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□禁煙キス
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顔を合わせた瞬間、腕を引かれて、気がついた時には背中を壁に預けていた。仮にも立会人である己の無防備さを恥じる間もなく、唇を塞がれる。
「……〜っ!」
社内の廊下で、このキスが長くなる前に、目の前の相手を強く押す。本当は私の力なんかではびくともしないくせに、おお痛い!と大袈裟に痛がる素振りを見せて、佇まいを整えた雄大はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「雄大、所構わずキスするのやめて!」
「……禁煙しとるからね。」
「そんな事関係ないでしょ!」
「あるよ、口寂しくなったらキスしてもええって言った。」
キスしてもいいなんて、一言も……そういいかけて先日の彼の台詞を思い出す。
「あれは、雄大がさせろって言ったんじゃん。私はいいよなんて言ってない。」
「否定もしとらん。」
「そんな、子供みたいな……」
我が儘モードに入った雄大を説得するのは至難の技だ。どうしたものかと考えていると、彼の古参の部下が向こうから走ってきた。
「あ、いたいた!雄大くん〜!そろそろ立ち会いに向かわないと……あ、名字立会人、お疲れ様です。立会人からも門倉立会人にしっかりするように言ってくださいよ……禁煙してるらしくて、イライラしちゃって、僕達困ってるんです。」
「……門倉立会人、個人の事情で部下を困らせるなんて駄目ですよ。」
「イライラなんてしとらんよ、名前がキスさせてくれんから。」
「ちょっ!」
この男は!何も部下の前で言うことではないだろう、居たたまれなさと恥ずかしさで彼らから目を逸らす。やはりと言うべきか……雄大の賢い部下は、あ〜と腕にある時計を確認する振りをして、来た道を戻るよう背を向けた。
「出発する時間まで30分はあるので、立会人……暫くしたら駐車場に部下達を集めておきます、では。」
「おう!ご苦労!」
振り返りもせずに走っていく彼を見ながらクックッと笑う雄大を小突く。
「……私が恥ずかしいんだけど。」
「良くできた部下じゃろ。」
「違うよ、雄大が拗ねてると面倒だから私が生け贄にされたんだよ。」
「クッ……30分あるみたいやけど、どうする?」
じりじり迫ってくる彼から逃げようにも、左右には逞しい腕、背中には壁。
「……誰もいないとこじゃないとだめ。」
「了解。」
「……煙草、やめなくてもいいよ。」
「こんなおいしい思いできんのに今さら吸うか。」
向かった控え室に誰もいないことを密かに願った。
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