Vergiss nicht zu lacheln

□第17話
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 ヴァルトが兵団にやって来てから一ヶ月と二週間が経過した。この期間は、エルヴィンが提案した新体型の長距離索敵陣形の訓練が主だった。これまでの訓練のスケジュールを大幅に変更し、ヴァルトのフクロウとしての特性を活かす訓練を兵団全体で行ったのだ。
 最初の方は、エミリとフィデリオの指示しか聞かなかったヴァルトだが、今ではエルヴィンやハンジたち、他の兵士の言うことも聞くようになった。それは、ヴァルトが調査兵団の人間を信用するようになった証拠である。それから、すっかりヴァルトは兵団の皆から可愛がられるようになり、ペットしてではなく仲間としても親しまれていた。

 そして、先日行われた壁外調査では、エルヴィンが計画した通り、フクロウの特徴を駆使した伝達役を見事に成し遂げ、ヴァルトは正式に調査兵団の一員として迎えられることになったのである。


「ヴァルト、良かったねぇ! これでヴァルトも今日から立派な兵士だよ!!」

 エミリが話し掛ければ、ヴァルトはゆっくりと顔を傾ける。そんなヴァルトに、人差し指で頭を撫でてやれば気持ちよさそうに目を閉じていた。

「今度、街に行って鳥籠とかアンクレットとか買いに行かなきゃね! あ、そうだ!! せっかくだから、ヴァルトが今付けてるリボンに、自由の翼の紋章でも付けてみる?」

 ヴァルトを拾った時から首輪代わりに付けていたオレンジ色のリボン。それは、エミリと会えなくなった後も、ずっと付けてくれていたもの。

「費用が入ったら、一緒に街に出掛けよっか!」

 ヴァルトが正式に調査兵団の一員と認められたため、費用は全て上から賄われることになった。ヴァルトを兵団に置いておく上で金に困ることは無いため、エミリも安心して育てられる。

「お金入るの来週らしいから、一緒に買いに行こっか!! あれ?」

 反応が無いと思ってヴァルトの顔を覗き込めば、目を閉じて眠っていた。気持ちよく眠っている所を起こすのも気が引ける。エミリは、小声で「おやすみ」と声を掛けてから、静かに馬小屋を後にした。
 現在、ヴァルトの寝床は馬小屋だった。猛禽類が休むための止まり木もまだ無いため、木の枝や板を使用して仮の止まり木を作り、リノの近くに置いてあるのだ。
 午後から街へ出かける予定があったエミリは、せっかくの機会にとヴァルトを肩に乗せて連れていくつもりだったのだが、眠ってしまったのであれば仕方がない。
 馬小屋から現在も寝泊まりしている大部屋へ移動したエミリは、出掛ける準備を始めた。



***



 今回のエミリの目的地は、ウォール・シーナ内に建つ薬屋だった。そこで、薬剤師試験を受けるための願書を貰わなければならないのである。
 試験が行われるのは来年の1〜2月にかけて。願書は、年内までに提出しなければならない。もう12月となり、あっという間に雪が降る季節となった。試験も目前である。

「それじゃあ、行ってくるね!」

「うん、気をつけて!」

 部屋で読書をしているペトラに一声掛けてから、エミリはマフラーを巻いて部屋を出た。
 外の寒さは今年も相変わらずで、急激に体温が下がっていく感覚を覚える。エミリはブルリと身震いし、手を摩りながら外を歩いていた。

 この季節は雪が積もるため、暫く壁外調査は無い。兵士たちが心を休めるための貴重な期間である。年末年始は、実家に戻る兵士も多い。しかし、エミリの家はもうこの兵団のみだ。
 そして、今年は勉強漬けになるだろう。勉強の方も最後の追い上げに入らなければならない段階なのに、応用問題に挑戦してもなかなか点数が上がらない。それが、今の現状だった。

(なんとかして、試験までに間に合わせないと……)

