Vergiss nicht zu lacheln
□第18話
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一月になると以前よりもさらに寒さが増す一方で、暖炉から離れられない日々が続いていた。特に早朝は、布団から出られないほどに寒くて仕方がない。
しかしエミリは、そんな寒さに負けることなく毎日早起きをして勉強を続けていた。肩から足まで毛布を包み防寒を徹底し、ひたすら筆を動かす毎日である。
そして、とうとう薬剤師試験当日となった今日、エミリは鞄を下げて受験会場である王都へ馬車に乗って向かっていた。膝の上には、これまでお世話になった参考書。内容をざっと目に通しながら、ドクドクと収まらない胸に手を当てる。何度深呼吸をしても落ち着かない。煩い心臓の音を聞きたくなくて、エミリは耳を塞ぎたくなった。
(……基礎を集中して勉強したは良いものの……)
疲れたように大きく溜息を吐く。やはり、本番となると不安で仕方が無かった。
一次試験は筆記試験だが、基礎をしっかりと身につけ応用問題も抑えていれば解ける問題だ。二次試験の筆記試験よりも難易度がまだ低いため、ケアレスミスさえしなければ、今のエミリの実力で通るはずなのだが
もしかしたら……、と嫌なことを考えてしまう。
「ダメ。今は余計なことを考えない……」
今は、目の前の試験に通ることだけに集中することが何よりも大切だ。
「ペトラたちも、朝早く起きてお見送りしてくれたんだから……!」
ペトラやオルオ、フィデリオはもちろんのこと、エルヴィンやハンジ、ミケ、リヴァイ、そしてリヴァイ班やハンジ班、更にはミケ班の班員たちも、忙しい中エミリにエールを送り、見送ってくれた。その思いを無駄にするわけにはいかない。
「よし……!!」
体全身に行き渡るように、もう一度大きく深呼吸をする。そのあと、思い切りバシンと自分の頬を叩いて刺激を与えた。
「会場に到着致しました」
気合を入れたと同時に、御者が車の中にいるエミリに向けて到着を知らせる。エミリは礼を言って、馬車から降りた。
外には、数多くの受験者たちがぞろぞろと会場へ入っていく姿が目に入る。
(この人たち全員が、私の相手……)
絶対に負けないと拳を握ったエミリは、しっかりと前を見据えて会場に足を踏み入れた。
指定の部屋に辿り着いたエミリは、受験票と筆記用具のみを机に置いて、じっと席に座って時間になるまで待つ。周りにはたくさんの受験者たちが、エミリと同じように席に着いて静かに待っていた。目を閉じて心を落ち着かせている者や深刻な顔で胸をさすっている者、ここに来てもなお参考書に齧り付いている者など様々だ。
「…………はぁ」
緊張でどうにかなりそうだった。この空間から出たくて仕方がない。しかし、こんな所で怯むわけにはいかない。試験はまだ始まってすらいないのだから。
(平常心、平常心……)
心の中で唱え、エミリは右手首につけてあるブレスレットを目に映す。それは、エレンとミカサ、アルミンがエミリのために作ってくれた、シトリンの腕輪。これを身につけていると、勇気が湧いてくるようで安心できるのだ。だから、今日も付けてきた。
次にエミリが視線を移したのは、机に並べている筆だった。淡いピンク色のグラデーションが美しい羽の筆は、ペトラがエミリに貸してくれたものである。「私は近くで応援できないから、代わりにこれを持って行って」と言って、エミリが兵舎を出る前に渡してくれた。
(あ、そうだ……髪飾り!!)
出掛ける前に、二ファからも貰い物をしたことを思い出し、急いで鞄を開ける。ポケットから取り出したのは、髪飾り用のオレンジ色のリボンだった。それを、髪を一つにまとめているゴムの上から巻き付け、キュッと縛る。なんだか、気合が入ったようで、少し気持ちが楽になった。
(皆がここまでしてくれたんだから、何としてでも一次を突破してみせる……!!)
