Vergiss nicht zu lacheln
□第11話
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太陽の日差しも春と比べて強く、熱くなってきた。六月となり、季節もとっくに夏へと変わっている。そのため兵服を着用するのも正直キツいが、エミリはそんな弱音を吐いている場合ではない。
「おいエミリー! そんなんだと壁外で真っ先に巨人に殺られんぞ〜」
「……う、うるさいっ!!」
ぜーはーと苦しそうに呼吸を繰り返しながらも、とにかく足を動かすエミリの顔には大量の汗が流れ出ていた。それもそのはず、今はフィデリオ、ペトラ、オルオの四人とランニング中だからである。
新兵として調査兵団に入団してからは、朝食の前と訓練後に四人で自主トレーニングをするのが、エミリ達の日課となっていた。
しかし、ご存知の通り橋から飛び降り全治三ヶ月の重傷を負ったエミリは、ようやく兵団に復帰する事が出来たものの、こうして三ヶ月のブランクに苦しめられる日々を送っている。
「ちょっと休憩しよっか」
苦しそうに呼吸を繰り返すエミリを気遣ったペトラが、フィデリオとオルオに声を掛ける。そんなペトラの優しさに感謝しながら、エミリは近くのベンチに腰掛け水を飲んだ。
冷たい水がカラカラの口や喉を麗し、気持ちが落ち着く。タオルで汗だくの顔を拭うがそれでも暑さには適わず、また汗が流れてきた。
「…………ハァ、疲れた」
「お前そんなんじゃホントに巨人に食われるぞ?」
水を一気飲みしたフィデリオが、エミリを見下ろしながら茶化すように話し掛けるも、彼の瞳は真剣だ。
これは冗談抜きで、三ヶ月の遅れを取り戻さなければ、壁外で命を落とすことになるだろう。
「とりあえず、今後は体力作りを中心に、立体機動の訓練を念入りにやって行かないとまずいわね……」
エミリの隣に腰を下ろしたペトラが、ペンを持って紙にスラスラと何かを書き込んでいる。気になったエミリは、隣からそれを覗き込んだ。
「これって……」
「そう、エミリのトレーニングメニュー! 入院する前と比べて、立体機動の動きも荒が多く見えたからね。計画的にやって行かないと調査まで間に合わないかなって」
「ペトラァ〜〜」
にっこりと素敵スマイルを見せるペトラに感動したエミリは、思わずギュッと彼女の両手を握る。
「立体機動だったら、この俺が見てやるぜ」
「いや、オルオはいいよ」
両手を腰に当て、威張るオルオをエミリは、冷たい口調であしらう。勿論、そんなエミリの態度にオルオは、不満気に声を上げた。
「あのなァ、俺は前回の壁外調査で巨人を4体も討伐したんだぜ! "ひとり"でなあ」
「ねぇねぇ、ペトラ! 立体機動の訓練見てもらってもいい!」
「もちろん!」
「聞けぇ!!」
相変わらず空回りなオルオは、優れた戦績を持っているにも関わらず、女子コンビから空気の様に扱われている。そんなオルオの味方をするのは、親友であるフィデリオのみ。
フィデリオは、ポンポンとオルオの肩に手を置いた。
「ま、イロモノなのがお前だよな」
「フォローになってねぇガッ!」
「またかよ!?」
ツッコミすらも舌を噛んで決まらないオルオに、フィデリオは呆れながらもオルオにタオルを渡していた。
「じゃあ今から、立体機動装置使ってみよっか」
「うん! よろしくー!」
「おい!! 待てよお前ら!!」
楽しそうにお喋りをしながら装置を取りに歩いて行くエミリとペトラに、オルオの背中をさすりながらフィデリオが声を掛けるもスルーされる。
どうして俺らだけいつもこんな扱いなんだ。他の奴らには優しいクセに、と心の中で悪態を吐く男組であった。
そんな可哀想な二人を放って倉庫に向かったエミリとペトラは、立体機動装置を腰につけて訓練場へ赴く。
「まずは、準備運動も兼ねて自由に飛んでみよう」
「うん!」
アンカーを木に刺し、飛び上がるペトラに、エミリも同じようにして着いていく。
兵団に復帰し、訓練を再開してから驚いたこと。それは、ペトラ達三人の立体機動の腕がまた格段と上がっていたことだ。いつの間にか、三人共自分一人の力で巨人を討伐できるようになっている程である。
それと比べ、自分はどうだろう。三人よりも技術が劣っていることは自覚済みだが、それに加え三ヶ月という大きなブランクがある。更に距離が開いてしまったのだ。
それでも落ち込んでいる暇など無い。そんな事をしている暇があるのなら、少しでも訓練しなければ。時間は待ってくれないのだから。
「エミリ! ガスの量をもっと調整して!! 勢いが強すぎると、咄嗟の時に身動きが取れないよ!」
「うん!」
訓練を始めて約一時間。休憩を挟みながらも、ペトラに指摘してもらった通りに動く。それでもやはり、すぐに上手く出来るわけではない。
樹木の間を移動しながらガスの調整に意識を向ける。そうすると今度は、アンカーの扱いが疎かになる。
たった三ヶ月、されど三ヶ月と言ったところだろうか。あまりのブランクの大きさに心が折れそうになっていた。
「…………はぁ、はぁ……上手くいかない」
地面に降り立った二人は、近くの岩に腰掛け、水分補給を行う。エミリは手の甲で汗を拭い、その手で立体機動装置に触れた。
「……間に合うかな」
「どうだろうね……でも、間に合わせないと」
「うん……」
一ヶ月後にはまた壁外調査が行われる。この一ヶ月で、三ヶ月の遅れをどこまで取り戻せるかに掛かっているのだ。
「でも、焦っても仕方ないよ。やれる所まで頑張ろう!」
「うん」
そう、考えているだけで体力はつかないし、技術が上がる訳でも無い。こればかりは積み重ねだ。
「それにしても、ペトラはスゴいね。以前よりもずっと早く飛べるようになっていた……」
復帰してペトラと訓練を再開してから感じたのは、立体機動で飛行している間、彼女のスピード追いつくことができないということ。彼女だけではい。フィデリオも、オルオも、他の同期たちも、皆上達しているのである。
(また、か……)
これでは、訓練兵団の時と同じだ。
自分だけ、置いてけぼりなったような気がして、すごく悔しいく、辛い。
ブランクに関しては自業自得。橋を飛び降りた自分を殴ってやりたい気持ちもあるが、そうしなければエーベルもシュテフィも、幸せな結婚式を挙げることなどできなかっただろう。だから、後悔はしていない。
「……私は、エミリの方がすごいと思うよ?」
「え?」
突然、ペトラに褒め言葉を送られたエミリは目を丸くする。
巨人との戦闘や技術面についてでは無いだろう。
なら、それ以外では?
