Vergiss nicht zu lacheln
□第5話
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調査兵団に入ってから一ヶ月。とうとうこの日が、壁外調査の日がやって来た。
現在、エミリ達は、馬に跨り、門の前で待機している。その扉の向こうには、二年前まで人々が暮らしていたウォール・マリアが、エミリの故郷がある場所だ。
(……ウォール・マリアに行くのは、あの日以来だ)
リノを優しく撫でながら、記憶は二年前に遡っていた。
自分達が育った場所は、人の住める場所では無くなり、憎き巨人達が徘徊していることだろう。
エミリの中に恐怖は微塵も無かった。怒り、彼女の心を支配しているのは、それだけである。
ここ一年程見なくなった悪夢も、最近、再び見るようになった。カルラが巨人に食われている記憶だ。
胸に疼く黒い感情。それに見て見ぬふりをして、エミリは手綱をギュッと握り、顔を上げる。
「エミリ、大丈夫?」
エミリの様子にハンジが声をかける。しかし、ハンジが見たものは、恐怖に震える新兵の姿ではなく、憎しみと怒りが入り混じった表情をしたエミリの姿だった。
「はい。問題ありません」
いつもよりも、幾分か低音で返事をするその声は、とても冷たい。
ハンジは再び前を向いて、ゆっくりと息を吐く。
今回、入団した新兵達や自身も含め、これまでに入団してきた調査兵は、最初の壁外遠征では恐怖に呑み込まれているものだ。
しかし、エミリは違った。怒りや憎しみだけでこんなにも人は変わるのか。ハンジは苦しげに目を閉じる。
「開門30秒前!!」
開門のカウントダウンが始まった。
新兵達は皆、恐怖や不安、緊張に押し潰されそうになっている。
震える者、顔を俯かせる者、何度も深呼吸を繰り返す者など様々だ。その中でも前を向いていたのは、エミリとフィデリオだけだった。
フィデリオもまた、あの日の惨劇を受けた者。彼も少しの緊張はあれど、恐怖は感じていなかった。
「これより人類はまた一歩前進する!! お前達の訓練の成果を見せてくれ!!」
その言葉に、調査兵達が勇ましく声を上げ、そして――
「開門始め!!」
ズズズッ……と門が開かれる音と共に光が差し込み、冷たい風が吹き抜ける。そんな壁の向こうが眩しくてエミリは目を細めた。
「これより壁外調査を開始する! 前進せよ!!」
エルヴィンの掛け声と共に、兵士達は壁の外へ足を踏み入れた。
何百頭もの馬の蹄が、壁外調査の開始を知らせるかのように、大きく轟く。宙を舞う砂埃は、まるで戦いの狼煙のようだ。
音が小さくなるにつれ、民衆の視界を濁らせていた煙も消えていく。その頃辺りだろう、ヤツらが姿を現すのは……――
「右前方、8m級接近!!」
門を出て早々、巨人が兵士を狙って走って来る。
巨人を見たのは"あの日"以来。やはり、改めて巨人を目にしてもエミリの中に恐怖は無く、むしろあの日と同じく、とても冷静だった。
「……あ、れが……巨人」
「ペトラ!」
近くで馬を走らせるペトラは、初めて見る巨人に恐怖で震えていた。
人間よりも遥かに大きなそれに少し動揺している様に見える。
「ペトラ! しっかり!!」
「っ……うん!」
この辺りの巨人は、援護班が支援する。まだヤツらと戦う必要はない。しかし、巨人に慣れるのも時間と気力の問題だ。
入団してから一ヶ月の間で、エミリは、ペトラやオルオ達だけでなく、他の区出身の同期達とも親しくなれた。
正直、自分よりも同期達の方が心配だった。あの日の惨劇を受けたのは、101期の中でエミリと#NAME4#だけだから。
旧市街地。そこを抜けたらこの二ヶ月間、身体で覚え頭に叩き込んだ長距離索敵陣形の出番である。援護班が支援できるのもここまで。
ここからが本当の戦いだ。
「長距離索敵陣形!! 展開!!」
エルヴィンの指示で兵達が展開して行く。
新兵の大半は、伝達に設置された。エミリが所属しているハンジ班は、三列三・伝達。すぐ後ろのナナバ班所属のペトラは、三列四・伝達。
「それじゃあ、ペトラ。気をつけて!!」
「う、うん……エミリもね……!」
お互いの健闘を祈り、ペトラと別れた。エミリは、しっかりと前を見据え、リノを走らせる。
今回の壁外調査は第二拠点まで補給物資を運ぶことが目的となっている。
とにかく、今目指すべきは第一拠点。そこで一度状況を確認し次第、第二拠点へ移動することとなって予定だ。
そこへ、こちらに向かって物凄い勢いで走って来る巨人が視界に入る。見たところ、12mはありそうだった。
「ニファ、赤の信煙弾を!」
「はい!」
ハンジ班所属のニファが、赤の信煙弾を撃ち上げる。そして、全員ブレードを手に持ち、いつでも立体機動で飛び上がれるよう臨戦態勢に入った。
しかし、ここはまだ草原であるため、立体機動を使うには限界がある。
(それでもやるしか……っ!)
