Vergiss nicht zu lacheln
□第20話
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綺麗に足を揃え、背筋をピンと伸ばし、緊張した面持ちでソファに身を預けていたエミリは、瞬きを繰り返しながら向かい側に座るダリス・ザックレー総統と向き合っていた。
「おい、肩の力を抜け。顔が強ばってんぞ」
「ね、年中無愛想な兵長に言われたくない、です……」
「ほう、言うようになったじゃねぇか」
リヴァイに対して遠慮が無くなってきたエミリのその言葉は、二人の距離がまた少し近づいたことを表していた。それを改めて感じ取ったリヴァイは、心做しかいつもと比べて機嫌が良い。眉間の皺も少ないようだ。
「リヴァイの言う通りだ。そう身構えることは無い」
「は、はは……はい!!」
再びザックレーに声をかけられたエミリは、またピンと背筋を伸ばす。その様子にやれやれと溜息を吐くリヴァイだが、初対面の、しかも相手が三兵団を纏めている総統となれば、エミリが緊張してしまうのも無理はないだろう。
何故、エミリがザックレーとこうして顔を合わせているのか。それは、先日のファティマの話が通ったからである。
薬剤師としてエミリを弟子に勧誘しただけでなく、エミリのためにと調査兵団の敷地に薬草園を造るという話となった。妻の要望を聞いたザックレーは、薬草園の創設を許可したのだ。その条件として、ファティマが認めたエミリという兵士と一度会ってみたいという、何とも簡単な交換条件を提示したため、こうして面会することとなったのである。
「で、どうかしら? 私が選んだ生徒は……」
ザックレーの隣に腰を下ろし、優雅にティーカップに口を付けているのはファティマ。会いたいと言うから連れてきたというのに、さっきから何も言わずにずっとエミリを眺め、観察しているだけの夫に、ファティマは呆れたように言った。
「ふむ……まあ、彼女とは会ったばかりだ。特に大きな評価はまだ言えんが……」
じっとエミリの目を見つめ、ザックレーは観察を続ける。対してエミリは、早く終わらないかと泣きそうな表情で座っていた。
「あなた……どうせ初対面で詳しいことなんてわからないのだから、そろそろ観察するのやめて上げなさい」
瞳を潤ませてプルプルと震えているエミリがとても気の毒だ。
昔から何かと初対面で興味の湧いた相手に対して、人間観察をする癖がある夫にファティマは長年頭を抱えていた。人間観察は自分の美的観念に関わるなどと、よくわからない話をさせれ続けている。今はもう慣れたものだが、何も知らない人からすれば良い迷惑である。
「エミリ、ごめんなさいね……この人、いつもこうなのよ」
「いえ、気にしないでください!!」
「とにかく、話を進めましょう……」
元々、薬草園の費用や建設場所、園内の構造について話し合うために集まっと言うのにザックレーの余計な趣味のせいで、本題に入るのが遅くなってしまった。
ファティマは、一つ咳払いをして向かい側に座っているエミリ、エルヴィン、リヴァイに資料を配り、説明を始める。
建設場所は、調査兵団訓練所に一箇所、広さも日当たりも丁度良い空きスペースがあるため、そこへ建てることとなった。費用は全てファティマの方で片付けてくれることとなり、構造もできるだけエミリの要望に応えるとのことだ。
「────薬草園の薬草たちは、壁外調査から持ち帰った薬草を中心に植えたいんです。ウォール・マリアには、ローゼにはない薬草もあるので……」
「なるほどね。それは、とても良い考えだと思うわ。なら、後でマリアで見た薬草を教えてくれるかしら? それに合わせて、なるべく沢山の種類の薬を作られるような薬草を、こちらで調整しておくわ」
「ありがとうございます!」
「ファティマさん、エミリの部屋について私からも一つ伺いたいことが……────」
打ち合わせの内容は薬草園のことだけでなく、エミリ専用の仕事部屋についても相談し合った。少しでもエミリが過ごしやすい環境を整えるため、そして、調査兵団に負担がかからないようにと、とにかく案を出し合った。