これまでに参加した調査のことを思い返して見るが、特に何かをした覚えは無い。
ペトラは、エミリの何を『すごい』と評したのだろうか。
「ペトラ、私……なにかした?」
「え、エミリ……自分で気づいてないの?」
「へ?」
今度はペトラが目を丸くさせた。
ますます訳がわからなくて、エミリの首はどんどん傾いて行く。
「何の話?」
「手当のことよ」
「……手当?」
その単語から思い浮かぶのは、調査中や壁へ帰還してからのこと。
壁外へ出れば、いつどんな場所で死を迎えるか分からない。勿論、怪我だって軽傷な者もいれば、重症を負う者だっているのだ。
「手当がどうかしたの?」
「本当に気付いてないんだ。壁外で手当をする時、いつもエミリが仕切ってくれるでしょ」
「……うん、まあ」
父・グリシャが医者であったため、医療に関する知識は自身の身の回りにいる者達と比べて豊富な方だ。
手当の仕方も様々で、そういった知識も方法も、グリシャが仕事をしていた姿を見てきたから知っていた。
「手当の処置だって早くて的確で、エミリが指示を出しくれるから、私達も自分の出来ることやすべき事がわかって助かってるの」
団長であるエルヴィンを始めとした幹部の人間は、打ち合わせで忙しい。他の上官達も見張りに専念しているため、手当は殆ど下っ端の兵士達が担っている。
手当に関しては、訓練兵団の座学に取り入れられているが、それはあくまで応急処置程度のものだ。
「やっぱり、医療の知識を持っている人がいるのといないのとでは、全然違う。前回の壁外調査で実感したの」
新しく調査兵団に入った新兵を交えた前回の壁外調査では、怪我のためエミリは参加していない。
ペトラの話によると、一日目の夜の時点で死亡者はいないものの、負傷者が多く、手当に時間がかかり、休む時間はあまり無かった、とのことだった。
「私達、いつもエミリに任せっきりだったんだなあって、思い知った。きっとエミリがいたら、もっと効率良く手当も出来ていたのかな」
「………ペトラ」
自分自身に呆れているのか、ペトラは苦笑を零し、肩をすくめる。
エミリは、膝の上に重ねて乗せている自身の手へと視線を移し、ペトラの言葉に関してぼんやりと考え込む。
「手当って、やり方によっては命を左右するものでしょ。だから、そんな大切な事を率先してやろうとするエミリはすごいなって」
ニコリと微笑むペトラを見ていると、段々と心が落ち着いてくる。
自分もちゃんと、そうやって兵団の力になれていたという事実に少しだけ安心した。
「だからね、私からもお願いしたいことがあって」
「何?」
「私の出来る範囲でいいから、医療のこと教えてくれない?」
「……うん、もちろん!」
嬉しかった。そう言って貰えたことが。
いつも誰かに与えてもらってばかりで、支えられてばかりで、何も返せていないと思っていたから。
「そろそろお昼だし、食べながらでも!」
「うん!」
立体機動装置を倉庫へ仕舞うために、二人は演習場を離れる。
(ペトラ、いつも隣に居てくれて、ありがとう……)
調査兵団に入って、ペトラと出会えて本当に良かったと思っている。
彼女だけじゃない、この兵団で出会った全ての人に、支えられ生きている。
だから喜びや楽しみを感じられ、悲しみや苦しみを感じられる。
そうやって"生"を感じることができるのは、自分を取り巻く様々な人達のおかげだ。
少しだけ、エーベルが言ったことが解った気がした。
『フィデリオ達と違ったところに役割があるのかもしれない』
彼の言った通り、全く別の場面で兵団の力になれていた。それに気づかせてくれたのも、ペトラがいたからだ。
「……私、やっぱり与えてもらってばかりかも」
「何か言った?」
不思議そうにエミリの方へ振り返るペトラに、何でもないと首を振る。
再び前を向くペトラの横顔を目に映し、エミリは空を仰ぐ。
(……医療、か)
そして、一言、心の中で静かに呟いたのだった。