壁外はどうも人間の味方をしてくれないようだ。前方から二体、巨人が迫っていた。しかもあれは、どちらも奇行種だ。
「ついてないね……エミリ、黒の信煙弾を!」
「はい!」
普段は巨人相手にはしゃぎ回るハンジだが、今回は新兵のエミリがいるからか、いつものように暴走することは無かった。
ハンジ班の所属が決まってから二ヶ月、気が遠くなりそうな程、ハンジから巨人の話を聞かされた。それはもう、現実逃避したくなるほどに。
よく部下を振り回し、何度かリヴァイに叩かれている所も見かけたが、気配りの出来る素敵な人だと、エミリは思っている。
そんなハンジの元でなら、彼女に対し不安を感じる必要はない。よく暴走しがちな彼女でも、部下を死なせるようなことは、絶対にしないことを感じているから。
だから、信じられる。
ハンジの指示通り、エミリは黒の信煙弾を撃ち上げた。
空を見上げると、他の場所にも赤や黒の信煙弾が撃ち上げられている。
「……エミリ、やれるかい?」
「はい!」
「よし、モブリットはエミリと通常種を! 他は私と共に奇行種の相手だ!!」
「「「ハッ!!」」」
ハンジの指示通り、エミリはモブリットと共に通常種の方へリノを走らせる。
巨人を見たことはあるが、実際に倒すことは今回が初めてだ。
エミリはあまり、立体機動を扱う兵士としての素質が無い。それは、自分が良く理解している。技術面での不安は正直あった。
それでも根性だけは誰にも負けない。技術が不足していのなら気力で、それでもどうしようもない時は頭を使って、そうして主席の成績を獲得した。
今、自分のことで信じることが出来るものは、自分の意志を貫き通す強さだけだ。
「私が巨人の気を引く! エミリはヤツの踵を狙え!! ヤツが倒れたら、項を削いで止めを刺す!!」
「はい!」
モブリットが巨人にアンカーを刺し、巨人の目の前へ飛び上がる。巨人は彼を捉え、モブリットに手を伸ばした。
ヤツの気が逸れ、エミリはその隙に足にアンカーを刺す。
「はぁぁああ!!」
そして、両足の踵を思い切り削いだ。
それにより、巨人は前へ倒れ込み、そこへヤツの上へ飛び上がったモブリットが、勢い良く項を切りつけとどめを刺した。
「……ふぅ」
巨人の全身から水蒸気が上がる。ヤツは弱点の項を切りつけられると、肉がなくなり骨のみとなる。蒸気が発せられたということは、巨人を倒したという証拠だ。
「エミリ、良い動きだった」
「ありがとうございます」
初陣では、恐怖心で巨人に立ち向かうことが出来ない。新兵はそれが大半だが、やはり一度巨人の脅威に曝されているエミリは違った。
モブリットは彼女と共闘し、改めてそれを実感する。
「ハンジさん達は……」
「心配ない」
奇行種を二体を相手しているハンジと他の部下達の方を見やる。
流石はベテランと言ったところか、既に二体とも倒れて蒸気を放っていた。
「二人とも無事だったようだね! 遠くから見てたけど、エミリもなかなかの動きだったよ!」
「どうも……」
例え、忘れてしまいたい程の過去があっても、その全てがマイナスになる訳では無い。
どれだけ泣言を言っても過去は変えられない。ならば、未来でそれをプラスに変えていけば良い。
あの日の忌まわしい記憶は、きっと消えない。心にも大きな傷を残し続けるだろう。
それでもあの日、自分の身に起こったことは、自分が壁外で戦う現在(いま)のためにあったのかもしれない。
「緑の煙弾……進路に変更は無いようだね。予定通り、このまま進もう」
全員、馬に跨り調査を続行する。
調査兵団で戦うことで、少しは自分の過去と向き合うことが出来るだろうか。乗り越えることが出来るだろうか。
そして、人類が自由を取り戻した時がきたら、その時はエレン、ミカサ、アルミンと四人で外の世界へ――
「後方より15m級接近!」
「!?」
四足歩行で追い掛けてくる巨人が見える。奇行種だ。
ニファが黒の信煙弾を撃ち上げる。
「全く、何でこういう時に限って……」
いつもならハンジにとっては大歓迎だが、よりにもよって、新兵がいる時にこんなにも奇行種と遭遇するのだろう。
自分の運の無さにガックリと肩を落とす。
「エミリ! もう一度やれるかい?」
「分隊長、何言ってんですか!! エミリは新兵なんですよ!? いきなり奇行種を相手だなんて無茶です!!」
先程のエミリの討伐ぶりにハンジは彼女に期待を抱く。
しかし、やはり不安なモブリットは大反対だった。
「この子なら大丈夫だよ! ね?」
「はい、やれます!!」
「よし、じゃあ行くよ!!」
「はい!」
「分隊長! エミリ!」
モブリットの声を軽く流してハンジは奇行種の方へ突進して行く。エミリもその後に続いて行った。
「全くあの人は……エミリも無謀すぎる」
見事な連携で奇行種を倒す二人を見ながら、モブリットはやれやれと溜息を吐いた。
それとも自分が心配性過ぎるのか。いや、至って正常だ。
うちの上官の頭のネジが何本か外れているだけであって、自分におかしい点は何処にも無い。そして、今回の新兵がたまったま勇ましかっただけだ。
モブリットは、そうして自分を励まし続けることしかできなかった。