 もともと勉強を始めるタイミングがかなり遅かったため、他の受験者とも当然差が空いているだろう。それでも、やると決めたのだ。諦めたくない思いが強かった。

 昨夜、エルヴィンから貰った壁の通行証を見せ、ウォール・シーナ内へ足を踏み入れる。こうして王都の街を一人で歩くのは、初めてかもしれない。
 家も衣装も街並みも、全てが豪華な造りとなっているシーナは、いつ見ても別の世界に入り込んだように思わせる。そんな中、調査兵団の兵団服を身にまとっているからか、チラチラと周りから視線を感じながら、目的地を目指して歩いた。

 到着した薬屋の建物は、予想通り外装から煌びやかなものだった。入りづらさを感じるが、目的のものはこの店の中にある。仕方なくドアに手をかけ、扉を開いた。
 扉を押すと客の入店を知らせるベルが小さく鳴り響く。ゆっくりと店内へ足を踏み入れ、そっと扉を閉じたエミリは、店の中を見回した。様々な種類の薬品と薬草。また、薬学に関する本がズラリと本棚を占め、思わず目を奪われる。願書を貰いに来たことをすっかりと忘れ、その本棚の前に立った。

「す、すごい……」

 本屋や書庫では見ることのできない数の薬学の本が並び、その上、試験用の参考書や問題集も基礎から応用まで置かれている。手を伸ばしたくなる気持ちを必死に抑えた。

(一つだけ、買って帰ろうかな……)

 王都に売られているだけあり、一冊だけで相当な値段だ。それでも、何か一つだけでも欲しい。そう思ったエミリは、本を手に取り、内容を確認しながら品定めを始める。
 五冊、十冊、二十冊……見れば見るほど悩み、一つに絞るのはなかなか骨が折れた。けれど、最終的に選んだのは、試験の応用問題だった。本自体も見やすく、問題は過去に使用されたものが取り上げられている。また解説もしっかりと付いているためわかりやすい。
 選び終えた本を両手で抱え、店員の元へ持って行く。

「あの、すみません。この本と、薬剤師試験の申し込みをしたいので、願書をお願いします」

 そう言って本を差し出すが、中年ほどの男性店員は探るような目でエミリをじっと見下ろす。その眼差しには、間違いなく悪意が込められているのを感じられた。

「あ、あの……」

「フン、調査兵なら大人しく壁の外で巨人の餌になってればいいものを……」

「え」

「薬剤師試験を受ける意味がわからねぇな。大体、薬剤師になって何するってんだ。どうせあんたも、いつか無駄死にする運命なんだ。ほら、さっさと帰った帰った」

 いきなりそんな暴言を吐かれ、エミリは息を止めた。なんとなくわかってはいたが、こうして口にされるとフツフツと怒りが湧いてくる。

「……どうして、そんなことを言われなきゃいけないんですか……?」

 驚く程に静かで低い声。その声のトーンから、自分がどれだけ怒りを感じているかがわかる。
 別に、調査兵団の活動を全ての人に認めて貰おうとは思っていない。それでも、こうしてわざわざ嫌味を言われてしまうと、喧嘩っ早いエミリの性格では、残念ながら黙ったまま聞き流すことなどできるはずがない。

「薬剤師を目指すのなんて私の勝手でしょう!! あなたの許可がいるんですか!?」

 調査兵にだって、巨人と戦う以外にできることがある。人類を自由に導く方法が、小さな希望の光がある。エミリにとってその希望の欠片が、薬剤師という夢だった。それを目指して何が悪い。
 悔しくて悔しくて仕方がなくて、涙が出そうになるのを必死に堪えながら、店員に訴える。

「この安全な場所で優雅に暮らしてるあなたなんかに、そんなこと言われたくない!!」

「なん、だと!? 小娘が調子に乗るな!」

「はぁ? 調子こいてるのはそっちでしょう!?」

 どんどん声が大きくなり、他の客の視線がエミリと店員へ集まる。今のエミリには、そんなもの気にする余裕なんて無かった。
 調査兵団の支持率が悪いなんてこと、幼い頃から知っている。そして、調査兵となってから、どれだけ現状が厳しいものであるかも理解した。それに加え、自分の夢まで否定されたこと。それが悲しくて仕方がなかったエミリは、ただ声を荒らげることしかできない。
 更にヒートアップしていく言い合い。周りは困惑の表情でエミリと店員の言い合いを静観している。誰か止めに入った方がいいのではないか。そんな会話をしていたときだった。

