短編&中編
□卒業
1ページ/1ページ
先日、卒業したばかりの中学の制服を、再びきちんと身にまとい、まだ開花していない桜並木の下をローファーで走る。
私が目指しているのは、今から丁度3年前、私が卒業した母校──シガンシナ小学校だ。
正門前に立っている見守り隊のおばちゃん、おじちゃんたちに挨拶をして、懐かしの母校へ足を踏み入れる。今日は、弟のエレンたちの卒業式だ。
講堂は、たくさんの人で溢れかえっていた。壁側には紅白の幕が付けられ、保護者席は既に満席。卒業生の席と保護者席の間には、在校生の席が設けられている。
母さんたちが座っている場所を見つけられず、後ろの方でキョロキョロしていると、母さんがこちらへ歩み寄って来る姿が見えた。
「エミリ、こっちよ」
遅めにやって来た私に、少し怒った顔で手招きしながら、席へ誘導してくれる。
「全く……こんな日くらい時間通りに来たらどうなの?」
「だって〜〜自転車停める場所がなかなか見つからなかったんだもん。信号めっちゃ長いし」
講堂で両親と合流するなり、いきなり母さんに小声で叱られ、私は口を尖らせながら席に着く。手元には、しっかりと写真アプリを開いたスマホを持って。
「まあまあ、カルラ。卒業式の時間には間に合ったからいいじゃないか」
「あなたはエミリに甘すぎるのよ」
普段、あまり私たちに対して怒ることのない父さんは、卒業というこの日に胸を踊らせているのか、とてもにこやかな表情だ。
そんな父さん以上に落ち着きを見せないやつも一人いるけど……。
「……ジーク兄さん、ソワソワしすぎ」
「エミリちゃん……その冷めた目やめてくれない……?」
私と同じくスマホを手に、入口ばかり気にする兄さんへ、私は冷ややかな視線を送ることしかできない。
私も人のことは言えないけれど、なかなかのブラコン・シスコンっぷりを見せる兄さんの暴走は、正直私以上だったりする。
早くエレンの晴れ姿を見たいのか、入口から視線を外そうとしない兄さんに溜息を吐き、私は前を向いた。
舞台には、卒業生のメッセージビデオが流されている。エレンのも観たかったけど、もう終わってしまったかな? 気になって、母さんに聞こうとしたとき。
「あら、エレンだわ」
その母さんの声に私と兄さんは、光の速さでスマホを持ち上げ、再生ボタンを押した。
『……えっと……父さん、母さん……ついでに、エミリ姉さんも。12年間、その……あり、がとな。…………あ、ジーク兄さん忘れてた』
そこで画面が切り替わる。
「…………ついで、か」
「エミリちゃんまだいいじゃないか! 俺忘れられてたからね!?」
涙ながらに録画終了ボタンを押しながら、スマホを下げる兄さんは、相変わらず私たち姉弟からロクな扱いを受けていない。
流石に可哀想に、とも思った私だけど……そういえばと思い出すのは、私も今のエレンたちと同じようにメッセージビデオを撮ったときのこと。確かあのとき私は……───
『父さん、母さん、私のかわいいエレン〜!! 今までいっぱいいっぱいありがとうございます! これからも、私を見守っていてくれると嬉しいです!!』
……兄さんの存在、思っくそ忘れてたんだった。私の方が酷い扱いしてるな。
「……エミリちゃんなんか、俺のこと最初から存在無かったかのような扱いだったし……」
まだそれ根に持ってたのか。
俯いていじけている兄さんの姿に何も思わない私は、さぞ冷たい妹なんだろう。
「二人とも静かにしなさい。そろそろ時間よ」
くだらないやり取りをしている間にメッセージビデオが終わり、来賓の方たちが入ってくる。そして、開式の言葉が述べられ、卒業生を迎えるBGMが流れた。
たくさんの拍手に包まれ、赤絨毯の上を歩く卒業生たち。私はエレンの歩いてくる姿を写真に収めたくて、スマホを構えて待っていた。
「いた!」
胸に花を飾ったエレンが、背筋をピンと伸ばして歩いてくる。更に、エレンの前にはアルミン、そのまた前にはミカサが並んで、嬉しそうに頬を緩ませながら入ってくる。
再び私はスマホを構え、撮影ボタンを押した。勿論、撮影モードを連射にするのも忘れない。
卒業生たちが揃い、会場は静かな雰囲気に包まれる。そんな中、全員で国歌を歌い、卒業生たちの校歌を聴き、そして、とうとう卒業証書授与の時間がやって来た。
長い長いこの時間、途中、眠りにつかないか不安に思いながら、エレンたちが壇上に立つ瞬間を、今か今かと待つ。
「ミカサ・アッカーマン」
「はい!」
