幼き花の誉れ 誉れの花の章


□序章 炎上汚染都市 冬木
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 鼻孔に何かが燃える匂いが付いた。耳はサイレンの音が鳴り、端正に整えられた人形のような顔が少しだけ顔をしかめる。


 ‥何だろう?自分は人助けをした後にバイタルチェックを受けていたのではないのか?
先程まで共にいた医者達は一人もいなくなっており、ルームは少女ミシェを除けばすでにもぬけの殻だった。


 ミシェは静かに起き上がり、ルームから一歩出た。ルーム付近の廊下は何ともなかったが、匂いやサイレンの音は一向に止むことはなく、寧ろ強烈な物へと変わっている。少女はひたり、ひたり、と靴も履かずに静かに匂いとサイレンを頼りに奥へと向かった。


 思えば、あの時大人しく引き返していればなにも傷つかずに済んだのだろうか。
私が子どもではなく常識を持った大人だったら、善悪の判断も付いたはずだし、好奇心もなかったはずだろう。子どもだったから、我慢が利かなかったのだ。


 ―――ひたり。ふいに足が止まった。私はここを通ったことがある。昨日、一昨日の話ではなく、つい最近のことだ。


 あれは確か、義理の兄と同じくらいの少年だっただろうか。何やら急いでいたようで、なんだか放っておけなかった。つい優しかった義理の兄と重ねてしまったからだろうか。気付けばこの前見つけた近道のルートを少年に教えていた。


 まさか、嘘だ。


 脳内では現実を否定しつつも、体は自ずと近道を通って元凶へと近づいていった。


 違う、違う、違う。嘘だ、嘘だ、嘘だ。


 呼吸が徐々に乱れていった。煙を吸い込んでしまったからか喉が少しばかり痛い。その痛みが、その景色が、現実が、惨劇が、ミシェを徐々に現実へと引き戻していく。


「お兄さん」


 目の前には、少しばかり前に会った少年の姿があった。少年を呼んでも彼はこちらを振り向かない。声が小さすぎたのだろうか?ミシェは喉が張り裂けんばかりの勢いで叫んだ。


「お兄さんッ!!!」


 やっと少年は気付いた。ミシェの姿を見つめると、何故か優しく笑いかけてくれた。何かを言っているように聞こえたが、ごうごうと炎の音が、崩れる音が、何かが閉じる音がそれを阻む。



 これは嘘だと言ってほしかった。


 これは夢だと言ってほしかった。


 これは幻だと言ってほしかった。


 誰でもいいから、そうだと言ってほしかった。



「お兄さん、お兄さん!」



 少女はシャッターを叩き始める。子どもの弱い力ではシャッターはびくともしない。それをわかり切っていたが、酷く混乱した今の少女にはその行為を止めることはできなかった。いつになっても返事は帰ってこない。拳を叩きつける音が虚しく聞こえるだけだった。


 ずるずるとシャッターに縋り付きながら少女は涙を流し始めた。
何がどうして、此処まで自分を動かしたのかも分からないままだったが今はそれを考えている場合などではなかった。


 少女は叫んだ。何度も何度も何度も叫び続けた。だが、シャッターで隔てられた奥の管制室からは少年の声は聞こえなかった。何かが燃える音と、何かが崩れた音が奏でる不協和音のオーケストラしか聞こえない。




「いやだよ、こんなの、こわいよ、いたいよ、くるしいよ!!!!」




 悲痛な声がただただ廊下に響き渡った。きっといつもなら誰かが駆けつけてくれるはずだろう。だが、今日はきっと誰も駆けつけてはくれないはずだ。奥ではもう、カルデアの職員達やマスター候補達の大半がそこにいるのだから。




「だれかっ」




 少女は無意識のうちに魔力を暴走させようとしている寸前だった。いつもならば冷静な対応ができたはずだが、今回ばかりは訳が違った。偶然にも少年と義理の兄を重ねてしまったからだ。それさえなければ、きっと彼女は自我を保っていられたことだろう。




「だれか、たすけてっ!!」




 この時、ミシェル ・アルテミシアは生まれて初めて純粋に「生きたい」と心の奥底から感じた。


 本当は死にたいと思っていなかった。だから、泥水をすするように他の子ども達と一緒に生きて来た。まだ希望があると信じたから。


 本当は死にたくなんてなかった。だから、義理の両親の言うことは何でも聞いた。他の子ども達のようにはなりたくなかったから。


 本当は生きたかった。だから、今こうして喉が張り裂けんばかりの勢いでそれを訴えた。自分が生まれてきた意味を知りたいと思ってしまったから。




 きっと、神様は私を見捨ててしまったのだろうけど。
それでも、奇跡が存在するのなら、私は。
こんな世界で生きてみたい。




「――――――いいよぉ」




 そしてこの日。初めて少女の運命の歯車は動き始めた。
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