コムイから逃げてきたはいいが、知り合いもいないこの中でそれは賢明な判断ではなかったらしいとシルクが気付いたのは、逃げ出してから数分が経ってからの事だった。 シルクが目尻に涙を溜めたままどこともわからない階段の隅に座り込んでいると、 「邪魔だ」 「!」 突如として響いたその声に顔を上げて見上げれば、黒髪をひとくくりに結い上げた、目つきの悪い男の姿が目に飛び込んできて。 目だけでどけと訴えるその男に階段端に身を寄せるも、何が気にくわなかったのか今度は舌打ちをされてしまった。 ── …………。 それに泣きそうになるシルクとそのまま立ち去ろうとする男だったが、行くあてのないシルクは意を決してその後を付いていく事にした。 もともと無口なのか、そもそも興味が無いのかどうか。それを見ても何も言わずに歩き続ける男と、その後ろを泣きそうな顔のまま付いていくシルクの不思議な組み合わせに、周りのファインダーや化学班達は驚いたように道を空けた。 そこにかかる明るい声。 「お!ユウじゃん。…って、隣にいるの誰さ?」 “ユウ”というのが男の名前なのか、その声に僅かに反応するその背中。 けれども呼ばれた男の方はその瞬間に物凄い殺気を振り撒き、後ろを付いていたシルクはもろにその殺気に当てられ、たじろいでしまった。 「俺のファーストネームを呼ぶんじゃねぇ!!バカ兎!!!」 「ラビだっての。で?何、その子ユウの彼女?」 その言葉に本気で抜刀しようとする男から逃げ、ラビと呼ばれた男はシルクの前にやってきた。 ニコニコと笑いながら、俯くシルクの顔を両手で掴んで上を向かせるラビ。 いきなり掴まれたことに反応出来ず、息を詰まらせたシルクとラビが息を飲んだのはほぼ同時だった。 「ユ、ユウ!この子なんて名前なんさ?!」 「あ?知るかよ」 「シルクくん!!」 2人の会話を遮るようにして自分の名を呼ぶその声が誰のものなのか分かった瞬間、シルクはラビによって顔を掴まれた状態のまま硬直した。 「さっきはごめんね。ビックリしたんだよね、怖かったんだね。わかるよ」 コムイはそう言ってシルクの ── と、いうよりはそのシルクの顔を掴んでいるラビの前まで来ると、ニコッと笑った。 「丁度良かった。神田くんにラビ、この子は今日から新しく入団する子だから、仲良くしてあげてね」 「…っ!!」 あまりにも初耳なその言葉に、シルクはラビの手を振り払って大きく首を振った。 それを見てうーん、と首を捻るコムイ。 「クロス元帥から何て言われてここに来たのかは分からないけど… クロス元帥の任務はシルクくんを教団に連れてきて保護させることだったんだよ?」 まぁクロス元帥が教団に帰ってこないってことは分かってたんだけどね〜と続けるコムイの言葉を聞き、シルクは今度こそ愕然とした。 「そんな事……聞いてないっ!!!」 「伯爵に狙われてる君を守ることが出来るのは、唯一ここだけなんだよ」 「クロスは本部に行ったら自分を探しに来いって、そう言った!!」 「それは君をここに来させる為だよ。現にクロス元帥は君に、一人でここまで来させたじゃないか」 「そ、れは……」 クロスが教団を嫌いだからと言おうとして、けれどもシルクはその言葉を継ぐことが出来なかった。 何故なら一瞬、その一瞬駆け抜けた不安と疑念がシルクからその言葉を奪ったから。 ── そんな、もしかして本当に…本当にクロスは… ふいに目の前が真っ暗になったような感覚から目を背けるよう、シルクは更に大きく首を振った。 「それでもここで…ここで守られるなんか、嫌だっ……!!!」 クロスと会うまではただ助けが欲しくて。 誰の助けでもいいから欲しくて欲しくて仕方がなかったというのに… それなのに今は── 「クロスじゃなきゃ、「クロス元帥は君に何かを伝えたかい?」……?!!」 シルクのセリフを途中で遮り、問いかけてくるコムイの言葉の意味が分からなくて。 「クロス元帥は君に、教団に行った後の事を何か話したのかい?」 黙り込むシルクの目線に合わせて屈むコムイ。 「一言も自分の行き先なんて──…言わなかったんだろう?」 ── 受け入れたくないコムイの言葉はけれど、確かに本当のことで… クロスが自分を探させる為のヒントも何も残さず、ただシルクを駅に放置して行ったのだとすればそれは── それは… 「全部全部……私を一人でここに来させる為の、」 ── 嘘。 だがそうだとすれば彼との修行の事も。意識を失う前の彼の最後の言葉も全部、ぜんぶ… 「……っ!!!」 「さいてーさコムイ!!」 シルクが泣き出したの見て、ラビがコムイとシルクの前に立ちはだかった。 けれどもそのラビの後ろでシルクはくずおれるようにして床に座り込む。 「きっと…クロス元帥としても君の安全を第一に考えての事だったんだと思うよ」 それを見て初めて悲痛そうな声でそう言うコムイの言葉も、それ以外の言葉も。 もう何も、何も聞きたくなんてなかった。 |