再び気合を入れたところで、ガラガラと部屋の扉が開く。入室してきたのは試験監督の男性だった。
「定刻になりましたので試験を始めたいと思います。まず、注意事項についてですが……────」
幾つかの注意点が伝えられ、問題と解答用紙が配られる。全ての受験者の元に行き渡り、その後はただ開始の合図を待っていた。
――ドクン……ドクン……
心臓の音がやけに大きく聞こえ、鼓膜を震わせる。そして、
「それでは、始めてください」
その合図と共に筆を持ったエミリは、問題用紙を捲った。
***
調査兵団の兵舎では、フィデリオ、ペトラ、オルオの三人が、食堂の隅に固まって親友の帰りを待っていた。どうか、良い報告が聞けますようにと願いながら……――――
「試験っていつ終わるって?」
大きな欠伸をしながらペトラに問うフィデリオは、とても眠そうな顔をしている。特にすることもなく、ただ幼馴染の帰りを待っているだけのこの状況は、とてつもなく暇だった。
「午後の三時くらいって言ってたわ」
「へぇ〜」
またもやふわぁ、と欠伸を見せるフィデリオの姿に、ペトラは呆れ顔を見せる。エミリが頑張って試験を受けに行ってるのにあんたは……、と言いたげな表情でじっ、とフィデリオを睨むも、それを見て見ぬふりをしていた。
「三時頃ってことは、もうすぐ帰ってくるんじゃねぇか……?」
時計を確認すれば、もう五時を過ぎていた。試験はとっくに終了している頃である。
それは置いておくとして、だ。今度はオルオまで大きな欠伸をするため、とうとうペトラは彼の横腹に肘打ちを決めた。突然のことに「グゥっ!?」と呻き声を上げ、オルオはペトラに抗議する。
「何しやがんだ!! 何で俺だけなんだよ!!」
「うるさい! あんたはどつきやすいからに決まってるでしょ!!」
「ンだと!?」
恒例の夫婦漫才を始める二人。フィデリオはそれを眺めながら、フッと鼻で笑う。
「お前らもう結婚しちまえよ」
「はぁ!? フィデリオ、信じられない!! なんで私がこんな老け顔と結婚しなくちゃならないのよ!! 絶対に有り得ないから!!」
「おい! 誰が老け顔だ!! 俺だってお前みたいな口煩い女、誰が嫁にするかよ!!」
フィデリオの冷やかしに反応した二人の言い合いが、さらにヒートアップしていく。良いコンビなのに勿体ない。フィデリオはやれやれと肩を竦めた。そんな彼の目に偶然映りこんだのは、食堂にやって来た一人の影。
「あ、エミリ」
「え!?」
フィデリオの言葉に反応したペトラは、オルオとの喧嘩を中断し、勢いよくエミリの方へ振り向いた。
「あ、皆ここに居たんだ」
ペトラの声に反応したエミリが、にこりと微笑んで三人の元へ歩み寄る。
「エミリっ!! 試験、どうだった??」
ペトラがエミリの腕を掴んで問い詰める。ずっとそれが気になって仕方が無かった。昨夜は、緊張していたのか、ずっとソワソワしていたエミリの様子を知っていたから。
「……うん。多分、一次はいけるかも……割と手応えあったし」
問題の量が多く、解いた後に見直しする時間は無かったが、その代わり、一問一問を慎重に解いていった。問題用紙も回収されるため、帰ってから自己採点することもできない。だから、あくまでこの可能性は勘だ。けれど、「いけるかも……」と思えるほどの手応えがあったのも事実。
「……そっか……」
とりあえず悪い結果でないことを知ることができ、ペトラは大きく息を吐いた。しかし、まだ通過が決まったわけではないため、安心はできない。
「……結果は、いつ知らされるの?」
「一週間後に郵送されるって。……また、このあと勉強しなきゃ……」
一次試験が通過すれば、二日後に二次試験が行われる。結果を待っている暇は、エミリには無いのだ。夕飯を食べた後、すぐに二次試験の勉強に取り掛からなければならない。
「エミリ、今日は休め」
「えっ……」
しかし、そこへエミリとペトラの会話をずっと聞いていたフィデリオが口を挟む。その内容は、エミリがこれから取り組もうとしている事に対し否定する言葉だった。
「休めって……でもっ」
「いいから休め。今日は緊張もしたし、いつもより頭も使って疲れただろ。休むことも受験勉強には必要なんじゃねぇの?」
ボリボリと頭を掻きながら、ぶっきらぼうに理由を話すフィデリオ。そんな幼馴染の姿に、エミリはプッと吹き出す。
「お前なぁ、人が気にかけてやってるってのに……」
「ごめんごめん! ありがとね」
いつもすぐに嫌味を飛ばしてくるフィデリオのらしくない言動が珍しく、ツボにハマったエミリは、「変なの〜」とずっと笑い続けていた。
「おい、さっさと飯食おうぜ。腹減った……」
ぞろぞろと食堂に兵士たちが集まる中、そこに紛れながらフィデリオはトレイを取りに先に行ってしまう。
「ケッ、一丁前にカッコつけやがって……」
「オルオ、あんたねぇ……フィデリオがいつも女の子にモテるからって、そう邪険にしないの」
「うるせぇ!!」
不貞腐れた顔を見せるオルオに、ペトラが呆れた表情でやれやれと首を振る。
一応、美形の部類に入るフィデリオは、よく女性から声をかけられることも多い。オルオと並んで歩いていれば、必ず一度は可愛らしい女の子に声を掛けられているのだ。そんな時、オルオは必ず空気のように扱われているのである。
「いいか、俺はモテねぇわけじゃねぇ! 女の方に見る目がねぇんだよ!」
見た目はチャラチャラしたフィデリオのようなチャラ男と一緒にしないでほしいと主張するも、誰からも反応が一切無いことに気づく。
「……………………あれ」
その異変に気づいたオルオは、自分の両サイドを確認する。そこに、ペトラとエミリの姿は無かった。
「ねぇ、今日の夕飯って何なの?」
「少し奮発して今日はグラタンだって言ってたわ」
「本当に!? 私、グラタン大好き〜!!」
「って、エミリは美味しかったら何でも大好きなんでしょ?」
唖然と一人突っ立ったままのオルオの耳に入るのは、既にトレーを持って列に並んでいるエミリとペトラの楽しそうな声だった。
「……お、お前らなぁ……無視だけでなく俺を置いてくんじゃギィッ!!」
いつものお約束で勢いよく舌を噛んだオルオは、痛々しい声を上げながら、一人寂しくその場に蹲って、痛みが引くのをじっと堪えていたのであった。