透き通った声で、綺麗に返事をするミカサ。
「アルミン・アルレルト」
「はい!」
緊張した面持ちで震えながらも大きく返事をするアルミン。そして……────
「エレン・イェーガー」
「はい!!」
堂々と、元気よく返事をするエレン。
カッコよく決めたいのだろう。胸を張って、大きく腕を振って歩くエレンは、大人の階段を登ろうと背伸びしているみたいで、なんだか可愛かった。
卒業証書を受け取り、くるりと回れ右をして真っ直ぐと前を向くエレンの姿を、スマホに収める。きっとこの写真は、今までで一番カッコいいものになるだろう。
約100名ほどが無事に卒業証書を受理し、学校長祝辞、PTA会長祝辞、保護者代表のお礼の言葉へ移る。それぞれの挨拶を聴きながら思い出すのは、エレンと一緒に小学校へ通った日々のこと。
小さな背中に、ピカピカの新しい黒のランドセルを背負って、手を握って登下校の道を歩いた。ついこの間のことのように思える。だけど、エレンたちと学校へ通える日々は、もう無い。
無事に受験を勝ち抜き中学を卒業した私は、来月から高校生となる。そして、エレンたちは中学生。どんなに願っても、同じ学校へ通うことはもうできない。
成長って嬉しいことだけど、少し寂しくも感じる。春は、正に出会いと別れの季節。出会いの数だけ別れがあるとは言うけれど、本当にその通りだと思う。
「別れの言葉。卒業生、職員……起立!」
とうとう卒業式もクライマックス。司会の合図で卒業生と先生方が椅子から腰を上げる。そして、卒業生全員が椅子から離れ、雛壇へ並び始めた。
彼らがそこへ立つのは、この講堂で行事を行うのは、これで最後。
皆の顔はとても凛々しかった。男の子も、女の子も。
「あっという間に過ぎた6年間」
「今日、卒業証書を受理し」
「「僕たち」」
「「私たちは」」
「卒業します!」
「「卒業します!!」」
カメラのシャッター音が鳴り響く中、卒業生たちの力強い別れの言葉が始まった。耳を澄ませば、保護者席から鼻をすする音も聴こえる。
そんな私も、卒業生たちの言葉を耳にする度に涙が溢れそうで仕方がなかった。それでも、なんだか親の前で泣くのは恥ずかしくて……目に力を込めて、必死に涙を零さないよう我慢する。
入学式から卒業式である今日この瞬間までの、6年間の思い出を振り返る別れの言葉。誰も涙を流すことなく、はっきりとカッコよく言い切った。そして……────
ド ソ ド レ ミ
ラ ソ ソー
ファ ミ ファ ド ファ
ファ ミ レ ミ ソ ド レ ミー レー ドー……
とうとう定番曲である「旅立ちの日に」の伴奏が始まる。
「「白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ」」
ずっと止まっていた涙。
少しずつ、また目元が熱くなって、涙が溢れそうになる。思わず私も小さく口を開いて、口ずさんでしまうほどに、私にとっても心に残っている思い出の曲。
つい数日前、私もこの曲を中学校の講堂で歌った。自分の卒業式の時、たくさん泣いたはずなのにあの時の感覚を思い出してしまう。
優しい歌声。
あの時の私と同じように、大きな成長とたくさんの思い出を抱えて歌っている彼らの”いま”の心が、痛いほどにわかる。
「「いま(いま) 別れの時 飛び立とう未来信じて
はずむ(はずむ) 若い 力信じて
この広い(この広い) この広い(この広い) 大空に」」
フィナーレでもあるサビの部分、卒業生の子たちは皆泣きながら歌っていた。
笑顔のまま歌っている子もいた。
無表情で淡々と大人びた表情で歌っている子もいた。
そして、気づけば私も一筋涙を流して、手が痛くなる程に大きな拍手を鳴らし、卒業生の退場を見送っていた。
***
遥か遠い昔、私たちの運命は、とても残酷なものだった。
あの頃にとって卒業という言葉は、あまり喜ばしいものではなかった。少なくとも、私にとっては。だって、自らの命を燃やし戦いに身を投じる世界へ、足を踏み入れるということを意味するものだったのだから。
だけど、今はもうそんな心配をする必要はない。
「ミカサ、アルミン……エレン!」
花道を通り、花束と卒業証書のバインダーを手にした3人の元へ駆け寄り、順番に頭を撫でて行く。
嬉しそうなミカサとアルミン、恥ずかしそうに頬を赤く染めるエレン。本当に喜ばしい意味で卒業を終えた3人に、私はあの時代に言いたくても言えなかった言葉を、笑顔で送った。
「卒業、おめでとう!」