そうこうしている内に、気づけばもう日は傾き始めている。
「ファティマ先生、今日はありがとうございました!」
部屋から出たエミリは、最後にもう一度ファティマへペコリと頭を下げる。ファティマはそんな愛弟子の頭に手を置いて、優しい口調で返した。
「これから貴女と過ごす時間をとても楽しみにしているわ」
「はい!」
満面の笑みで返事をするエミリから感じ取られるのは、彼女が持つ清らかな心。それは、エミリが純粋な人間であることを物語っている。
しかし、ファティマにはそれが逆に一番の不安要素であった。いつか……それが汚れてしまうかもしれない、と危惧しているからだ。
「ファティマ先生、こんにちは」
そうしてエミリを見つめて物思いに耽っていると、すぐ側から別の男性の声が耳に入る。
「あっ……ああ!? あなたは……もしかしてっ!!」
その男性を目にした途端、エミリは、瞳をキラキラと輝かせ彼に見入っていた。
「あの……オドさん、ですよね?」
「うん、そうだけど……」
「やっぱり!!」
オドと呼ばれる男性を、憧れの眼差しでまじまじと見つめるエミリ。オドは、少し戸惑いながらも微笑を整った顔に乗せていた。
「おい。誰だ、こいつ……」
想い人が一人の男性に注目している光景は、リヴァイにとっては我慢ならない。相手を威嚇するかのように低音の声を響かせ、オドを睨みつけていた。
「彼は、私の教え子ですよ」
眉間に皺を寄せるリヴァイに、ファティマが隣から説明を入れる。
医療に携わっている者であることは、説明されずともリヴァイにも理解できた。オドは、ファティマと同じように白衣を羽織っているからだ。
ファティマの弟子であり、エミリが向けている眼差しは憧れや尊敬であることから、彼がかなりの腕を持つ薬剤師であるということが伺えた。
「あのですね、オドさんは、医療界の担い手として、若くしてたくさんの活躍を見せているんです! それだけじゃないんですよ! 薬剤師と医師、両方の資格も持っているんですから!!」
自分が抱く憧れの要素をつらつらと述べていくエミリは、興奮冷めやらぬといった様子だった。
そんな彼女の様子に、リヴァイの表情がどんどん険しくなっていく。嫉妬深い兵士長の肩に、まあまあと宥めるように手を置くのはエルヴィンだった。今にも盛大に舌打ちを鳴らしそうなリヴァイの視線は、オドに注がれている。
小さな声で、「嫉妬深い男は嫌われるぞ」と助言してやれば、その鋭い目はエルヴィンに移された。
「あの! 私、エミリ・イェーガーと申します!! オド先生にお会いできて光栄です!!」
「イェーガー……?」
「エミリは、グリシャ・イェーガー先生の娘さんよ。そして、これから私の元で薬学を学ぶことになったの」
「へぇ、そうなんですか」
未だに憧れの眼差しを浴びせるエミリに向かって微笑んだオドは、スッと右手を差し出す。
「ファティマ先生の弟子同士、これからよろしくね」
「は、はい! こちらこそ、よろしくお願い致します!!」
オドの右手を握り、ギュッと力を込めて握手をする。自分が憧れる人物の一人とこうして交流が持てることに幸せを感じた。
「…………君は、とても美しい心を持っているんだろうね」
「えっ……」
突然、意味深な言葉を発するオド。その発言の中身が理解できず、エミリは首を傾けた。
「あの、どうしたんですか?」
「いや……ただ、ファティマ先生の教え子になれたってことは、君は、他人を思いやる心が誰よりも強いんだろうなって思っただけだよ」
「……はあ?」
確かにファティマは、エミリのように”誰かを助けたい”と強く願い、仕事に尽くすことができるような人材を求めていた。
しかし、彼女の教え子になったからと言って、本当にその人間が皆、清らかな心を持っているのだろうか。
実力が全ての世界なのだ。ファティマだって、気持ち以上に腕前を優先することだってあっただろう。
「君は、どうして薬剤師になりたいって思ったんだい?」
「……私は、調査兵団の仲間たちの力になりたくて」
「へぇ……ってことは、兵士をしながら薬剤師を目指すんだ。それはまた凄いね」
