DQW本編(短編・SS)

□Coffee break
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もう、忘れてしまった。
神学校を卒業して、サントハイム城へ戻って。
神官として、兄として、あるいは、講師として週に何回も顔を合わせて。
その度に、心に湧き上がる思い。
決して口には出せない、そんな言葉。
何回飲み込み続けただろう。

「へー、こーんな苦いの飲むの?」
いつも少し甘めのミルクティーや、爽やかな花の香りのするハーブティーを好む姫さまに、少し趣向を変えて、私がよく飲む黒っぽい飲み物をお入れした。
「コーヒーは初めてですか」
「うん、飲んだことないの」
「私は何も入れない状態で飲むのが好きなのですが、姫さまにはミルクと砂糖をお入れしましょうか」
「うん。お願いできる?」
多めのミルクと砂糖。これなら姫さまも飲めるだろう。
「あ、この方が私は好きだわ」
「コーヒーは飲み過ぎるとあまり良くありませんが、適量であれば体にいい飲み物です。眠気覚ましにもなりますしね」

初心者には苦い。それは当たり前だ。
私とて、初めて飲んだのは神学校在籍中のことだが、ミルクと砂糖が多く入ったコーヒーミルクとしていただいたのが最初だ。
なぜか安心できる味だった。
それが「何も入れない、ブラックコーヒーが飲めてこそ大人」というような言葉におどらされて、無理やりブラックで飲んだ。
誰が好き好んでこのようなものを飲むのだ。
その時は思ったものだった。
しかし、あの頃の年代にありがちな、大人というものに対する憧れも後押しし、いつの間にか、その苦味に順応した。

「ねえ、眠気覚ましって言うけど、本当に効くの?」
姫さまが聞いてきた。
「ええ、ただしこれは個人差が非常に大きくて、午後のティータイムに飲んだだけで夜に寝られなくなる人もいれば、夜寝る前に飲んでも普通に熟睡できてしまう人までいます。私の場合は、さすがに夕食後に飲むのは控えていますが、まあ、ティータイムあたりに飲むぶんには、気合が入っていいものですね」
「私、大丈夫かなあ……」
「ティータイムに飲んで夜寝られなくなるというのは稀なケースですし、心配し過ぎることはありませんよ。さ、飲み終えたら薬学の講義を始めますよ」
「はーい」

もう、ブラックコーヒーの苦味には慣れきってしまった。
しかし、姫さまへの思いを飲み込んでいる時、私は初めてブラックコーヒーを飲んだ時のあの感触を思い出す。
コーヒーと同じくらい、飲み込み続けた言葉。一生伝えることはないであろう言葉。
それを飲み込むことには慣れた。それなのに。
いつまでたっても苦い、あの感じ。
コーヒーのように、この感触も慣れてしまえばいっそ楽なのに。
……いや、このような思案をするということは、すでに私は慣れ始めているのか。そのようなことに思い当たり、私は苦笑した。

「ね、クリフト」
薬学の講義も終わり、後片付けをしている時。
「私もこの苦味に慣れる日が来るのかしら?」
「コーヒーの、ですか?」
「うん、そう。クリフトはもう慣れちゃってるんでしょ?」
「ええ、まあ」
「もともと苦いの苦手だからなあ。慣れるまですっごく時間かかったりして」
「まあ、無理に慣れる必要もありませんよ」
「うん、そうかもね。でもミルクとお砂糖入れると、その苦味が美味しいっていうのもなんか不思議なものね」
「苦味が、美味しい?」
「うん。じゃないとあの味ってでないじゃない。私、コーヒーミルクなら好きよ。また飲みたいから作ってよ、ね」
「かしこまりました。また姫さまの好物が増えたようですね」
「うん。クリフトの入れる飲み物って、なんでも好きだわ。ブラックコーヒーは別だけど」
この方の無邪気さは時に毒となりうるのだが、救われることも多い。
この場合、毒でもあるが、姫さまとのささやかなティータイムの楽しみが増えたということでもある。
それに。
「しかし、姫さまの口から苦味が美味しいなどという言葉が出て来るとは」
「なによー。私だって大人になってきてるのよ」
「本当の大人は講義を抜け出したり逃亡したりしませんよ」
「うっ……」
「さ、本日はここまでです。明日の神学の講義は必ず受けてくださいね。前回逃亡されましたし、溜まっていますから」
「……はーい」

私は自室へ戻り、たまにはコーヒーミルクでも飲もうかと、改めて作ってみた。
ミルクと砂糖多め。初めて神学校の時に飲んだ味。
「……甘いな」
しばらく飲んでいなかった。こんなに甘いものだっただろうか。
しかしこれはこれで乙なものだ。今度姫さまとコーヒーを飲むときは、私もコーヒーミルクにして飲もうか。そのようなことを思い、ひとりで頬を緩ませていた。



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