短編&中編

□足掻き
2ページ/2ページ


 ゆっくりと瞼を開いたハンジは、ぼーっとした頭で淀んだ空を眺めていた。その数秒後、勢いよく飛び起き、周囲を確認する。
 隣に横たわっているのは、顔が傷だらけの兵士長。どうやら二人並んで地面に身を預けていたらしい。

 雨の中、意識不明のリヴァイを抱き締め、逃げるために川の中に飛び込んだわけだところまでは覚えている。
 しかし、そのあとの記憶が全くない。川に流されていた自分たちは、一体どうやって助かったというのだろうか。

「目、覚めましたか」

 静かな声が、風に乗ってハンジの耳へ届く。
 この声は、何度も聞き覚えのある声。
 大切だった、部下のもの。

「……君が、私とリヴァイを助けてくれたんだね」

 ハンジはそう言って彼女の顔を見つめる。
 相変わらずそんな彼女あるのは、光を失った瞳と氷のように冷たい表情。
 かつて、あんなにも眩しく、温かかった優しい笑顔は、もう、そこにはない。

「どうして、私たちを助けたの……?」

 今では、警戒すべき人間のひとり。
 何故、こんなことになってしまったのか……それは、ハンジにもわからない。

「……さあ、何ででしょう。私も、よくわかりません」

 そんなことを零しながらも、光を失った瞳に映すのは、きっと、今でも彼女たちにとって、最愛の人。

「私、おかしいんです」

「……え?」

「生きていてほしいって思うのに、何故か、いま……安心している自分がいるんです」

 その発言に、ハンジは背筋が凍った。
 今の彼女は、やはりこれまで以上に危険だと。

「もう、この人が戦わなくて済むのなら……私は、」

「なんて、君は……」

 真っ暗闇に染まってしまった彼女の瞳は、4年前までとは完璧に別人だった。

(……なんて、悲しい人間なんだろう)

 世界の事実。
 兄の策略。
 弟の豹変。

 その全てが、彼女を狂わせてしまった。
 そして、彼女自身がそれをわかっているから、きっと、リヴァイの元へ駆け寄ることをしない。

「…………私が手助けできるのは、ここまでです」

 これ以上、最愛の人に触れてしまえば、何をするかわからないから。
 そして何より、例え彼が生の道を歩むことになったとしても、その切っ掛けを彼女が与えてしまえば……今度は、助けたことを、彼女は後悔することになるかもしれない。
 そんな未来が、彼女に確実に迫っているのだ。

「……ごめんなさい」

 ハンジと、最愛の人に背を向け、彼女はゆっくりと、静かに、森の暗闇へ溶け込んでいった。

 さわさわと揺れる木々の音。
 それはとても、重く、暗く、不気味だ。

「ねえ、リヴァイ……」

 未だに意識不明のリヴァイを、残った片方の目に映し、そして、囁くように名前を呼ぶ。

「今度は、あんたがあの子を救ってあげる番だ」

 彼女が、リヴァイの太陽となり、愛と希望を与えたように……
 次は、彼女の心に侵食した心の闇を、彼の純粋な愛で浄化してあげなくてはならない。

「あれが、あんなあの子の姿が……リヴァイの望んだあの子の幸せの形なの?」

 そっとリヴァイの胸に手を置いて、体重をかける。

「男なら、このまま逝くんじゃないよ……幸せにするって誓ったんでしょ」

 4年前の、穏やかなあの日々を取り戻すために……

「惚れた女を、あんな顔させたまま放ったらかしにしてるんじゃないよ」

 彼女に笑顔を取り戻すために……

「リヴァイ……生きろ!!」


 その言葉は、その想いは、彼の魂を呼び起こすのに、十分な魔法の呪文だった。


前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