05:05

□紅葉噺
1ページ/1ページ

『前世の噺』モミジの事

前世の記憶を持って産まれる人間も少なくない。只、人に言うか言わないかだけだ。私は、言わない。誰かに教えるには勿体無さ過ぎると思っているからだ。
あれは、夏に入る前。前世の私は恋をした。古本屋で煤けた本をパラパラと捲るその指に惚れた。その人は、本を買わずに店を出る。私は、彼の後を付いて行った。今も昔も、尾行は得意だ。彼の家は、襤褸いアパートの二階であった。私は直ぐ、隣の部屋を契約し住む事にした。薄い壁から微かに聞こえる生活音はまるで、同棲しているかの様な錯覚を覚えさせる。幸せだった。夏に入り、毎日が只々、暑くその日は、寄り一層鬱陶しい日だった。扉の音がし、何時もの様に壁に耳を当てる。暫くすると、ゴムが擦れる様に不快な女の笑い声が聞こえた。そうして、その声は嬌声に変わり水っぽい、卑猥な音が聞こえてくる。悔しかった。恋人が居る仕草なんて無かった。きっと、売春婦を買ったのだろう。淫らで、金の為に体を売った女に負けた気がした。そんな、劣等感を感じている時、突然異質な女の声が聞こえて来た。蛙の様な醜い声で苦しんでいるのか、処々助けてやら死ぬと聞こえる。形振り構わず、良がっているのか。死ぬ程、良いのか。私への当て付けなのか。初めはそう思ったが、どうやら違っていたらしい。ぐっと、唸ったのを最後に、女の声は聞こえてこなくなった。良くゝ耳を澄ますとあの人の荒い呼吸音だけが聞こえる。女は気を失ったのだろうか。羨ましさも有った、だがそれは、醜い嫉妬へ変貌する。女の後を付けて刺殺してやろうと思った。私は玄関で女が出てくるのを待った。だが、待てども待てども女が出てくる様子は無く、堪にあの人の煙草の煙の匂いがするだけだった。待つのを止めて数時間後、扉が開く音がした。こっそりと扉を開けると、女を担いだあの人が階段へ向かっていた。私は後を付ける。あの人は、頻りに周りをキョロキョロと見回している。化粧品と生ゴミを混ぜた様な臭いが風に乗って鼻へ伝ってくる。あの女は死んでいるんだ。あの人は、女を川へ流し靴や酒瓶を茂みへ放り投げ足早に去っていく。あの人が見えなくなった後、橋の脚に引っかかっている女を引っ張り上げた。目を見開き、口を大きく開けた女は、首に赤黒い指の痕が付いていた。きっと、あの人に情事の最中絞め殺されたのであろう。羨ましかった。私も、幸せの中、あの指でこの首がへし折れる程強く、絞め殺して欲しい。そんな思いを抱き、数週間経った。あの人の指で殺されたい。その想いが上限まで達した頃、機会が訪れた。偶然、あの人と街で鉢合わせたのだ。何か考えるより早く、私の声帯は「私を買ってください。」と発していた。あの人は、軽く遇い帰路へ向かう。あの女は抱けて、私は抱けないのか。あの女の方が、私よりこの人に相応しかったのか。泣きたくなった。涙を呑み、私も家へと向かう。気がついたらあの人の部屋に居た。付いてくる私に呆れ、半場諦めたのだろうか。あの人は、私を部屋に上げてくれた。やっぱり、私が隣に住んでいる事は知らなかったみたいだ。だが、それが今は好都合であった。それからは、夢の様な時間だった。あの人が私の服を脱がせ、口を寄せてくる。嬉しくて仕方が無い。不慣れな行為を楽しんだ。好いている。このまま、ずぅと繋がっていたいと思った矢先、あの人は上で跳ねていた私を組み敷き首に手を掛け、性器を深々と奥へ捩じ込む。今迄で、一番鼓動が跳ね、呼吸が粗くなる。嗚呼、ついに。あの人が、打ち付ける度に指が首へ食い込んで行く。甘美な苦しみは快楽へ変わり、薄れゆく意識の中、あの人の官能的な微笑みを目に焼き付け瞳を閉じた。

怨み等無い。私は迚、嬉しかった。思い出すだけで、体が熱くなる。そして、現世。今の私は、あの人の来世の存在を見つけた。あの人と瓜二つで有り、仕草も、言葉の使い方も全く同じだった。だが、女遊びはせず勿論、人も絞め殺さない。それが、惜しいと思った。私は、もう一度あの快楽を味わいたくて仕方が無い。絞め殺されたいのだ。その機会を作る為に、私は彼に強く当たる。怨みを買い、絞め殺される為に。だが、彼は辛抱強いらしく全くその素振りを見せない。他のモノに命を盗られる前に、あの指で殺して欲しい。其だけが、私の生きる意味になっているの。成るべく早くシて欲しい。見かける度に、跳ねる鼓動に耐えられなくなる前に...。それにしても、今日は暑い。まるで、あの日の様だと思った。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