「あ、ありがとうございます!!」
まだ薬剤師になってもいないが、些細なことでも褒めてもらえたことが嬉しくて、エミリはほんのりと恥ずかしげに頬を染める。
「僕もね、同じさ」
もじもじと体を揺らすエミリの頭上へ、再びオドの爽やかな声が降ってくる。
「助けるために身につけたこの知識や技術をこの先も使っていきたいと思っているんだ。その為に僕は、医師と薬剤師、両方の資格を取得したんだ。……エミリ、同じ志しを持つもの同士、お互い頑張ろうね」
「はい!」
そして二人は、もう一度固い握手を交わした。
そんな二人のやり取りを隣で見ていたファティマの顔に乗せられているのは、笑みではなく無。それもどこか険しいものだった。
「随分と難しい顔をしていますね」
ファティマの心中を察したエルヴィンが、エミリとオドを視界に入れたまま、静かに声をかける。
「彼が、どうかされたのですか?」
「……どう、と言うわけではないけれど……ただ、最近彼に少しだけ違和感を感じているだけです。まあ、それはこちらの問題ですから、貴方方は気になさらないで」
どうやらオドについて話をするつもりは無いらしい。瞼を閉じるファティマの様子から、それを察したエルヴィンは、これ以上何も追求はしなかった。
「おい、エミリ。そろそろ戻るぞ」
「わっ」
手を握っていた二人の手が、リヴァイによって引き剥がされる。それは、リヴァイの嫉妬の表れだった。
エミリとオドは初対面のはずなのに、同じ目標を掲げる者として打ち解けつつある。それが気に食わない。だからさっさと意識を自分の方に向いて欲しくて、二人の会話を中断させたのだ。
そして、リヴァイに後ろ襟を掴まれたエミリは、そのまま引き摺られていく。
「兵長!? な、何なんですか!! 私、まだオドさんとお話したいことがたくさんあるのに!」
「チッ……うるせぇ。さっさと帰らねぇと兵舎に戻る時間も遅くなるだろうが。我儘言うんじゃねぇよ」
正論を突きつけられ、エミリは反論できない。不貞腐れた顔のままリヴァイに引き摺られていくエミリの様子に、ファティマはやっと笑みを零した。
「愛されているわね、あの子」
「全く、リヴァイのあれも困ったものです」
「ほう……やはり、リヴァイのあれはそういうことなのか」
初めて見る兵士長の態度に、ザックレーは興味深そうに目を細めて二人を見送っていた。
ザックレーが初めてリヴァイと会ったのはいつだったか……。壁が破壊された後……彼を兵士長へ任命した時だ。それまでは、まだ分隊長であったエルヴィンから報告書等で彼の様子を知るくらいだった。
あの廃れた地下街から地上へ出たリヴァイは、今と比べて気性も荒く、周囲の者と打ち解ける様子もなく、かなり問題児であったと、当時、調査兵団の団長を務めていたキースから話を聞いたことがある。
そんな彼が、兵士長として部下の上に立ち、また、一人の少女に恋心を抱くことになるなど、あの頃は誰も予想などしなかっただろう。いや、ただ一人、エルヴィンだけはその未来を予測できていたのかもしれない。
「ふむ、やはり興味深いな。エミリという少女は……」
一切、他人を寄せ付けようともせず、兵士長となった今でも誰一人と自分の心の奥底へ他者が踏み込むことを拒んでいたリヴァイ。そんな彼を変えてしまうほどの人物は、ザックレーにとって立派な観察対象である。
「だからって、あんなに観察するのはやめてあげなさい。とても気の毒だったわ」
泣きそうな表情でザックレーの視線を浴びていたエミリを思い返し、ファティマはやれやれと首を振る。
「まあ、その内な……」
できることなら今回が最初で最後にしてあげたかったが、ザックレーは聞く耳を持たない。また何か理由をつけてエミリと接触を測ろうとするつもりなのだろう。困った夫である。
そんな彼らが一目置いている少女の弟が、近い将来、この人類の命運を左右する程の人物になるなど、誰も予想し得ない。
「あのエミリって子、本当に素敵な子なんだろうね……」
穏やかな会話を交わすエルヴィンたちの後ろで、オドが一人、ポツリとそんな言葉を零していたことも、彼本人しか知らない。