新訳、平行線の行方

□Prologue
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 恐る恐る、慣れ親しんだ部室のドアノブをひねる。力加減を少しでも間違えてしまえば壊れてしまいそうなドアを静かに開けた。頼むから、誰も部室にいないようにと念じながら。十秒にも満たないその願いはあっけなく断ち切られてしまうのだが。


「―――あれ、どうしたんだよ!忘れ物か?」


 目が合った彼の瞳は普段と同じようにキラキラとしていた。今まで自分を勇気づけていた筈のその眼が、この時に限ってはとても恐ろしく思えてしまった。彼の周りにいた二人は全てを察したような表情を浮かべていた、それもそうか。こんな神妙な顔で部室に来るという時点でやることは限られているのは自分だって百も承知だ。


「‥‥‥‥そうじゃ、ないんだ」


 彼の言葉に歯切れの悪い返事を返す。今まで頭の上に疑問符を浮かべていた我らがキャプテンもやっと今の状況が理解できたようだ。食いつくように自分の右手にある紙切れを見つめる。建付けの悪いドアが風で勢いよく閉じる音を聞き届け、脳内で何度もリハーサルした言葉を紡ごうとする。


 息が、上手くできない。唇も震えている。こうなる位なら部室の近くで最終確認をした方がよかっただろうか。


 はっきりと想いを伝えるのだ。声に出して伝えなければいけない、大切なことを。自分が「あの時こうしていればよかった」と後悔しない為に。相手を傷つけない為に。


「あのね」

「おう」


 スッ、と紙切れを渡す。生憎だが文字を書く、ということにはあまり慣れていない。こんなことになるのなら文芸部の友人に確認してもらえばよかった。彼女はきっと「形を気にするより気持ちを込めなさい」と吟遊詩人のように語るだろうけれど。


 今までの数ヶ月の記憶がさながら走馬灯のようにフラッシュバックしていく。これから死ぬわけでもないが、今までの思い出がある時は一枚の写真のように、一本の動画のように再生されていく。


 まるで最後の決断を止めるように、それらが脳内で何度もリピート再生される。段々と鼓動が早まるのを感じながら、大きく息を吸った。



 ―――女は度胸だ!



 本当ならば愛嬌、と言えたらよかったのだろうが自分は男勝りな性分だ。クラスのマドンナのような演技力があればこの場面を何とかできた筈なのに。余りにも愚直で素直な自分が憎くて、憎くてたまらない。


「ごめんね」

「どういうことだ?俺、お前に何かしたか?」


 嗚呼、彼がとんだ天然な熱血少年だと忘れていた。再び頭上に疑問符を浮かべている彼が少しだけ面白くて笑いそうになるのを堪える。どうしてもあの紙切れを堂々と表面で渡す勇気が無かった自分は彼に「裏返してみて」とこっそり伝えれば言われるがまま彼は先程渡した紙切れをひっくり返した。


「えっ」


 今日はやけに聴覚が冴えている。普段なら聞こえない筈の息遣いまで聞こえてくるのだ。気持ち悪いかもしれないけれど、仕方がないだろう?


「キャプテン。期待に応えられなくて本当にごめんね」



 ―――別れを告げるという行為には必ずと言っていい程勇気が必要なのだから。
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