Vergiss nicht zu lacheln

□第15話
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 訳もわからず宿へ強制送還されたエミリの表情は、それはとてつもなく暗かった。

 せっかくの美味しい美味しいタワーパンケーキ。
 タダで食べられるタワーパンケーキ。

 それをこんな形で逃してしまうなんて納得いかない。

「おい、まだそんな顔してんのか」

 そして、店を連れ出した張本人の方が不機嫌な顔をしている。文句を言いたいのはこちらだというのに、何で貴方が怒っているのだと怒鳴りたい気分だ。しかし、相手は上司でしかも人類最強。文句など言いたくても言えるわけがない。

「誰のせいで怒ってると思ってるんですか……」

 でもやっぱり腹が立つから、ゴニョニョと小声で言い返す。

「あんだけパスタ食えりゃ十分腹も満たされただろうが」

「そういう問題じゃないんですよ! この悔しさが分からないクセに勝手なこと言わないで下さいよお!!」

 スタスタと歩くリヴァイの後ろからプンスカ怒るも無視された。それによってエミリの頬はどんどん大きく膨れていく。

「そんなことよりエミリ」

「……ああ、そんなことですか。兵長にはそんなことなんですね。本当にもう最悪です」

 まだグチグチと文句を言い続けるエミリに、リヴァイは彼女の頭をガシリと片手でわしづかんで指に力を入れる。

「痛い……!! 痛いですってばあ!!」

「いいから黙って聞け」

「なんで私が怒られてるんでイダダダッ!!」

 これはリヴァイの言う通り黙った方が良さそうだ。でないとこのままでは頭が割れてしまう。

「エミリ、宿に帰ったら何する予定だ?」

「え、帰ったら……? 試験勉強ですけど。勉強道具とか持ってきたんで」

 エミリの返答に、やはりか、と溜息を吐いたリヴァイは、わしゃわしゃと彼女の頭を撫でる。

「勉強はいいが、お前は最近頑張りすぎた」

「へ」

「今日は勉強せずに休め」

「え、でも……時間が無くて」

「休めっつってんだ? 分かったか?」

 再び頭に置かれている手に力を込められ痛みが走る。エミリは涙目になりながら弱々しく、はい、と返事をしたのだった。

 そのまま宿へ戻り、リヴァイはエミリに明日の出発時間を伝えてから部屋に入って行った。エミリも大きな欠伸をしながら部屋に入る。
 とりあえずシャワーでも浴びようかと入浴セットを持って脱衣所へ向かった。


 体にタオルを巻いて浴室に足を踏み入れると寒さからブルリと体を震わせる。そろそろ季節も秋に近づいてきたせいか、最近は夜も冷えるようになってきた。
 タオルを外し濡れない場所へ置いてからシャワーを出す。温かいお湯を頭から被ると体が徐々に温まっていく。

(……今日は疲れた)

 朝からずっと同期と会わないか警戒していたため、要らぬ労力を使った気分だ。深く息を吐き、頭と体を洗っていく。
 まだ気持ちが落ち着かない。それは、駐屯兵団に訪れたことによって過去の出来事を鮮明に思い出してしまったからだろう。

 調査兵団に入ってから、その出来事を思い出す機会は減っていた。最近では軽く忘れていたくらいだ。それは、ペトラやオルオたちが居てくれたから。
 壁外調査のため訓練で忙しいことも理由の一つだが、それでも新たに出会った友人、優しい上官、頼れる先輩、皆がそばに居てくれたから、嫌な記憶も薄れていたのだろう。

「ダメだなあ……わたし……」

 そろそろ、区切りをつけて乗り越えなければならない。もうあれから、二年以上は経っただろう。いつまでも引き摺っていては仕方の無いことなのに、思った以上に自分が受けた心の傷は深かったようだ。

「…………やっぱり、勉強しよう」

 さっきまではリヴァイたちと共に過ごしていたが、一人になると思い出してしまう。
 このまま寝ようとベッドに横になっても、昔のことを考えてしまうだろう。悪い夢でも見そうで、正直すごく怖い。少しでも気を紛らわせるためには、勉強に集中するのが一番だ。
 目元が熱くなる。そこから溢れ出たものは、シャワーで浴びたお湯と混ざり合って頬を伝った。




 入浴を終えたリヴァイは、会議の資料を確認していた。早くベッドに横になりたいが、明日、調査兵団本部へ戻ってから分隊長、班長を集めてまた会議を行わなければならないからだ。
 今日は会議だけでなく、エルヴィンとピクシスにからかわれたせいで余計に疲れた。その事を思い出すとまた苛立ちが募る。同時に思い出すのは、エミリことだった。

 今日のリヴァイはいつも以上に変だった。向日葵を見つめるエミリに苛立ったり、ピクシスの言葉に動揺したり、そして、正体不明だった感情が恋かもしれないという事実に驚いたり、今まで感じたものとはまた違う感情に戸惑うことが多かった。

(…………あいつ、まだ起きているか?)

