短編&中編

□思い出の品
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 ウォール・ローゼへ避難してからエミリと再会できたのは、二週間後のことだった。

 全く怪我のない姉の様子に安堵したが、彼女の顔は少し窶れていた。
 ここ数日、訓練兵たちは避難民の保護や援助で動き回っており、勿論、エミリもその中に混じっていたため、その疲れが出たのだろう。
 それでも、エレンたちに心配を掛けないように笑顔を絶やすことなく寄り添ってくれた。
 その日は、避難所で夜を共にしてくれた。エミリがいるだけで、寂しも少し紛れ、恥ずかしくて言葉にはしないが、本当に姉の存在には助けられた。

 そして、この時エレンが、そんな姉の弱々しい姿を見たのは、皆が寝静まった後のことだ。

 眠っていたエレンの耳に、ガサガサと何かが動く物音が聞こえゆっくりと瞼を上げた。
 そんなエレンの目にぼんやりと映ったのは、避難所を出て行く姉の姿。何かあったのだろうかと体を起こし、ミカサやアルミンたちを起こさないように、静かにエミリの後を着いて行く。
 エミリは、岩に腰掛けて月を見上げていた。何か考え事でもしているのだろうか、そう思って声をかけようとした時、鼻を啜る音がエレンの耳に届いた。

(…………姉さん、泣いてる?)

 エレンは思わず足を止めて、姉の寂しそうな背中を見つめる。

『……エレン……みん、な……ごめん、ね……』

 エミリの掠れた声は、静かな森の中へ吸い込まれるように消えていく。

 ”ごめん”
 それは、あの時カルラを助けられなかったことを示しているのだろうか。

(そんなの、俺たちだって……)

 エミリよりも先に家に辿り着き、ミカサと二人で潰れた家の残骸を押し上げ、カルラを助けようと試みたが、まだまだ子供の力ではビクともしなかった。
 駆けつけたハンネスだって、立体機動装置を装着し装備は万全だった。それでも、巨人の存在に圧倒され、カルラを置いて逃げることしかできなかった。
 訓練兵団から一時帰郷するためシガンシナ区へ戻ってきたエミリの格好は私服で、装備も何も無い状態だった。あったとしても、彼女はまだ訓練兵になって一年しか経っていない。巨人との戦闘は不可能に近い。

 もし巨人の相手をしていれば、姉すらも失っていたかもしれない。そう思うと、あの時は皆逃げることで精一杯だったのだろうと今ならわかる。
 今回のことに限らず、エミリはいつだってエレンたちの前で笑顔を絶やすことは無かった。
 姉としてしっかりしなければという責任感と、何よりエレンたちに心配を掛けたくないからという彼女なりの気遣いがそうさせていたのだろう。

 辛い時は必ず誰かを頼りなさい。

 昔からエミリがよく言っていた言葉だ。家族でも友人でも、決して一人で抱え込まないで。人はひとりで生きていけるほど、器用な生き物じゃないから、と。

(……何だよ。俺にはよくあんなこと言ってたくせに、姉さんだって人のこと言えねぇじゃん……)

 ムスッと顔を歪ませ、拳を作ったエレンはズカズカとエミリの元へ歩み寄り、その寂しそうな背中に叫んだ。

『姉さん!!』

『ッ!? え、エレン……!』

 いきなり現れたエレンの声の大きさに驚き、ビクリと体を震わせたエミリは、慌てて涙を拭い笑って見せた。

『どうしたの?』

 ニコリと微笑んでエレンに話しかけるも、そんな強がる姉の姿にエレンは更に目を釣り上げる。

『それはこっちの台詞だ! 姉さん、今泣いてたじゃねぇか!!』

『え〜そうなの?』

 まだしらを切るつもりか。エレンはエミリの正面へ回り込み、膝に置いてある姉の手を握る。
 少しでも、頼ってほしいという気持ちを伝えたいから。

『……エレン?』

『辛い時は誰かを頼れって言ったの姉さんだろ……こういう時くらい……その、ちゃんと家族を頼れよな……』

 段々と恥ずかしくなってきたのか、エレンの頬が少しだけ赤い。
 可愛い弟の優しい気遣いに、エミリはクスリと笑みを零し、エレンを抱えて膝の上に乗せた。まだ小さな身体を後ろから包み込むように抱き締め、エレンの頭に頬を当てる。

『エレン、ありがとう。じゃあ、少しだけこうさせてね』

『…………うん』


 お腹に回された姉の手に、エレンは自分の手を重ねた。
 母を失い、父は安否が確認できていない。血の繋がった家族はもう姉弟しかいない。
 エミリは、明日の朝に訓練兵団へ戻ってしまう。こんな状態では、今まで以上に姉と会える数は減ってしまうだろう。だけど、いつまでも甘えてばかりじゃいけない。

