浅草火消しの御前様
□壱
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翌朝。
「……、ん」
太閤秀吉は瞼の裏に暖かい朱色を感じてそっと眼を開けた。視界一杯に、同じ顔をした2人の幼女のつぶらな瞳が広がる。
(…………ぇ、)
太閤秀吉は数回瞬きをした。そこでようやく、お団子頭に黄色いリボンを蝶々結びにした黒髪の幼女たち(双子?)に顔を覗き込まれているのだと自覚する。
「……ぁ、の」
太閤秀吉が話しかけようとしたら、幼女たちは物凄い勢いで障子を左右にスパーン! と開けて縁側を走り去って行った。
「「若ー!! 姉御が起きたぁー!!」」
ドタバタと駆ける音が遠くなっていく。
「…」
太閤秀吉は一瞬ポカンとした後、のろのろと起き上がった。
(ここは…?)
辺りを見回す。どこかの和風建築の一室にいるようだ。
清潔な畳にふかふかの敷き布団と掛け布団。床の間には掛軸と活け花が飾られ、隅には行灯が置かれている。落ち着いた木目調の天井と、部屋の奥に続く襖には松や梅が描かれている。
反対側は幼女たちが開けっ放しにした障子と縁側があって、枯山水のような庭はないものの地面は綺麗に掃き清められていて、木製の塀が周りを囲んでいた。
(…旅館?)
太閤秀吉は首を傾げた。自身の服装を見やる。
「…」
紺色の浴衣(寝間着)に黒い帯。封印される前と服装が違う。誰かが着せ替えたようだ。自分の訪問着はどこに行ったのだろう。
考え込んでいると、遠くからまたドタバタと足音が響いてきた。いやドスドスか。かなり大きい。こちらに近づいている。
またあの幼女たちだろうと思っていたら、ドスドスと縁側を走って来たのは黒髪の若い男だった。藍染めの火事羽織と難燃性のズボンを着用している。そして特徴的なのが、右が○と左が×の白い瞳孔と紅色の虹彩だ。
「っ!!!」
男は太閤秀吉と眼を合わせると、その瞳をぶるりと歓喜にうち震わせた。布団の中で上半身を起こす太閤秀吉に抱きつく。
「やっと起きやがったなァ…」
「!?!?!?」
心底安堵した男の声が太閤秀吉の耳許で囁かれる。彼に頭と背中を抱き込められる。太閤秀吉は状況が判らずに半ばパニックになった。
(ぇ、この人何…??)
男の体重がかけられる。倒れそうになるのを左手を後方について何とか防ぐ。右手を自身と男の間に滑り込ませ、ぐいぐいと押した。
「あの、離してください…」
硬い胸板はびくともしなかった。男は嫌々と首を横に振る。
「嫌だ。離したくねェ」
切ない声でさらに力強く抱き締めた。太閤秀吉が困っていると、先程の幼女2人が男の両脇にやって来て、男の背中や脇腹を長い袖でベチベチと叩き始めた。
「若だけズリィぞ!」
「ヒカとヒナにも抱きつかせろ!」
それでも男は動じなかった。時折「ぅ」と小さな呻き声を漏らすものの太閤秀吉の抱擁はやめなかった。
すると今度は、縁側から別の男性の声が響く。
「…若。まずは白湯を飲ませやしょう」
「………………チッ」
男性の鶴の一声で、男は随分と名残惜しそうに太閤秀吉を離した。大人しく太閤秀吉の枕元に胡座をかく。その隣に並ぶように、黒い着物を着た幼女たちがワクワクと好奇心を募らせたつぶらな瞳でちょこんと正座した。
失礼しやすよ、とどっしりとした体躯の長髪の壮年男性が客間に入る。男と同じ身なりだ。足元から回って襖側の太閤秀吉の枕元に座した。
「気分はどうですかィ?」
「はい、大丈夫です」
ありがとうございます、と太閤秀吉は、鼻背に横一文字に切り傷のある壮年男性から湯呑みを受け取った。温かい。両手で包んでコクリコクリと飲む。久しぶりの水分に太閤秀吉はホッと息をついた。
「今お医者を呼びに行かせてやすんで、もう少しお待ちくだせェね」
「ぇ、あ、ありがとうございます」
太閤秀吉は座ったまま一礼した。
壮年男性は努めて明るく話しているが、落ち窪んだ瞳の奥の鋭い眼光や、首から手にかけて巻かれた包帯の痛々しさが、この屋敷は極道の家である事をありありと物語っていた。