「これは、一体なんの騒ぎかしら?」

 突然加わった知らない声に、エミリは言い合いを止め、その声の方へ視線を寄越す。
 そこには、白髪を後頭部で団子状にまとめた中年の女性が、日傘を手に立っていた。とても気品のある出で立ちで、服装や鞄は貴族を思わせるほど高価な代物に見える。この女性は、一体誰なのだろうか。

「全く、新しい薬を開発したと聞き立ち寄ってみれば」

「ふ、ファティマ様!?」

「……え」

 聞き間違いだろうか。いや、違う。店員は、いま、確かに女性をファティマと呼んだ。

(この人が……)

 まさかこんな所で有名人と会えるとは思わず、エミリは頬を紅潮させる。
 このファティマという女性は、薬物関係の法律や管理等を担っている、薬剤師の中でもトップの実力と権力を持つ者である。エミリが受ける予定の薬剤師試験の問題や試験日、合否等を管理しているのも彼女だ。そんな彼女は、薬剤師を目指す者たちに憧れを抱かれており、エミリ もその中の一人。
 憧れの人物が目の前にいる。それだけで、心が落ち着かない。エミリ以外に店の中にいる客たちも、彼女を尊敬の眼差しで見つめていた。

「何があったのか説明して頂きたいところですが、ここではお客様のご迷惑になります。お話は奥の部屋で。あと……」

 ファティマの視線がエミリに移ったため、一気に緊張が走ったエミリは、背筋をピンと伸ばす。

「貴女も一緒に来なさい」

「……は、い……」

 これは完全に怒られるだろう。他の客がいるにも関わらず、店の中で騒ぎを起こしてしまったのだから。

(……せっかくファティマ先生にお会いできたのに)

 まさか怒られることになるとは。エミリは、シュンとしながらファティマの後に続いて、奥の部屋に入室した。

「さて、改めて……何があったのか説明してもらおうかしら」

 部屋に通されたエミリは、来客用のソファに座らされた。向かいには店員がファティマにペコペコと頭を下げながら作り笑いを浮かべている。

「いや〜、すみませんねぇ。この娘がいきなり文句を言ってきたものですから。ハハハ」

「は?」

 全く事実と違うことを言い出す店員に、再びエミリのフラストレーションがたまっていく。そして、同時に反論するのも面倒になってきた。この男は、こちらが何を言っても嘘を吐き続けるのだろう。かと言って、そのまま悪者扱いされてもかなり理不尽だ。

「いやぁ、私もこんな子供にムキになるなんて大人気ない! 気をつけてなくてはなりませんねぇ」

 ああ、本当に大人気ない。エミリは、疲れと呆れから盛大に溜息を吐いた。
 この男と同レベルになりたくないのであれば、ここは流しておくべきなのだろう。それでもやはり納得がいかない。

「そうですか。貴方の言い分はよくわかりました。ですが私には、彼女が貴方に暴言を吐かれているように見えたのだけど」

 ファティマの発言に、床に落とされていたエミリの視線は、彼女へ向けられる。

「い、いや……それは、ですね……」

「まあ、貴方がどう弁明しようが構いません。だけど、自分を大人気ない人間だと認識できる”貴方ほどの薬剤師”であれば、自分がした行いの善し悪しは、自覚できているはずですわよね?」

 ファティマに追い打ちをかけられた店員は、黙ったまま何も発言しようとしない。張り詰めた空気がエミリたちを覆う中、ファティマは音を立てず優雅に席を立った。

「私からは以上です。それでは、私はこれで失礼します。それと、貴女」

「あ、はい……!」

「私と一緒に来てちょうだい」

「は、はい! わかりました!!」

 ファティマは、拳を震わせる店員を一瞥し、エミリを引き連れて部屋を後にした。


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