ねた。全く気配など感じなかったのに、いつの間に背後にと正体を確認しようと振り向こうとした時だった。

「リヴァイ、兵長」

 リヴァイが正体を確認する前に名を呼ばれる。その声には聞き覚えがありすぎて、リヴァイは警戒心を解いた。

「……エミリ」

 ゆっくりと振り返れば、エミリ がリヴァイの服を人差し指と親指で摘んで、優しく微笑んでいる。正体は彼女だった。

「兵長……兵長は、私のこと好きですか?」

 エミリが少し瞳を潤ませリヴァイを見つめる。そんな彼女の髪に触れながら、リヴァイは優しく額にキスを落として素直に答えた。

「……ああ、好きだ」

「わたしも、ですよ」

 リヴァイの返答に、エミリは頬をほんのり赤く染めて微笑む。そんな彼女の反応にドクンと心臓が脈打つのを感じながら、リヴァイはその体を自分の胸へと抱き寄せた。

「……兵長」

「何だ?」

「わたし、兵長と……キス、したいです」

 リヴァイの胸に顔を埋めていたエミリが、顔を上げてモジモジと体を揺らしながらリヴァイに訴える。彼女のその姿と欲求に、胸に熱いものが込み上げてくるのを感じながら、リヴァイはエミリの顎に手を添えた。

「エミリ」

「……リヴァイ、へーちょう……」

 見つめ合い、互いの名を呼び合う。目を閉じるエミリにリヴァイはゆっくりと顔を近づけ、そして──



 ゴーン……ゴーン……


「……っ!?」

 鐘の音にリヴァイはバチリと目を開けた。映るのは自室の天井。彼の体を覆っているものは、いつも使っている布団だ。まだぼんやりとした意識のまま、リヴァイはゆっくりと起き上がり、そして、盛大に溜息を吐いた。

「……なんってぇ夢だ……」

 前髪を右手で掻き上げ、舌打ちを鳴らす。夢にまでエミリが現れてくるとは。しかも、あんな恋人のようなやりとりまで……

「……欲求不満か、俺は……」

 そう呟いて思い出す。そう言えば、エミリと関わるようになってから女を一人も抱いていないということに。

(……最後は、いつだった?)

 それすらもあやふやだ。何とかして思い出そうと試みる。
 エミリが初陣として壁外調査を終えた後は、部下がリヴァイの元へ訪れてきた記憶があるため、その時ではない。ということは、エミリが失恋した辺りからだ。よくよく考えてみれば、あれから半年以上経っている。まさか、この夢はその影響ではないだろうか。

「……オイオイ、ふざけんじゃねぇぞ……」

 先月の三兵団合同会議のため宿に泊まった時、そこでリヴァイはエミリに対する自分の気持ちを自覚し、生まれて初めて恋をした。彼女を好きになったリヴァイの心はもうエミリ一筋だ。これから先ずっと……
 ただ、ここで問題が発生した。あれから約一ヶ月。日に日に想いは募るばかりだが、告白するつもりはまだ無い。けれど、いつか自分を制御できなくて手を出してしまうかもしれない。今日の夢はそれを予感させた。

「はぁ……めんどくせぇ」

 恋をするのは構わないが、色々と我慢するのもかなり堪える。だけど、できるだけエミリを悲しませたくはない。ならば、リヴァイが我慢をする以外に方法はないのだ。

(それか、もう好きだと言っちまうか……………………いや、駄目だ)

 意志が揺らぎそうになるも懸命に踏みとどまる。エミリを落とすには、長い時間を掛けなければならない。ここで自分が折れてしまっては、振られるのが目に見えている。
 リヴァイは気持ちを落ち着かせるために、部屋の窓を開け放つ。朝の綺麗な空気を吸い込み、兵服に着替えた。


 朝食の一時間前の兵舎はまだ静かだ。皆が起床する時間は大体この辺りで、部屋を出ることはあまりない。だが、皆が皆そうではない。上官であれば、大量の仕事を終わらせるためにもっと早くに起きて執務室に篭っていたり、自主トレーニングをする者だっている。
 そして、思春期男子が見るような夢に浸っていたリヴァイは、未だにフワフワした気持ちのまま中庭を歩いていた。いつもなら仕事に取り掛かるが、今はそんな気分になれず涼しい風に当たっていた。それでもまだスッキリしない。軽く舌打ちを鳴らし、とりあえず少しでも気を晴らすため、いつもの訓練場の近くを通った。
 そこでリヴァイの目に入ってきたのは、一本の木の上に乗る人影。

(……何やってんだ?)

