幼き花の誉れ 誉れの花の章
□1章 邪竜百年戦争 オルレアン
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息をすることさえ、困難だった。瞼が重い。少しでも気を緩んでしまえば、意識など軽く飛んでしまいそうだった。必死に、必死に。意識を繋ぎ止める。ミシェにとって今できることはそれぐらいだった。
「あさ、しん」
「おっと、大丈夫か。マスター」
「その持ち方、止め―――‥‥‥何でもないです」
この俵のように持たれるシチュエーションは最悪だった。御伽噺でも、少女漫画でもきっとあり得ないようなそれに溜息が出てしまう。
「‥‥戦況は」
「アンタが召喚したばっかの奴らと盾の嬢ちゃんがあの吸血鬼野郎と戦ってる。そんで、どうすんだい?」
「‥撤退を余儀なくされるのは、確実ですね‥‥‥お兄さん」
ミシェは徐々に瞼を落とす、その前に立香を呼んだ。「‥‥戦況が大きく傾けたら、撤退を。少し休ませてもらいます、ね」。そう語った直後にすやすやと寝息を立て始めた。
立香は「えっ、俺が!?無理無理無理、絶対無理!」と必死そうに首を横に振るも、アサシンは全く聞く耳を持てない。どころかにこやかな笑顔でこう言うのだ。
「アンタしかいないんだよぉ。それともあの嬢ちゃんに頼むのかい?」。彼がリクスの方を見る限り、嬢ちゃんと言うのは彼女のことだろう。あの凶暴さは嬢ちゃんと呼んでいいものなのか‥‥‥というツッコミはしないことにした。
それに、自分は何もできていないじゃないか。全部彼女達に任せっきり、本当にこれでいいのだろうか。いいや、きっとそれでは駄目なのだ。いつまで突っ立っているつもりだ、自分は自分にできることをすると決めたばかりではないか。
「‥‥分かったよ」
その答えを待っていたのかアサシンはどこか意味深な笑みを浮かべながら「いいねぇ、さっきよりかはいい面構えになってんじゃねぇか」と立香の肩を叩いた。
―――大丈夫だ、きっと。俺にだってできる筈なんだ。
大きく、何度か深呼吸をする。こんな緊張を覚えたのはいつ頃だろうか。いいや、こんな緊張を味わったのは生まれて初めてだ。命の危険にさらされることだって、まだ数えられる程だ。
でも、それでも。やらなきゃいけない。落ち着け、たった一回。たった一回、「撤退だ」と叫ぶだけでいいんだ。
叫ぶ、だけで―――
その時だった。視界がぐらりと揺れたのは。地震の揺れ方ではなく、何だか脳が揺れているような、揺さぶられているような、そんな嘔吐感を覚えるような感覚がそこにはあった。
―――なんだこれは。一体何が、起きて。
視界の隅に、赤黒い布が見え隠れしている。嫌な予感がした立香だったが、顔を上げずにはいられなかった。何故、そうしなければいけないのか。理由は無かったが、きっと本能がそうさせてしまったのだろう。
この人間のような何かを、忘れてはいけない気がしたのだ。
色素の薄い金髪、穢れ一つもない銀世界を彷彿とさせるような白い肌。その肌に赤いひびのような模様がますます映える。彼女から目が離せず、立香はその異形な姿を無意識のうちに目に焼き付けていた。
「‥‥‥私、は」
虚ろな赤い瞳がこちらを射抜く。その瞬間、背中におぞましい殺気のような何かが走った。
「‥‥思い、出せない。思い出さなきゃ、いけないのに。どうして―――」