『……姉さん』

『ん?』

『俺、強くなる……』

 昔から喧嘩する度に姉とミカサに助けて貰ってばかりだった。でも、今度こそ強くなる。ならなきゃいけないんだ。

『……エレンは、エレンのままでいて。私はそれ以上、何も望まない。元気に生きていてくれたらそれでいいから』

 それは、弟の決意に対する否定の言葉と取れるかもしれない。けれど、それはエレンを否定しているわけではなく、エレンに生きていて欲しいというエミリの願い。
 エレンを抱き締めるエミリの腕に、少しだけ力がこもる。そんな姉の温もりに、エレンは静かに身を委ねていた。


***



 数年前の小さな出来事を思い浮かべ、エレンはゆっくりとベッドから立ち上がり、手紙を元の場所へ戻した。
 あの時、何も出来なかった弱い自分はもう居ない。訓練兵団に入って巨人を殺す技術を身につけ、そして、ようやく姉と同じ場所へ立つことができる。
 いや、調査兵団に入団しても新兵。まだまだ、背中は遠い。

(……必ず姉さんよりも強くなって、今度は俺が守るんだ)

 大切な家族を今度こそ、必ず……。

 決意を表すように胸元で拳を作り、それを暫く眺めていた。

「あ、やっぱりまだここにいた!」

 そんな静かな部屋に響き渡る親友の声に、エレンは顔を上げる。開け放たれた扉には、幼馴染のアルミンが困った表情でエレンを見つめていた。

「夕食の時間なのにいつまで経っても来ないから、心配したんだよ?」

「あ、ああ……悪ぃ」

 つい昔の記憶に浸っていたせいで、すっかり夕飯時であることを忘れていた。
 思い出したら小さく腹の虫が空腹を知らせる。そんなお腹に手を添え、エレンは部屋を出た。

「エレン、何してたの? もしかして何かあったんじゃないかって、ミカサがすごく泣きそうな顔してたんだから」

「あいつはいつも大袈裟なんだよ……」

 エレンのことになるとすぐ暴走するミカサの姿が容易に想像できる。
 エミリと引けを取らないほどエレンに対して過保護なミカサの相手をするのは、正直いろいろと思うところはあるが、それでも自分のことを大切にしてくれているのだということは分かる。
 鬱陶しい、などとは思わない。それは姉に対しても同様だ。
 なかなか食堂に顔を出さなかったことを詫びながら、今頃一人でエレンとアルミンを待つミカサの元へ急いだ。

「……遅い」

「悪かったって……」

 三人分の夕食が置かれてある席へ到着して早々、暗い表情でミカサに責められたエレンは、少し顔を歪ませながらも今回は自分が悪いため素直に謝る。
 しかし、ミカサは眉を下げ顔を俯かせたままだ。

「エレンに何かあったのかと思って……すごく、心配した」

「別に何もねぇって。ただ、ちょっと……昔の思い出に浸ってたって言うか……」

「昔って?」

 ポリポリと頭を掻くエレンの話に、隣に座ったアルミンが彼の顔を覗き込む。

「……姉さんからの手紙を読み返したりしてた」

「そうだったんだ」

「でも、時間はちゃんと守って」

「だから悪かったって……」

 いつもの無表情に戻ったミカサに、エレンは再び謝罪の言葉を口にした。
 それに満足したのか、ミカサはいただきますと夕飯に手をつける。エレンとアルミンも同じ言葉を口にして、スプーンを手に取った。

「なあ、お前らに聞きたいことがあるんだけど」

「どうしたの?」

「姉さんからの大量の手紙、お前らはどうすんのかなって」

「勿論、一緒に持って行く」

「でも凄い量だからね。手紙は箱に詰めて、配達という形で配属先の兵舎に届けてもらおうと思ったんだ」

「なるほどな」

 街に出るまで少し時間がかかるため、訓練地には郵便屋が設置されている。
 所属兵科が決まったら配属先の住所を貼って荷物を預ければ、向こうへ着く頃には手紙も兵舎に運ばれているはずだ。これなら持ち歩く手間も省ける。

「なら、俺もそうするよ」

「うん!」

 無事に手紙の運び方が見つかり、とりあえずは一安心だ。
 手紙には、もう簡単に得られることのできない姉弟の時間が在るから、捨てずにずっと持っておきたいと思っていた。

 家族を繋ぐ思い出の品は、きっとこれから調査兵として生きていくための糧にもなるだろう。
 手紙に綴られていたエミリの決意や言葉が、自分の支えになることを、力になることを信じて、エレンは近い未来に思いを巡らせた。



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