 この時間に訓練場にいるということは、自主練中の兵士だろう。だが、何故木の上にいるのだろうか。立体機動装置をつけている訳でもない。
 気になったリヴァイは、木の前まで歩み寄る。近くに来てみると結構な高さだ。

「……あ?」

 兵士の姿を確認するため顔を上げたリヴァイは、顔を強ばらせ、そして腹に力を込めて大きく息を吸い込んだ。

「おい! 何やってんだ!!」

「へ!?」

 いつもより大きな声で叫ぶように話しかけると、兵士はそこでようやくリヴァイの存在に気づき彼を見下ろす。

「あれ、兵長……?」

「危ねぇだろ! さっさと降りてこい!」

「で、でも……」

「俺の言うことが聞けねぇのか。なあ、エミリよ」

 そう、木登りをしていた兵士の正体はエミリだった。何故、彼女がそんなことをしているのかは分からないが、あんな不安定な場所に居たら落ちてしまう。
 今、エミリが体重をかけている枝は、太さはそれなりにあるものの人間が安心して居座れるほど丈夫ではない。その証拠にエミリが少し動く度に、ゆさゆさと葉と共に揺れている。

「ちょ、ちょっと待って下さい!!」

「そうか、わかった。なら、三秒以内に降りてこい」

「全然わかってないじゃないですか!!」

「いくぞ、いち……」


 みゃあー


「……は?」

 エミリの声も聞き流しリヴァイが数えようとした時、どこからか猫の声が聞こえ一旦カウントを止めた。

「あ〜〜も、もうちょっとだけ待ってね!」

 慌てるエミリの言葉は、明らかに彼女の腕の中に向けられていた。まさかと辿り着く考えは一つ。

 みゃーみゃっ

(やはり、猫を助けに木に登っていたのか……)

 上から聞こえる鳴き声に確信を得たリヴァイは、やれやれと溜息を吐く。どうせ降りられ無かった猫を放っておけなくて、助けようとしていたのだろう。実にエミリらしい。

「兵長! 私、猫を助けてるんですよ!!」

「んなもん、わざわざ説明しなくても鳴き声聞きゃわかる」

「と、とにかく今から降りまっ……ぎゃあ!?」

「ッッ!?」

 手が滑ってバランスを崩したエミリが、猫を抱えたまま落下してくる。

「チッ、馬鹿が!」

 急なことで驚きながらも事態を想定していたリヴァイは、両腕を上げて情けない声を出して落ちてくるエミリを受け止めた。

「うぅ…………あれ?」

「あれ、じゃねぇ。だから言っただろうが」

 恐る恐る目を開けてポカンと口を開けるエミリをリヴァイが睨みつける。そんな自分の上官を見て受け止めてくれたのだとようやく理解したエミリは、猫を抱き直し目をそらした。

「す、すみません……」

「お前はただでさえ危なっかしいんだ。ちゃんと注意しろ」

「危なっかしいって、別に普段からそういうわけでは……」

「今木から落ちただろうが」

「それは……兵長が話聞いてくれないから……」

「あ?」

「……何でもありません」

 口を尖らせ反論を続けるエミリをさらに睨みつけると、ビクリと肩を揺らしようやく降参した。

「ったく、何でお前は学習しねぇ。立体機動装置を使うなり、梯子を使うなりすりゃあ良いだろうが。あと人を呼べ。俺が来なかったらどうなってたか分かってんのか」

 リヴァイは、いつもより数倍鋭い目と低い声で早口で捲し立てる。
 エミリは、リヴァイに抱きかかえられたままずっと口を尖らせ、彼の小言を右から左へ受け流していた。

「おい、エミリ聞いてんのか」

「…………なんか……兵長、過保護な親みたいですね」

「あ?」

 完全にイジケモードに入ったエミリの不満に、リヴァイはピクリと眉を動かす。しかも、”過保護な親”とまで言われる始末。エミリのことを心配してこうして注意をしてやっているというのに。

「まさか、兵長っていつもこんなに口うるさいんですか?」

「あのな、俺はお前のために言ってやってるんだが」

「……それは分かってま……ひゃっ!?」

 突然可笑しな声を上げて体をビクリと震わせたエミリにつられてリヴァイも肩を揺らす。何もしていないのに何だいきなり、と思ってエミリの顔を見下ろしていたリヴァイは、ふと彼女の胸元が目に入り固まった。

「へ!? あ、ちょっ……!! 猫ちゃん……!? そん、なとこ…はいらない、でよお……!!」

 抱き抱えていた子猫が、エミリのTシャツの胸元に顔を突っ込んでイタズラをしていた。さっきの可笑しな声は、ふわふわの毛が擽ったくて出たものだったらしい。
 必死に子猫を服の中から取り出そうとしているエミリは、焦りと羞恥で顔が耳まで真っ赤になっていた。体を捩り、猫の体を掴むも今度は爪が下着に引っかかって出てきてくれない。

「あ〜〜もううう! 早く出てきてぇぇ!!」

 どんどん涙目になっていくエミリの表情に、リヴァイも翻弄されていく。猫と奮闘しているエミリには申し訳ないが、その顔は誘惑されているようにも見え、リヴァイはリヴァイで自分の中の獣と必死に戦っていた。
 しかもこの状況は非常にまずい。鍛錬中だったエミリの服装はTシャツと短パン。そんな格好のエミリを横抱きしているリヴァイの片手には、彼女の真っ白で柔らかい太腿に直接触れている状態だ。頭を抱えたくてもできない、目元を隠すこともできない。リヴァイは溜息を吐くしかなかったのだった。

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