短編&中編

□「ありがとう」を込めて
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「この赤いカーネーションをおひとついただけますか?」

 少しずつ春の風が暖かくなっていくこの季節。新年度を迎えてから殺風景だった街を彩るため、花たちはすっかり蕾から顔を覗かせ、日々、私たちの心を癒してくれていた。
 今年の母の日は、本日の5月12日だ。桜が散ってから見られるのは、カーネーションの広告や花束たち。春になると、毎月、その月を代表する花々が、マジックをかけるかのようにイベントを鮮やかで華やかなものへと変えてくれる。
 それは母の日も同じだ。赤いカーネーションは、母さんに対する感謝を形にしたもの。必ず毎年プレゼントをするのが、私とエレンの約束だった。

「エレン、今年はこのラッピングで注文しようと思ってるんだけど、どう?」

「……姉さんがそれで良いって思ったらいいんじゃね?」

「そっか。じゃあ、これで頼んでくるね」

 小さい頃から美術が苦手なエレンは、今年も相変わらず難しい顔をしながら広告を睨みつけている。そんな弟に苦笑を漏らし、私はお花屋さんのお姉さんにカーネーションのラッピングをお願いした。

 可愛らしい衣装を身にまとったカーネーションを受け取り、次に私たちが向かうのはケーキ屋だった。夕飯の食後のデザート用に1つホールケーキを注文していたため、それを取りに行かなければならないのだ。
 毎年、私たちの家では母の日を盛大に祝っていた。母さんは、こんなに大袈裟にしなくてもいいのに、といつも遠慮がちに言う。けれど、祝わずにはいられない。それは、イェーガー家の中で母さん以外全員が思っていることだった。

「……姉さん、今年で20歳だな」

 ケーキ屋で注文した品を受け取り、買い出しを終えた私とエレンは、二人並んで母さんの待つ家へ歩を進める。そんな時、ふっと放ったエレンの一言が、私には不思議に思えてならなかった。

「いきなりどうしたの?」

「だって……前世では俺たち、母さんのいない世界で大人になったから」

「……そうだね」

 時たま頭に思い浮かぶ、恐ろしく忌々しい遥か遠い昔の記憶。壁に囲まれた小さな世界で、巨大な人間が私たちの日常を壊した。母さんは、私たちを守るために犠牲となり、あの頃のエレンはまだ10歳。私は、12か13歳くらいだった。
 ずっと母さんと一緒に生きていたかった。大人になった自分たちの姿を見てほしかった。何度もそう思ったけれど……あの時代が、あの世界が辿り着いた結末と、私たち姉弟が選んだ道を考えれば、母さんがいないあの世界に、安堵していた自分がいたのも確かだった。母さんだけには、欲望と願望のままに、人を殺し、世界を壊そうとする自分たちの姿など、見られたくもなかったから。

 だけど、時々思っていたことがある。母さんが生きていれば、あの時の私たちは、自ら破滅を選ぶような道を選んでいなかったかもしれない、と。
 だって、私の憎しみも、エレンの憎しみも……全ては巨人が母さんを食ったことが最大の原因なのだから。私たちの憎しみの源、始まりはそこからだったんだもの。

 でも……また、この世という世界に生を受け、私たちは家族になれた。父さんがいて、母さんがいて、エレンがいて、ついでにジーク兄さんもいて……そして、私がいて……。

 父さんは私やエレンほどはっきりではないけれど、少しだけ前世の記憶があるらしく、その話になるといつも気まづい空気となってしまう。父さんなりに申し訳なさというものがあるのだろう。それだからか、母さんや私たちの誕生日や何かしらお祝いの時なんかは、切り盛りしている小児科を早く閉めて家に帰ってきてくれる。
 ジーク兄さんは、私たちと同じくはっきりと前世の記憶が残っているらしい。そして前世の通り、ジーク兄さんの本当の母親はもちろん別の人だ。それでも兄さんは、母さんのことを慕っている。それは、母さんの愛情がしっかりとジーク兄さんに伝わっているからであり、それを兄さんも受け取っているからなのだろう。

「ねぇ、エレン……今世では、もっと母さんに幸せになってもらわなきゃね」

「うん」

 前世で送ることのできなかった母さんとの時間、人生を、いま、取り戻すんだ。私たちで、母さんを幸せにするの。
 もう二度と、離れ離れになりたくないから。大切な家族を、居場所を失いたくなんかないから。


***


「ただいま〜」

 美味しそうなチーズやバターの香りが漂う私たちの家。リビングに入って台所側のテーブルを見れば、グラタンやパスタ、サラダ、スープ、いつも以上に豪華な食卓が待っていた。席の中心にいるのは、もちろん母さんだ。

「二人とも、お帰り。もう夕飯の準備はできているから、早く手を洗ってきなさい」

 今日は自分たちでご飯を作るから、と珍しく父さんとジーク兄さんがエプロンをつけて台所に立っている。そんな二人のエプロン姿がなんだか似合わなくて、顔を見合わせた私とエレンは、「エプロン似合わなさすぎ!」と同時に吹き出した。
 落ち込むジーク兄さんを放って、私とエレンは洗面所で手を洗う。清潔なタオルで手を拭い、再びリビングへ戻った。
 席に着く前に、母さんのために買ったプレゼントとカーネーションを用意する。エレンはプレゼントを持って、私はカーネーションを持って、母さんの座る席の隣に立った。


「「母さん、いつもありがとう!」」


 せいいっぱいの感謝を、この花に、この贈り物に乗せて笑顔で差し出せば、母さんは嬉しそうに笑って受け取ってくれた。

「ありがとう、二人とも」

 私とエレンの頭に、片方ずつ母さんの優しい手が乗せられる。その瞬間、ぶわっと視界が滲んで涙が零れた。

「あら、エミリ……どうしたの?」

 私が涙を零したことによって、驚いた顔を見せる母さん。私は、何と言えば良いのかわからなくて、ギュッと母さんに抱きつくことしかできなかった。
 そんな私につられて、珍しくエレンも涙を流している。

「二人して一体どうしたんだい? ほら、エレンもおいで」

 優しい母さんの声。私の背中に重みが増えたことから、エレンも母さんに抱きついているのだということが、すぐにわかった。

「全く……どれだけ大きくなっても、あんたたちはまだまだどうしようもない子どもね」

 そう言いながら母さんは、私とエレンの背中を優しく撫でてくれる。この感覚、知っている。小さい頃、何度もこうして背中を撫でてくれたよね。私、覚えてるよ?

 ねぇ、母さん……平和と幸せに満ちたこの世界で、父さんと再び出会って、私たちを生んでくれてありがとう。
 こんなどうしようもない、馬鹿ばっかりやってきた私たちを、もう一度、母さんの子どもにしてくれてありがとう。


 私たちの命を、自分の命と引き換えに守ってくれた……私の大好きな母さん。
 私とエレンに、たくさんの愛情を注いでくれた母さん。

 私の憧れる女性
 私が目指す、私のなりたい母親


 ……それが、私の母さん。


「母さん、大好きだよ」


 ありがとう

 この言葉よりも、こうして抱き合っている方が、私の大好きっていう気持ちと感謝の気持ちが、いっぱい伝わる気がしたの。




 

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