短編&中編

□思い出の品
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 今日は曇りひとつない晴天。清々しい青空の下、訓練兵団の兵舎では、身軽な格好をした訓練兵達が掃除道具を持って動き回っていた。
 彼ら──104期訓練兵はもうすぐこの訓練兵団を卒業する。そのため、兵舎を出るための準備で忙しい。
 三年間、世話になった自分達の部屋を皆で協力して掃除していた。彼らが卒業した後は、新たな兵士志願者がこの宿を使用するため、綺麗にしておかなければならない。

 そんな兵舎の一つの部屋では、エレンが私物を整理しているところだった。荷物をどんどん鞄の中へ詰めていく。
 エレンの持ち物は他の者達と比べて少ない。強くなるためにこの訓練兵団に入ったのだから、娯楽などの余計な物は手元に置かない主義だ。

「エレン、シーツの洗濯一通り終わったぞ」

「ああ、任せちまって悪ぃな。ありがとう、ライナー」

 必要な物、そうでない物とを分ける作業を繰り返すエレンに、彼の同期であり相部屋でもあるライナーが声を掛け入室する。

「荷物の整理、捗ってるか?」

「まぁな。問題はこれだ……」

 呆れたように溜息を吐きながらある箱を持ち上げるエレン。そんな彼の隣に並び、ライナーが箱の中を覗き込む。

「これは、まさか……」

「そう、俺の姉さんからの手紙だ」

 箱の中には溢れんばかりの大量の手紙があった。宛名は全てエミリのものだ。
 二人の手紙のやり取りは、エミリが訓練兵団へ入団してから始まった。しかし、ウォール・マリア陥落以前のものは手元に無い。それらは全部、潰れたエレン達の生家の下敷きだ。もう、ボロボロになっているだろう。

 あの日──巨人が襲来した時、両親や平和な日常だけでなく思い出も全て失った。自分の家には、家族との思い出が詰まったたくさんの物が置いてあるのに……全て、奪われたのだ。巨人によって。
 そんな中、今手元に残っている姉との思い出の品と言えば、エレンが抱えている箱の中にあるエミリからの手紙くらいだ。

「……これ、どうするかな……」

 流石に捨てるなんてことはしない。手紙の中でも相変わらず暴走するエミリだが、それも全部、弟のエレンを思ってのこと。それくらい、家族なのだからわかる。
 しかし、持ち歩くとなるとかなりの量だ。

「ミカサやアルミンもエミリさんと手紙でやり取りをしているんだろう?」

「ああ……」

「二人に聞いてみたらどうだ?」

 ミカサもアルミンも所属兵科が決まったら、移動先の兵舎に必ず持って行くだろう。エレン程ではないだろうが、二人も大量の手紙が手元に残っているはずだ。

「……そうだな。そうしてみる」

「なら、食堂に行こうか。もうすぐ夕食だ」

「もうそんな時間か……先に行っててくれ。これ直してから行くよ」

「わかった」

 じゃあな、と肩に手をポンと置いて部屋を出て行くライナーを見送り、エレンは手紙が入った箱を元の場所に戻す。その拍子に、ひらりと一枚の手紙が床に落ちた。
 それを拾い上げ箱の中へ戻そうとした時、エレンの目に入るのは封筒の端に記された日付けだった。

(”847年5月2日”……これって、姉さんが初めて壁外調査に出る前に送られてきたやつだ)

 エレンが訓練兵団に入ってから約一ヶ月後に届いた姉からの手紙。それは、壁外調査の旨を伝える内容のものだった。
 エレンが入団した時期と入れ替わりで調査兵団に入団した姉も、もう三年も生き残ってきたベテランの兵士だ。

(……これからは、ただの”姉さん”じゃないんだよな)

 エレンが調査兵団に入れば、エミリは姉であると同時に先輩となり、上官となる。これまでのように仲の良い姉弟では居られなくなるのだ。

(どんなこと、書いてあったっけ……)

 調査兵となったばかりの姉の心境は、どういったものだったか。この手紙は何度も読み返したが、もう三年も前のことだ。少し記憶も薄れている。
 調査兵団に入団する前にもう一度見ておこう。きっと、これから調査兵として生きていく上で大切なことが、ここには書かれているだろうから。
 エレンはベッドに腰掛け封を開けた。



『エレンへ

 お互い、新しい生活が始まって一ヶ月が経ったね。訓練兵団の生活には慣れてきたかな?
 私の方はね、エルヴィン団長が考案した”長距離索敵陣形”を覚えるのに毎日必死だよ。
 訓練だって、訓練兵団に入っていた時と同じかそれ以上に厳しいの。壁外で巨人と戦うのだから当然だけどね。

 そんな私は、三日後に壁外調査に出る。
 巨人の脅威を目の当たりにしたとはいえ、やっぱり少しだけ不安かな。私の技術がどこまで通用するのかわからないけど、必ず生きて帰ってくるよ。

 ……最近、また母さんの夢をよく見るようになってきたの。壁外調査の前で気持ちも高ぶって、色々と思うところがあるのかな。
 でもね、あの日のことを思い出すと……不思議と恐怖なんて感じない。巨人を倒さなきゃって、強い気持ちの方が勝って……恐怖なんて忘れてしまう。
 けどね、そんな自分が異常だなって思ってしまうの。だって同じ新兵の同期たちは、皆怖くて夜も眠れないほど怯えてる。それが普通なんだろうけど、私はどうやら平気みたい。

