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□仮面紳士
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普段の立ち会い業務なら気合いを入れて立てるトサカを封印して軽く後ろに流した髪に、こだわりの長いスーツではなく洒落たジャケットを着て、いつもの自分ならばあまり居心地が良いとは云えないムードたっぷりのレストランで食事をする。


それも全て名前が喜んでくれるならば、門倉にとって苦などでは無く、容易いことに思えるから惚れた弱味というものは恐ろしい。


束の間のデートも終わり、彼女の住むマンションまで送って車を停めた後、助手席に回りドアを開けて降りやすいよう手を差し出す。


「楽しい時間をありがとうございました。」


出来るだけ爽やかに微笑み別れの言葉を口にする自分を見つめて、離そうとしていた手をきつく握りられどきりと高鳴る心臓の音。


握られた手をそのままに彼女を見つめていると、俯きがちに小さな声で呟く。


「あの、少し寄っていきませんか…迷惑じゃなければ。」


何とも可愛い誘いに不謹慎な顔になっている所を見られないよう反対の手で顔を隠す。そして少し間を置き、断りの言葉を口にした。


「せっかくのお誘いは嬉しいのですが…もう夜ですし、またの機会にさせていただきます。」


自分の言葉に彼女の身体が強張る様子を察してしまい罪悪感が襲ってくる。


自分の歳があと10程若ければ今の誘いに乗っただろう…実際今だって断るのは心苦しいし、本当なら飛び付きたいくらい魅力的な誘いではある。


そんな事を考えていると、彼女にしては珍しく簡単には引き下がらずに抱き着いてきたかと思うと此方を見上げてねだるように甘えてきた。


「…じゃあお休みのキスしてください。」


ここまで女に誘われて断る男がいるかと自問自答しながら溜息を吐く。彼女のせいではなく自分自身の問題であるのだが、今の溜息はよくなかったと慌てて覗き込むとその瞳に涙を一杯に溜めてそれを溢さんと耐える様を見てしまい再び増す罪悪感。


できれば言わずに済ませたかったが、それも此方の勝手な都合であるし何より嫌われてしまっては元も子もないので、抱き着いたままの身体をそっと離してもう一度彼女を車に乗せた。


車を走らせながら、この思いを何と伝えればいいのか考える。なかなか纏まらない思考に囚われている時間に比例して続く沈黙。気まずそうに俯く彼女をちらりと覗き見て、何とか言葉を紡いだ。


「…誤解なさるといけないので申しておきますが。名前さんへの気持ちがないだとか、そういう事ではないですよ。」


この期に及んではっきりと言えない自分に嫌気が差す。プライドや恥など捨てて思いのままを伝えるべきなのにそれが出来ない。


「じゃあどうして。」


最もな答えを返す彼女に、意を決して、向き合う為に車を停めた。


気まずい沈黙、彼女に向き合うと先程まで我慢していたであろう涙の零れた跡が頬にうっすら浮かんでいて、下らないプライドのために彼女を泣かせた自分を責める。


優しく手の甲で涙を拭ってやり、諭すように話しかける。


「夜分に男を連れ込んでいるなどと近所に噂されるのも不用心でしょう……マンションの前でのキスも同じです。」


意味が解らないという顔をした彼女に、心の中で続けた。



男を連れ込んだ、マンションの前でキスをしていたなど下世話な噂で穢されることすら良しとしないただの独占欲だ。

人目のあるところで彼女に触れることも、性的な関係を匂わせる行動さえしないほどに大切にしたい相手であるし、これからもそうしていくつもりだ。

こんな風に思うこと自体初めてで自分どうしていいかわからない。



「名前さん、貴女が思っている以上に私は貴女のことを大切にしているのですよ。ですから余り私を煽らないで下さい。」


きっと此方のみっともない独占欲など気付いてもいない、じっと見つめてくる彼女が


「…じゃあ今キスしてください。」


拗ねたようにそう言うのを聞いて、一瞬だけ頬に触れるように唇を近づけた。これ以上触れると危ない。


「あんまり可愛いことを言われると私の今までの努力が無駄になります……来週に纏まった休みが取れるので旅行を兼ねて遠出しましょう。」


大切にしたい相手だからこそ、唇や身体を重ねることだって綺麗な思い出にしてやりたいし、自分もそうしたい。


「じゃけぇ、そんときまで待っとけ。」

ずっと我慢していたのが自分だけじゃなかったことを知れて笑っていると聞こえた大好きですとの声に、ワシもやと返した。


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