 確認したい。できれば、今すぐ。けれど、勉強せずに休むよう命令したからもう眠っているかもしれない。エミリも慣れないことが続いて疲れただろうから。
 それに、駐屯兵団にいる間のエミリの様子。何かに怯えているような姿が気がかりだった。おそらくだが、店でハンネスが言っていた同期とのいざこざ、これが関係しているのだろう。

(あいつ、大丈夫か……)

 脳裏に浮かぶのは、失恋をして大泣きしたエミリの姿。あの時とは訳が違うが、もしかしたら同じように泣いているかもしれない。
 もし、あの時リヴァイがエミリに声を掛けなかったら、彼女はベッドで一人ひっそりと涙を流していただろう。今回だって、心配掛けたくないがために強がっているのかもしれない。

『ちょっと……昔の嫌なことを思い出しちゃっただけです……』

 食堂で昼食をとっている時、エミリはそう言っていた。その姿は、とても怖がっている様に見えた。

「……ったく、どこまでも面倒掛けやがって」

 資料を綺麗に直して席を立ったリヴァイは、部屋を出てエミリがいる部屋の扉の前に立ち、ノックをして声を掛けた。



 勉強道具と教材を広げてエミリが勉強していると、コンコンとノックの音が部屋に響き渡る。

「エミリ、入るぞ」

「えぇ!? へ、兵長……ちょっと待っ」

 ガチャリと扉が開き、その直後、リヴァイとバチッと目が合った。そして、彼の視線は、そのままエミリから机の上へ移動する。
 途端、すっと目を細めてズカズカと歩み寄って来るリヴァイに、エミリは冷や汗を流しては身構えた。

「……いや、あの、これはですね……」

「エミリよ、俺は確か勉強せずに休めと言ったはずだが?」

「は、ハイ……仰いました、ね……」

「この勉強道具と参考書は何だ?」

 尋問されている気分だ。どう答えようか迷っている間も、リヴァイの鋭い目が、エミリを見下ろしている。

「……あ、あの……」

 余計なことを考えないため、なんて答えられる訳が無い。更に問い詰められるだけだ。
 あたふたしていると、リヴァイはまたもやエミリの首根っこを掴み上げる。

「うわ〜〜〜!! 今度はなんっボヘッ……!!」

 強い力で引き摺られたエミリは、そのままベッドに投げ飛ばされた。それによって、可笑しな声が出てしまうが、それはもう仕方が無い。

「い、いきなり何すブッ!」

 今度は喋っている途中に掛け布団を投げつけられ、そのまま頭が枕の上に倒れ込む。そして、顔に布団が掛かった状態で、上から頭を枕に押さえつけられ、エミリはじたばたと暴れる。

「さっさと寝やがれ馬鹿が」

「ボバヒバヒバ〜!!」

「あ? 何言ってるか全くわかんねぇなあ」

 だったら頭を押さえつけるの止めてくれと懇願したいがそれもできない。息も苦しくなってきたため、仕方なく暴れるのを止めた。

「ったく、最初から言うことを聞いておけ。馬鹿が」

「……また馬鹿って言った」

「あ?」

「何でもありません」

 布団から顔を覗かせながら、ジトリとリヴァイを睨むも、彼にはやはり効果が無い。リヴァイは、そのままベッドの脇に腕と足を組みながら座った。

「…………帰らないんですか?」

「お前、また勉強するかもしれねぇだろ」

 布団から顔を出しリヴァイを見上げて問えば、ギロリとまたもや鋭い視線を注がれる。
 というか、リヴァイが居たら居たで逆に落ち着かないのだが。エミリは、モゾモゾと寝返りを打って、リヴァイから背を向けた。
 そんな彼女の背中をじっと見つめながら、リヴァイはエミリの元へ来た本当の目的を果たすべく、静かに話を切り出す。

「エミリ、今日のお前はかなり様子が変だったが……何があった?」

「いや……それよりも、結局私は寝ればいいんですか? お喋りすればいいんですか? どっちなんですか?」

「喋ってから寝ろ」

「さっきと言ってること違うんですけど!?」

 寝ろと言ったり喋ろと言ったり、どっちかにしてくれと文句を言いたいがそれは心の中で言っておくことにする。
 それよりも、リヴァイの質問にどう答えるべきか考えていた。
 正直、あまり話したくない。話して、その後に何を言われるのか考えるとゾッとする。

 怖い

 エミリの心臓は、バクバクと緊張の音を鳴らす。心拍数も上がっていた。

「おい、エミリ……黙ってねぇで何か」

「聞いてどうするんですか?」

 リヴァイの言葉を遮り、冷たく静かに言い放つ。そうやって拒絶する以外に、何をしろと言うのだろう。

「……兵長が聞いたって、どうにもならないじゃないですか」

「ああ、そうだ。過去は変えられねぇからな」

 どれだけ望んでも過去に戻ることもできない。それを変えることもできないし、無かったことにすることだってできない。

「乗り越えるしかねぇ。お前もそれは解ってんだろ」

 エミリは何も答えない。それは、肯定の意。

「……前に言ったろう。誰かに自分の気持ちを打ち明けることで楽になることもある、と」

 覚えのある言葉に、エミリは失恋した時のことを思い出す。エミリがリヴァイに、ファウストやエーベルのことを打ち明ける切っ掛けとなった言葉だ。

「……わたしは……」

 それでも、なかなか話す決心がつかない。失恋とはまた訳が違う。全て聞き終えた時、リヴァイはどう思うだろう。もしかしたら、エミリを酷く醜い人間だと思うかもしれない。
 しかし、例え自分が最低でも、そんな自分も受けた傷は大きく、深かった。

 少しだけ、身体が震える。
 呼吸をするのが辛い。


「エミリ」


 リヴァイがエミリを呼ぶ声がする。これは……

「俺が受け止めてやるから。話せ」

 失恋で涙を流した時と同じ、優しい彼の声。頭を優しく撫でられる。それが心地よくて、エミリはそっと目を閉じた。

(ああ……もう、どうにでもなれ……)

 開き直ったエミリは、大きく深呼吸をし、そして、ゆっくりと語り始めた。

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