 三年後、エレンやミカサが調査兵団に入団した時も同じ感じなのかな。
 それまで、生きていられるかわからない。もしかしたら、三日後、私は死ぬかもしれない。

 私ね、死ぬのは全然怖くないの。もう、覚悟はとっくにできているもの。母さんを失った時から。
 私は、貴方たちを置いて行く方が怖くて仕方が無い。母さんを失った時と同じ思いをまたさせてしまったらって思うと、すごく怖いよ。

 だから、絶対に生きて帰ってくるね。そしたら必ず、またこうして手紙を送るから。
 これからも生きている限り、貴方たちにたくさんの経験を、思いを伝えて行くから。

 だから、次に会った時は大人しく頭を撫でさせて。抱き締めさせて。そしたら、私はもっともっと頑張れるし、強くなれるから。

 エレンも訓練頑張ってね。


  姉より』




 手紙を読み終えたエレンは、深い溜息を吐いた。
 この手紙で壁外調査があると聞いた時、とてつもない不安がエレンの心を襲ったことを思い出す。同時にカルラが目の前で巨人に食われた光景と母を失った喪失感も。
 それと同じ未来が待ち受けているのだと思うと血の気が引いた。

 もし、調査兵団に入団したら、初陣の姉と同じ気持ちを抱えるのかと思うと少し憂鬱だった。
 母を失ったあの日、この世から一匹残らず駆逐してやると決めた。きっと、エミリだって同じだったはず。だけど、実際、調査の前になると心にも変化が現れてくるものなのかもしれない。

 壁外調査当日、心が落ち着かなかった。訓練だってミスを繰り返し、食欲だって正直無かった。それは、アルミンとミカサも同じだった。
 訓練中、ミスをすれば怒鳴る教官のキース・シャーディスもその日ばかりはエレンたちに怒声を上げることは無かった。
 彼にとってもエミリは大切な教え子だったから、エレンたちの気持ちを理解してくれていたのだろう。
 だから、エミリから手紙が届いた時は三人で胸を撫で下ろした。別に巨人が現れた訳でもないし、命懸けの訓練をしていた訳でもないが、生きた心地がしなかったから。

「確か、あの手紙は……」

 壁外調査を終え、エミリから再び届いた手紙を漁る。
 ついでだから目を通しておこうと思ったのだ。その手紙には、今読んだものよりももっと大切なことが書かれていたから。

 思い出しておきたい。
 自分が調査兵団に入る前に、もう一度覚悟を決めるために……

「あった……!」

 日付を確認し、目当ての手紙を見つけたエレンは再びベッドに腰掛けた。




『エレンへ


 約束通り、ちゃんと生きて帰ってきたよ。心配かけてごめんね。大きな怪我もしてないから安心して。

 ……何から話せばいいかな。まだ、ちゃんと頭の中が整理できてないの。
 故郷のウォール・マリアで巨人と戦って、たくさんの仲間が命を落とした。
 あの日と同じようだった。いつも綺麗に見えるはずの夕焼けが、仲間の血と重なって……すごく、残酷なものに見えたよ。

 やっぱり、憎いよ。
 巨人は、私たちの全てを奪う。
 それを取り戻すために戦っても奪われるばかり。

 おまけに民衆からは非難の声。辛くて、悔しくて、悲しくて、苦しくて、仕方が無くて。
 でも、涙は出なくて……感情をどう吐き出せば良いのかもわからなかった。

 だけどね、エレン。私……この壁外調査を通して、仲間たちの死を目の当たりにして、自分の心と向き合って……気づいたの。
 私は何のために兵士をやっているのか。
 私はね、皆の幸せを守りたい。自由を取り戻すことも大切だけど、でもまずは皆が笑顔で幸せであってほしいから。

 そのために戦う。
 だから、決めたんだ。

 私は憎しみを捨てるって。

 家族を奪われて、仲間を殺されて、確かに巨人は憎い相手だけれど……それでも私はその感情を捨てて、巨人と戦っていく。

 憎しみは負の感情。
 憎しみは幸せとは真逆のもの。

 人々の幸せを願う者が、そんな感情を持っていたって誰も幸せにはできないって、私はそう思うから。


 ……なんか、変な話しちゃってごめんね。でも、エレンにはちゃんと伝えておきたかった。知っておいてほしかったの。私が何のために戦っているのかを。 


 三年後、エレンが調査兵団に入る時、エレンはどんな思いでいるのかな。今と変わらず、巨人を駆逐することしか考えてないかもしれないね。
 だけど、それだけじゃないということを覚えておいてほしい。
 理解する必要も無い。ただ、覚えていてくれればそれでいいから。


 生きるために、戦うために、私はもっと強くなる。だからエレンも、ミカサとアルミンと一緒に頑張ってね。


  姉より』




 エレンは静かに便箋を畳んで封筒の中に戻すと、ゴロリとベッドの上に状態を倒して天井を仰いだ。
 エミリは憎しみを捨てた。それが、姉が望んだ兵士としての在り方なのだから文句は無い。
 逆に、憎しみを捨てるという選択ができたエミリが凄いと思った。

(……俺には、できねぇ……)

 巨人を駆逐する。
 この世から殺さなければならない。

 エレンがそう思った切っ掛けは、あの日の惨劇と母親の死、そして……エミリの涙。
 目を閉じれば瞼の裏に映し出される、ひっそりと涙を流していた姉の姿を……────


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