alchemists

□でんでん太鼓に笙の笛
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その人との思い出は、案外少なかった。
余りにも少なくて、一つ思い出すまでに随分と時間がかかってしまったぐらいだ。あんなに一緒にいたはずなのに何も思い出せなくて、あの人とは仕事のやり取りばかりしていたことにようやく気付いたぐたいだ。

あの人が好んだものも、嫌ったものも、何も知らない。
あの人について知っているのは、兄がいることと司書であり錬金術師であることぐらいだ。あの人は自分のことについて話すより、兄について話すことの方が多かった。

そういう人だった。

毎日積み上げられていく書類を片っ端から片付けるのがあの人の仕事だった。仕事を黙々とこなす姿は仕事中毒のよう、いや、完全に中毒者だった。
いつも書類に向き合っていて、自分はあの人の顔よりも背中をよく見ていたと思う。あの人の顔や目の動きよりも、頭を掻く仕草や微かな肩甲骨の動きの方がよっぽどよく見ていた。
それでも、あの人は自分たちのたった一人の司書だった。

好きか嫌いかで言うのは、とても困る人だった。

そんな二択の話じゃなかった。好きになるほど情を交わした人ではなかったけれど、嫌いになるほど言葉を交わしたわけでもなかった。だから好きでもないけど、嫌いでもない。
ただ、あの人の差し出した手を掴むことに躊躇いは一度もなかった。それこそ、深い眠りから醒めたあの日から。

「君は、どの花が好きだったんだい」

みんなが困っていたよ。君が何も教えてくれないから、みんな困っていた。困ったまま、また眠ってしまったんだ。
僕も、もう、眠いよ。
君との思い出の中で一番最後に思い出したのは、君が歌う子守歌だった。なんて言ったら君は驚くかな。僕が眠り込んでいると思っただろう?実はあのとき、僕は起きていたんだ。

歌っているときの君の顔、見られなかったのは、残念だったな。

「僕も、もう眠いよ」



いつかの日まで、おやすみ。



end

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