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昨日から名字 名前が自分に対して少しずつ心を許してきた気配を感じ取り、いつもより機嫌が良いと自覚しながら喫煙室で煙草を灰皿に押し付けて仕事に戻ろうと立ち上がりかけたところで、見慣れた姿を見つけて再び腰をおろした。


向かいに座った南方がいつもの調子で話しかけてくるのを何でもない風を装って聞き流す。


「よぉ!門倉〜。例の女はどうなった?」

「南方、おどれサボりか?」

「違うわっ!休憩だ、休憩。それよりうまくいってるのか?」

「どうじゃろ……最初よりは警戒されとる感じはマシかの。」

「まだそんなレベルの話なのか?」

「うっさい。ああ、こないだメシ行ったわ。」


呆れた顔で聞いてくる南方の事を睨み付けて長くなってしまった灰を落とす。


「あのなぁ、女にはロマンチックに迫れよ。甘い言葉でも投げ掛けて優しくキスでもすりゃあいいだろ。」

「……そんな簡単な女やったら苦労せんけどね。」

「今度会わせてくれよ。」

「やらんぞ。」


今度こそ立ち上がり、南方のはいはいと呆れた返事を最後に喫煙室を後にした。


「ロマンチックに迫れてか……ワシが甘い言葉。考えただけでも似合わんの。」

先程の南方の言葉を思い返しながら、暫く廊下を歩いていると古参の部下が此方へ走ってくるのが見えてどうしたものかと立ち止まる。


「あ!雄大くん、やっと見つけた。」

「どうした?」

「今、名前さんから電話があって。買い物に行きたいって言うから15分後に迎えに行くって言ったんだけど……出ても大丈夫?」

「ああ、助かる。それとこれ名前に渡しといて。好きに使えって。」

「じゃ!行ってきます〜。」


カードを渡して部下を見送った後、買い物?と1人考えた。日用品は買ったはずだし、考えられる事は料理くらいか……ふっと上がる口角を誤魔化すように咳払いをしてから電話を掛けた。


今頃迎えを待って準備しているところだろう。そろそろ財布が無いことに気がついて悩みだすかもしれない。その姿を想像して緩む表情を南方にでも見られたら笑いの種にされるなと思っていたときに耳元で朝と変わらない声が聞こえてほっとする。


「……もしもし?」

「門倉や。買い物行くんか?」


「はい。食事、作ろうと思って……」


彼女の返事にやはりと微笑み、カードの事を伝える。


「そうか、部下にカード預けとるからそれ受け取って持っとけ。これからはそれで買い物したらええから。」

「あ、ありがとうございます。」

「何言うてんのや。ワシの為の料理じゃろ?……それと、出来たらハンバーグが食いたいわ。」

「わかりました。ハンバーグですね。」

「おう、頼むわ。楽しみにしてるよ。」


きっと買い物先で何を作るか悩むだろうことが容易に想像出来て、此方からリクエストを伝えるとクスッと小さな笑い声と共に、はいと聞こえて通話が終了した。


ささやかな時間を名残惜しく思いながら携帯をポケットにしまって今度こそ仕事に戻る。


こんなに家に帰るのが楽しみだったのは人生で初めてかもしれないなとひとりごちて、普段ならめんどくさくてやる気が出ない事務的な仕事をこなしていく。


いつも以上に仕事に精を出して、目処がついたところでそそくさと帰り支度をしていると、様子を見に来ていた南方に飲みに誘われたが即座に断りを入れる。


「門倉〜。早く終わったんなら飲み行かないか?」

「悪いの。今日は早よ帰るわ。」

「冷たいな。ちょっとくらいいいだろ?」

「名前がメシ作ってくれとるから。ほら、そこどけ。」

「……新婚か。」

「うっさい。じゃあの。」


しつこい南方をふりほどき車に乗り込むと、制限速度ギリギリで自宅までの道を走らせ着いたところで一息吐く。


早く顔が見たいだなんて、初めて恋したガキかと苦笑しながら南方に言われた「新婚か。」という台詞を思い出して、それもいいかもしれないと思う自分に驚き、馬鹿なことを考えたと額を叩くとにやけきった表情を引き締めて自宅のドアに手を掛けた。



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