短編&中編
□足掻き
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ゆっくりと瞼を開いたハンジは、ぼーっとした頭で淀んだ空を眺めていた。その数秒後、勢いよく飛び起き、周囲を確認する。
隣に横たわっているのは、顔が傷だらけの兵士長。どうやら二人並んで地面に身を預けていたらしい。
雨の中、意識不明のリヴァイを抱き締め、逃げるために川の中に飛び込んだわけだところまでは覚えている。
しかし、そのあとの記憶が全くない。川に流されていた自分たちは、一体どうやって助かったというのだろうか。
「目、覚めましたか」
静かな声が、風に乗ってハンジの耳へ届く。
この声は、何度も聞き覚えのある声。
大切だった、部下のもの。
「……君が、私とリヴァイを助けてくれたんだね」
ハンジはそう言って彼女の顔を見つめる。
相変わらずそんな彼女あるのは、光を失った瞳と氷のように冷たい表情。
かつて、あんなにも眩しく、温かかった優しい笑顔は、もう、そこにはない。
「どうして、私たちを助けたの……?」
今では、警戒すべき人間のひとり。
何故、こんなことになってしまったのか……それは、ハンジにもわからない。
「……さあ、何ででしょう。私も、よくわかりません」
そんなことを零しながらも、光を失った瞳に映すのは、きっと、今でも彼女たちにとって、最愛の人。
「私、おかしいんです」
「……え?」
「生きていてほしいって思うのに、何故か、いま……安心している自分がいるんです」
その発言に、ハンジは背筋が凍った。
今の彼女は、やはりこれまで以上に危険だと。
「もう、この人が戦わなくて済むのなら……私は、」
「なんて、君は……」
真っ暗闇に染まってしまった彼女の瞳は、4年前までとは完璧に別人だった。
(……なんて、悲しい人間なんだろう)
世界の事実。
兄の策略。
弟の豹変。
その全てが、彼女を狂わせてしまった。
そして、彼女自身がそれをわかっているから、きっと、リヴァイの元へ駆け寄ることをしない。
「…………私が手助けできるのは、ここまでです」
これ以上、最愛の人に触れてしまえば、何をするかわからないから。
そして何より、例え彼が生の道を歩むことになったとしても、その切っ掛けを彼女が与えてしまえば……今度は、助けたことを、彼女は後悔することになるかもしれない。
そんな未来が、彼女に確実に迫っているのだ。
「……ごめんなさい」
ハンジと、最愛の人に背を向け、彼女はゆっくりと、静かに、森の暗闇へ溶け込んでいった。
さわさわと揺れる木々の音。
それはとても、重く、暗く、不気味だ。
「ねえ、リヴァイ……」
未だに意識不明のリヴァイを、残った片方の目に映し、そして、囁くように名前を呼ぶ。
「今度は、あんたがあの子を救ってあげる番だ」
彼女が、リヴァイの太陽となり、愛と希望を与えたように……
次は、彼女の心に侵食した心の闇を、彼の純粋な愛で浄化してあげなくてはならない。
「あれが、あんなあの子の姿が……リヴァイの望んだあの子の幸せの形なの?」
そっとリヴァイの胸に手を置いて、体重をかける。
「男なら、このまま逝くんじゃないよ……幸せにするって誓ったんでしょ」
4年前の、穏やかなあの日々を取り戻すために……
「惚れた女を、あんな顔させたまま放ったらかしにしてるんじゃないよ」
彼女に笑顔を取り戻すために……
「リヴァイ……生きろ!!」
その言葉は、その想いは、彼の魂を呼び起こすのに、十分な魔法の呪文だった。