幼き花の誉れ 誉れの花の章


□序章 炎上汚染都市 冬木
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 どうして、逃げなかったのだろう。少女は小さく溜息を吐いた。
それは瞬く間に白い息へと変わっていった。いくら特務機関とは言えども、こんな人ひとり住めない雪山の地下に工房なるものを作成するとは。思わず呆れを覚えてしまう。


 結局、運命からは逃げることなど出来なかった。あの後義理の兄は床に伏してしまい、此処まで来ることは不可能、と判断された。だがしかし、48人の候補に選ばれてしまったが為、参加できないという訳にもいかなくなってしまった。ならばどうしたのか?答えはもう此処にある。―――――――少女だ。この少女は“代理人”として此処まで来たのだ。


 義理の父は“もしもの為”の保険として彼女のデータもここに登録された。あの父親は何処までの未来がはっきりと見えているのだろうか。少女は思わずゾッとした。一介の魔術師だからできる芸当なのか、それともあの父親だからできることなのだろうか。結局答えは聞けることなく、少女は5年の間ずっと住んでいた屋敷にしばしの別れを告げた。


 あの日のような思いはもうごめんだ。あの日以来、義理の父を“尊敬のまなざし”で見ることはさらに難しくなった。寧ろ“疑いのまなざし”を向けてしまっている。恐らく彼はこのまなざしが何を表しているのか分かり切っているのだろう。だが、そんなしょうもないことはあの義理の父にとって関係ないらしい。


 真っ白な壁を見つめながらただただ時を過ごしていた。屋敷のそれとはまた違う、清潔感のある尚且つ近未来的な真っ白な壁を見つめながら。少女には時を過ごすしか術がなかった。


「―――――君が、ミシェル ・アルテミシアちゃんかな」


 突然、隣から聞き慣れない男の声が聞こえた。声からして20代くらいだろうか。思わず驚いてしまった少女、もといミシェル ・アルテミシア‥通称ミシェは男を少しばかり睨みつけた。


「驚かせてしまったならごめん。バイタルチェックの結果が出たからそれを伝えようと思って」


「そうですか、ありがとうございます」


 ただ淡々とした声でミシェはそう答えた。この少女はようやく両手をすべて使って表せる年齢‥‥‥つまりは10歳になったばかりだ。その年頃の子ども達と言えばまだ若干の純粋さが残っているはずだ。それなのにこの少女は全くそれを感じさせない、それどころか大人びている。


‥あからさまにおかしいのだ。何が彼女をここまで変えてしまったのか?だが、それには触れてはいけないような気がして。触れてしまったら、もう“何か”が戻れなくなってしまうような気がして。


「お兄さんの容態はどうかな?前よりは良くなったかい?」


「‥良くもなく、悪くもなくという所でしょうか。いまだに自力でベッドからは出られないようですが」


 男、ロマニ・アーキマンもといDr.ロマンはミシェが気になって仕方がなかった。突然アルテミシアのマスター候補が謎の病に伏した、というのは風の噂で聞いていたが急遽カルデアに来訪した代理人がこんな年端もいかない少女だとは思いもしなかった。ロマニが次の言葉を紡ごうとしたその時である。少女の端正な顔がこちらを見たのは。


「‥変ですか」


「え?」


「こんな子どもがこんな特務機関にいるだなんて」


 ロマニは紡ごうとしていた言葉を思わず失っていた。いや、失わざるを得なかった。予想の斜め上を行き過ぎた言葉が少女から出たからである。


 ‥翡翠のような色をした綺麗な二つの瞳はこちら側を射抜かんとする勢いで見つめていた。


「‥まあ、所詮は義兄の“代理”ですから。私にはそんなに期待しない方がよろしいですよ?」


 自分を卑下しつつ柔らかい笑みを見せた少女ミシェはそう言い残し歩き始めた。ロマニはそんな彼女の足を止めることはできなかった。


「ミシェルちゃん‥」


 ただ“周囲より魔術の才が秀でていた”だけであの少女はここまで来させられた。それを考えるととても悲しいし、胸が締め付けられる。
あの小さな背中にどんな重い宿命を背負わされたのだろう。少なくとも10歳の子どもにはいささか重すぎる。


「どうか、君は――――」


 ロマニの声は、少女に届くことはなかった。
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